【HGPI政策コラム】(No.41)-メンタルヘルスプロジェクトより-「日本のメンタルヘルス政策の変遷と今後の政策トピック」(上 ~HGPIの活動と日本の政策史~)
<POINTS>
- 精神疾患患者数の増加に伴い、メンタルヘルス政策はこれまで以上に重要になっている。
- HGPIでは2019年よりメンタルヘルス政策に取り組んでおり、市民・当事者視点の政策提言を目指し、メンタルヘルスの諸課題に取り組んできた。
- 日本でも長年メンタルヘルス政策は行われているが、依然として課題は多く、これまでの歴史を踏まえ、その反省に立って今後の施策を進めることが求められている。
はじめに
今回のコラムでは、3部構成でメンタルヘルス政策についてお届けします。精神疾患を有する患者数は年々増加しており、外来患者が389.1万人、入院患者が30.2万人の合計419.3万人(2017年厚生労働省「患者調査」)とされています。入院患者数は過去15年で減少傾向にあるもの、反対に外来患者数が増加傾向にあり、全体としての総患者数は年々増加傾向にあります。(2020年の患者調査では集計方法に変更があったものの、同様の傾向。)メンタルヘルスに関する政策では、そのフレーミングに応じて、「精神疾患」「精神障害」「心の健康」など様々な用語が使われますが、HGPIではそれらを包含して「メンタルヘルス政策」と表記しています。
HGPIでは2019年度からメンタルヘルス政策プロジェクトを立ち上げ、活動を続けています。2019年度には、アカデミアと当事者から成るアドバイザリーボードを組織し、メンタルヘルスを取り巻く課題の整理やHGPIが取り組むべきポイントなど、専門領域や立場の垣根超えて広く議論の機会を設けました。こうした当事者を含む専門家との議論や、関係者へのヒアリングや机上調査を踏まえて初めての政策提言として取りまとめたのが、「メンタルヘルス2020 明日への提言~メンタルヘルス政策を考える5つの視点~」でした。
本提言では、
視点1:当事者活動を促進し社会全体のリテラシーが向上する施策を充実させる
視点2:精神疾患を持つ本人のニーズに基づいた地域生活を基本とする医療提供体制を構築する
視点3:「住まい」と「就労・居場所」を両輪として地域生活基盤を整備する
視点4:エビデンスに基づく政策決定・政策評価に向けて必要なデータ・情報収集体制を構築する
視点5:メンタルヘルス政策においてマルチステークホルダーが継続的に議論できる環境を構築する
の5つの視点から構成され、メンタルヘルスを取り巻く課題を広く包含しています。
現在の活動においても定期的に本提言に立ち返ってその在り方を考えているほか、また国内外の関係者からも継続的に参照されています。また本提言を踏まえて、当事者の視点からメンタルヘルス政策を語ってもらうインタビュー連載企画「当事者からみたメンタルヘルス政策」も展開し、様々な立場の当事者から、今後のメンタルヘルス政策に対する多角的な示唆を頂きました。
第1回:宇田川 健 氏「縦断的研究の充実によりリカバリーの生理学的解明を」
第2回:小幡 恭弘 氏「医療体制と地域社会の融和に向けて メンタルヘルスを国の政策の中心に」
第3回:堀合 研二郎 氏「精神障害を持つ本人として 同じ境遇の人の助けになりたい」
第4回:小林 圭吾 氏「当事者が安心して生活するために ロールモデルの蓄積・共有、セーフティネットの整備を」
第5回:萩原 なつ子 氏「障害を持つ人を社会全体で支えるための市民主体の政策を」
2020年度の後半以降は、メンタルヘルス政策のより個別具体的なテーマに焦点を当てて取り組んでまいりました。認知行動療法や災害メンタルヘルス、さらには、こどもの健康プロジェクトの一環として、小中学生のストレスマネジメントや未就学児の保育者や保護者のメンタルヘルスにも取り組んできました。(詳細はプロジェクト紹介ページ「メンタルヘルスについて」 「こどもの健康について」 )また、毎年世界メンタルヘルスデーにおける啓発イベントの開催や、HGPIセミナーを通じた最新トピックの紹介にも取り組んでいます。
日本のメンタルヘルス政策の歴史
続いては、日本のメンタルヘルス政策の変遷とその概況について整理したいと思います。一般的に政策は、過去の制度や仕組みとは無関係に存在することはなく、それまでの歴史的経緯に大きく影響を受けます(政策の経路依存性)。そのため、ある政策について議論する際には、当該政策の変遷について理解しておく必要があります。次のコラムで日本のメンタルヘルス政策の課題や展望を論じるうえで、まずは日本のメンタルヘルス政策についてその歴史を振り返ってみたいと思います。
日本のメンタルヘルス政策の歴史は、精神疾患を持つ人の人間としての尊厳を勝ち取るための歴史であったともいえます。今に至るまで国際社会から日本の精神医療の人権軽視の状態は厳しく批判され続けています。
1900年 精神病者看護法の制定
精神病者看護法は、日本で初めて制定された精神疾患に関する法律です。精神障害者が自宅やその他の場所で監禁される事例が相次ぐ中で、監禁することは禁じたものの、届け出によって家族などの監督義務者が私宅で監置することを認める法律となっています。ただし、これは治療ではなく、精神障害者を社会から遠ざけることを意図したものでした。
私宅監置の惨状については、呉秀三医師が「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」という文書の中で詳細に報告しており、劣悪な環境下に精神病患者を監置することを認める法律の改正を求めました。
1919年 精神病院法の制定
1919年には呉秀三氏らの運動の結果、自治体での精神病院の設置を目指した精神病院法が制定されました。しかし、私宅監置は廃止されなかったうえ、予算の問題等により公費での病院設置は進みませんでした。公立病院の整備が進まない中で、私立の精神科病院に公費負担で入院させるようになったことは、現在に至るまでの入院医療中心の在り方の源流と言われいます。
1950年 精神衛生法の制定
戦後には欧米の精神衛生の考え方の下、精神衛生法が制定されました。あわせて戦前に制定された精神病者看護法・精神病院法が廃止され、精神障害者の私宅監置が禁止されています。さらには都道府県に公立の精神科病院の設置が義務化され、自傷他害のおそれのある精神障害者の措置入院と保護義務者の同意による同意入院の制度が創設されました。
このことは、精神病院の設置を大きく後押しすることとなります。特に民間病院に対する国庫補助が盛んに行われ、1950年代半ば以降精神病床の数は急激に増加し、1961年には10万床を突破しました。この施設数の増加に対して、医療スタッフの確保が追い付かない事態を避けるため、国は1958年に「精神科特例」と呼ばれる厚生省事務次官通知を発出し、「医師の数は一般病院の3分の1、看護職の数は3分の2」とすることを認めました。こうした政策は「質より量を求める病院の整備体制が国策として取られた」(佐藤, 2023, p21)と指摘されています。
こうして入院医療中心の精神科医療の提供体制が整備されていきました。しかし1964年には統合失調症で入院歴のあった青年がアメリカ駐日大使のライシャワー氏をナイフで切りつける事件(ライシャワー事件)や、1984年には宇都宮病院において看護職員が入院患者を暴行し、死亡させる事件(宇都宮病院事件)が発生し、精神科医療の不備が指摘されるようになります。なお、精神病院の医療職が入院患者に暴行を加える事件は現在においても後を絶たず、度々報道されています。
1987年 精神保健法の制定
こうした状況を踏まえ、1987年には精神保健法が制定され、精神障害者の人権擁護や社会復帰の促進が初めて盛り込まれたほか、本人の同意に基づく入院制度として「任意入院」が創設されました。また入院の必要性や処遇の妥当性について審査する「精神医療審査会」が都道府県に設置されたほか、精神保健指定医の仕組みも創設されるなど、現在の精神医療政策の原型となっています。
1993年 障害者基本法
1995年 精神保健福祉法の制定
そして1993年には障害者基本法の成立に伴い、精神障害者も「障害者」として初めて法的な位置づけを得ました。これに伴い、精神保健法が大幅に改正され、1995年に精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)として制定されました。従来の精神保健に加えて、「精神障害者福祉」が明記され、自立と社会経済活動への参加が目的として位置づけられた点が大きな変化です。その後精神保健福祉法は、度々改正が行われています。
2004年「精神保健医療福祉の改革ビジョン」
2004年には厚生労働省が「精神保健医療福祉の改革ビジョン」を公表し、はじめて「入院医療中心から地域生活中心へ」という基本的方策を示しました。「国民各層の意識の変革や、立ち後れた精神保健医療福祉体系の再編と基盤強化を今後10年間で進める」とし、強いメッセージが特徴的でした。
2014年「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」
10年後の2014年には「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」が公表され、長期入院などの課題に対し、精神病床の機能分化や、在宅サービスの充実、救急医療や多職種連携の体制整備などを取りまとめました。さらには同年、より長期入院患者に焦点を当て、「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策の今後の方向性」を公表し、「長期入院精神障害者に対する支援」として、退院に向けた意欲の喚起、移行支援、地域生活の支援等を掲げたほか、「病院の構造改革」に言及し、「病院は医療を提供する場であり、生活の場であるべきではない」と強く指摘しました。
2017年「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」報告書
2017年には「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」報告書において、精神障害の有無や程度にかかわらず、誰もが地域の一員として安心して自分らしい暮らしをすることができるよう、医療、障害福祉・介護、住まい、社会参加(就労)、地域の助け合い、教育が包括的に確保された「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」を構築することが明記されました。「地域包括ケアシステム」は従来、高齢者の領域で用いられてきた考え方ですが、保健・医療・福祉の一体的な提供という同種の方向性から精神障害の分野でも導入されています。
2021年「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築に係る検討会」報告書
そして2021年3月には「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築に係る検討会」報告書が公表され、その基本的な考え方に加え、重層的な連携による支援体制の構築、普及啓発の推進や、精神保健医療福祉、住まい、ピアサポート等の具体的な方向性が示されました。また報告書では、「入院に関わる制度のあり方、患者の意思決定支援や患者の意思に基づいた退院後支援のあり方等の事項については、別途、検討が行われるべきである」と言及しています。
2022年精神保健福祉法改正
2021年10月には、「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会」が開催され、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」の構築に加え、入院に関わる制度のあり方、患者の意思決定支援や患者の意思に基づいた退院後支援のあり方も論点として明記された。13回に及ぶ会合を経て、翌2022年6月に公表された報告書では、相談支援体制や第8次医療計画に関する提言のほか、入院医療の在り方について多く紙幅が割かれました。
入院医療に関する項目では、入院患者への訪問相談や医療保護入院制度の見直し、患者の意思に基づく退院後支援、隔離や身体拘束をゼロにするための取り組み、充実した人員配置に向けた精神科特例の見直し、虐待防止の取り組みといった、これまで取り組みが十分ではなかった課題への言及が見られたことが特徴的です。
この報告書を受け、政府は2022年10月に精神保健福祉法の改正案を国会に提出しました(正式には関連法案と一括で提出する「束ね法案」としての国会提出)。直前の2022年8月には障害者権利条約に基づく国連の対日審査が行われ、9月に公表された総括所見(勧告)では、日本の不十分な障害者施策に対する厳しい指摘がされていました。こうした中、法改正では一連の障害者に関連する法律が取り上げられ、精神障害に関する項目においては入院医療についての言及が目立ちました。(以下、厚生労働省資料を抜粋)
精神障害者の希望やニーズに応じた支援体制の整備【精神保健福祉法】
①家族等が同意・不同意の意思表示を行わない場合にも、市町村長の同意により医療保護入院を行うことを可能とする等、適切に医療を提供できるようにするほか、医療保護入院の入院期間を定め、入院中の医療保護入院者について、一定期間ごとに入院の要件の確認を行う。
②市町村長同意による医療保護入院者を中心に、本人の希望のもと、入院者の体験や気持ちを丁寧に聴くとともに、必要な情報提供を行う「入院者訪問支援事業」を創設する。また、医療保護入院者等に対して行う告知の内容に、入院措置を採る理由を追加する。
③虐待防止のための取組を推進するため、精神科病院において、従事者等への研修、普及啓発等を行うこととする。また、従事者による虐待を発見した場合に都道府県等に通報する仕組みを整備する。
審議の過程では多くの付帯決議がつくなど、一定程度の議論が行われたことをうかがわせる内容となりましたが、法案に対して要望活動を行っていた当事者団体からは、いわゆる「束ね法案」であったことや、内容面でも要望がほとんど反映されず消化不良であったという指摘がされています。
以上本稿では、HGPIのメンタルヘルス政策プロジェクトについて、そして日本のメンタルヘルス政策の変遷を辿ってきました。次のコラムでは、日本のメンタルヘルス政策の課題と今後のホットトピックについてご紹介していきたいと思います。
【参考文献】
- 岡田久美子ほか(2023)「座談会 精神保健福祉法改正2022」『精神医療』第9号(第5次), 8-30
- 後藤基行(2019)『日本の精神科入院の歴史構造 社会防衛・治療・社会福祉』東京大学出版会
- 佐藤忠宏(2023)『50年、理想の精神医療を求めて』幻冬舎
【執筆者のご紹介】
栗田 駿一郎(日本医療政策機構 シニアマネージャー)
鈴木 秀(日本医療政策機構 シニアアソシエイト)
平家 穂乃佳(日本医療政策機構 アソシエイト)
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