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【HGPI政策コラム】(No.70) ―プラネタリーヘルスプロジェクトより―「第17回:ランセット・カウントダウン:気候変動対策がもたらす健康と経済の『命綱』」

【HGPI政策コラム】(No.70) ―プラネタリーヘルスプロジェクトより―「第17回:ランセット・カウントダウン:気候変動対策がもたらす健康と経済の『命綱』」

<POINTS>

  • 気候変動への世界の対応状況と、それに伴う健康上の便益およびコストをランセット誌で毎年報告するランセット・カウントダウンの2025年版報告書「Climate change action offers a lifeline」が公表された。
  • 2024年は年間平均気温が産業革命前水準を1.5℃上回った初めての年となり、健康リスクを示す指標20項目のうち12項目が過去最悪を更新した。現在の施策が継続した場合、2100年までに2.7℃の気温上昇が見込まれる。日本では、一人当たりの熱波曝露日数が過去最高の48.5日に達し、そのうち28.8日は人為的な気候変動に起因するとされる。
  • 極端な暑熱により労働生産性が急速に低下している。日本は2024年に潜在的労働時間14.2億時間を失い、潜在的所得損失は約494億ドル(日本のGDPの約1%)に相当する。日本における暑熱関連死亡は1990年代比で136%増加している。
  • 日本は2023年に約703億ドルを化石燃料補助金に配分した。公衆衛生コストが増大するなか、この補助金は医療システムを不安定にする環境危機の一因となっており、PM2.5大気汚染による年間約8.1万人の死亡にもつながっている。


はじめに

人間の健康と環境の関係は、かつてないほど深刻な緊張をはらむ局面を迎えています。2016年に活動を開始したランセット・カウントダウン(Lancet Countdown on Health and Climate Change)は、この関係性を追跡する世界で最も包括的なモニタリングシステムとして機能してきました。2025年版報告書は、ブラジル・ベレンで開催されるCOP30を前に公表され、各国の「国が決定する貢献(NDC: Nationally Determined Contribution)」およびベレム行動計画の証拠基盤を提供することを意図しています。

同報告書が際立っているのは、気候変動対策を任意の環境施策としてではなく、地球規模の医療システムの崩壊を防ぐための「命綱」として位置づけている、切迫した論調にあります。ランセット・カウントダウンが提示するデータを正確に理解することは、抽象的な環境論を超え、健康を中心に据えた具体的な政策改革へと踏み出すために不可欠です。


ランセット・カウントダウン:プロジェクトの変遷と現状

ランセット・カウントダウン(正式名称:Lancet Countdown: Tracking Progress on Health and Climate Change)は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL: University College London)を中核とし、ウェルカム・トラスト(Wellcome Trust)の資金援助のもとで運営される国際共同研究プロジェクトです。その出発点は、2015年のランセット気候変動・健康委員会(Lancet Commission on Health and Climate Change)による二つの画期的な提言にあります。第一に、対策なき気候変動は、過去50年間にわたる公衆衛生の成果を損なう脅威となりうること。第二に、気候変動への積極的な対応は、21世紀最大のグローバルヘルス上の機会となりうること、という提言です。
この提言を受け、「2030年へのカウントダウン」は2016年に正式に発足しました。パリ協定の最も野心的な目標達成期限である2030年まで、気候変動への世界の対応状況と、それがもたらす健康上の便益またはコストをランセット誌で毎年報告するという使命を担っています。

2016年版報告書は5つの主要ドメインの枠組みを確立する「設計図」として機能しました(図1)。その後、指標数は当初の約40から最新の2025年版では57へと拡大し、精度・対象範囲ともに進化を続けています(図2)。毎年の知見はUN気候交渉に先立って公表されており、ランセット・カウントダウンは地球規模の気候外交における重要なエビデンス源として位置づけられています。またプロジェクトは、300名超の研究者と国連機関が参加するランセット誌の年次刊行物として発展し、気候変動と健康データの『ゴールドスタンダード』となっています。


図1:ランセット・カウントダウンの5つの主要ドメイン

出典:The Lancet Countdown. Explore our data. https://lancetcountdown.org/explore-our-data/(アクセス:2026年3月20日)を基に日本語訳 License: CC BY-NC-SA 4.0

 

1:健康危機・曝露・影響

1.1:暑熱と健康

1.1.1:脆弱な集団の熱波曝露
1.1.2:暑熱と身体活動
1.1.3:労働能力の変化
1.1.4:夜間気温の上昇と睡眠損失
1.1.5:暑熱関連死亡

1.2:極端な気象現象と健康

1.2.1:山火事
1.2.2:干ばつ
1.2.3:極端な降水
1.2.4:砂塵・粉塵による大気汚染
1.2.5:極端な気象と感情・心理状態

1.3:感染症伝播への気候適合性

1.3.1:デング熱
1.3.2:マラリア
1.3.3:ウエストナイルウイルス
1.3.4:リーシュマニア症
1.3.5:マダニ媒介感染症
1.3.6:ビブリオ属菌

1.4:食料安全保障と栄養不足

2:公衆衛生分野における適応・計画・レジリエンス

2.1:公衆衛生上の適応措置の評価と計画

2.1.1:気候変動の健康影響・脆弱性・適応に関する国家評価
2.1.2:公衆衛生分野の国家適応計画(HNAPs)
2.1.3:都市・州・都道府県レベルの気候変動リスク評価

2.2:実施基盤・適応措置の展開および実装

2.2.1:公衆衛生のための気候情報サービス
2.2.2:冷房設備の利害
2.2.3:都市の緑地・水辺空間
2.2.4:公衆衛生危機への探知・備え・対応
2.2.5:気候変動と公衆衛生に関する教育・研修

2.3:気候変動に対する脆弱性・健康リスク・レジリエンス

2.3.1:重篤な蚊媒介感染症への脆弱性
2.3.2:極端な気象現象による致死性
2.3.3:海面上昇・移住・避難

3:緩和策と健康共便益(コベネフィット)

3.1:エネルギー利用・エネルギー生産・健康

3.1.1:エネルギーシステムと健康
3.1.2:家庭用エネルギー利用
3.1.3:持続可能で健康的な道路交通

3.2:大気質と健康共便益

3.2.1:産業別の大気汚染による死亡
3.2.2:家庭内大気汚染

3.3:食料・農業と健康共便益

3.3.1:農業生産・消費からの排出
3.3.2:食事と健康共便益

3.4:樹木被覆の損失

3.5:保健医療部門の排出と健康被害

4:経済と財政

4.1:気候変動および緩和策の経済的影響

4.1.1:気象関連の極端な現象による経済損失
4.1.2:暑熱関連死のコスト
4.1.3:暑熱による労働能力低下に伴う所得損失
4.1.4:大気汚染の健康影響コスト

4.2:ネット・ゼロと健康を支える経済への移行

4.2.1:低炭素産業と高炭素産業の雇用
4.2.2:化石燃料企業の戦略とパリ協定の整合性
4.2.3:エネルギー移行による座礁石炭資産
4.2.4:ネット・ゼロ移行に向けた国の準備状況
4.2.5:生産および消費に伴うCO₂とPM₂.₅排出量の帰属分析

4.3:健康的な未来に向けた金融の移行

4.3.1:クリーンエネルギー投資
4.3.2:化石燃料補助金と炭素価格のネットバリュー
4.3.3:化石燃料・グリーン産業への銀行融資
4.3.4:公衆衛生における適応のための資金フローと開示されたニーズ

5:健康と気候変動に関する公共・政治的関与

5.1:メディアの関与

5.2:個人の関与

5.3:科学的関与

5.3.1:健康と気候変動に関する科学論文
5.3.2:気候変動の健康影響に関する科学的関与

5.4:政治的関与

5.4.1:政府の関与
5.4.2:国際機関の関与

5.5:企業の関与

図2:2025年ランセット・カウントダウンレポートの指標一覧 
出典:Romanello et al. (2025) のデータを基に作成

 

プロジェクトのもう一つの重要な発展が、地域センターの設立です(図3)。グローバルな集計データを各地域の政策文脈に即した分析で補うことを目的として、各センターが整備されてきました。2020年に清華大学(Tsinghua University)にアジアセンターが設立されたことは、日本にとっても重要な転機となりました。グローバル平均から国別データシートへの移行が実現し、超高齢社会・高度都市化社会という日本固有の気候・健康リスクはグローバルサウスのそれとは大きく異なるため、この地域化は不可欠です。

 

図3:ランセット・カウントダウンの地域センター
出典:The Lancet Countdown(n.d.)のデータを基に作成


世界の健康ハザードと影響

2025年版グローバル報告書は、憂慮すべき現状を提示しています。2024年には世界の温室効果ガス排出量が過去最高を更新し、健康への影響は人類の適応能力を上回るペースで拡大しています。

  • 暑熱関連の影響:暑熱関連死亡は1990年代比で23%増加し、現在は年間約54.6万人に達しています。2020〜2024年に人々が経験した熱波曝露日の84%は、人為的な気候変動がなければ発生しなかったとされています。また2024年だけで、暑熱による潜在的労働時間損失は世界全体で6,400億時間に上りました。これは潜在的所得損失として1.09兆ドルに相当し、人間開発指数(HDI:Human Development Index)が低い国では損失の75.5%が農業セクターに集中しており、その影響が著しく不公平であることを示しています。
  • 感染症リスクの拡大:気候変動は感染症の伝播地図を塗り替えつつあります。2024年初頭に世界で760万件が報告されたデング熱の伝播ポテンシャルは、1950年代比で最大49%上昇しています。リーシュマニア症のリスクは29.6%増加し、マダニ媒介感染症のリスク地域も新たに3.64億人を含む範囲に拡大しました。さらに、海面水温の上昇によりビブリオ属菌の伝播に適した海岸線が2024年に過去最長の91,195kmを記録しています。
  • 食料安全保障への影響:食料安全保障は、この健康危機の重要な側面の一つです。2025年版報告書は、2023年の熱波曝露の増加と干ばつ月の増加が、124カ国において1.237億人の中程度から深刻な食料不安の拡大と関連していたと推計しています。


日本に関する最新分析と優先課題

ランセット・カウントダウン2025年版の日本データシートは、急速に拡大する気候・健康リスク、構造的なエネルギー政策上の課題、そして急速な高齢化という三つの課題が交差する高所得国の姿を詳細に示しています。

日本の人口動態は、極端な暑熱に対する脆弱性を際立てています。2012〜2021年の平均で、年間約4,300人が暑熱関連死亡しており、1990年代比で136%の増加です。2024年には一人当たり平均48.5日の熱波曝露が記録されましたが、ランセット・カウントダウンはそのうち28.8日は人為的な気候変動がなければ生じなかったと指摘しています。さらに、2024年の暑熱による潜在的労働時間損失は14.2億時間に達し、潜在的所得損失は494億ドルに上ります。特に、サービス業が損失の33%、製造業が24%を占めています。

また、日本の広大な海岸線と密集した沿岸部の人口は、暑熱以外の気候・健康リスクの層を形成しています。約659万人が海抜1m未満の地域に居住しており、海面上昇・高潮強化・沿岸洪水という複合リスクに対して極めて脆弱な状況にあります。沿岸部の海面水温はすでに1981〜2010年平均より1.72℃上昇しており、水産業の食料安全保障と漁業コミュニティの生計を支える海洋生態系を脅かしています。さらに、上昇する海面は洪水被害にとどまらず、水道水の汚染、東京・大阪などの密集した沿岸都市での水系感染症リスクの増大、医療施設を含む沿岸インフラの浸食、そしてコミュニティの移転に伴う長期的な精神的・社会的健康への影響をもたらします。

さらに、ランセット・カウントダウンのデータは、日本のエネルギー構造の課題も鮮明に示しています。日本は依然として石炭に大きく依存しており、石炭は総エネルギー供給の28%、電力の29%を占めています。一方、再生可能エネルギーは総エネルギー供給のわずか3%にとどまり、高所得国の中で最低水準です。この化石燃料依存は健康に直接的な影響を及ぼしており、2022年には人為的な屋外PM2.5大気汚染による死亡が8.1万人に達し、うち7,800人が石炭燃焼、12,600人が交通部門による排出に起因しています。加えて2023年には、日本の化石燃料補助金の純額が703億ドルに達し、炭素価格収入がこれを下回るネット・ネガティブな状態となっています。

加えて、食事と食料システムも、日本における気候と健康の関係において重要な側面です。赤肉・乳製品の消費は日本の農業消費関連排出量の約29%を占めますが、2000年以降これらに関連する排出量は27%減少しており、一定の進展が見られます。公衆衛生面では、2025年版データは日本において年間約19.4万人の死亡が果物・野菜・豆類・全粒穀物・ナッツ・種子類といった栄養価の高い植物性食品の摂取不足と関連しており、さらに約1.19万人の死亡が乳製品・赤肉・加工肉の過剰摂取と関連していると推計しています。


考察:健康を中心に据えた気候政策に向けて

ランセット・カウントダウンが示すエビデンスに基づき、日本の気候ガバナンスならびに国際的コミットメントに関連する四つの優先領域を提示します。

  1. 高齢化社会に対応した熱アクションプランの整備
    急速な熱波曝露の増大と世界最高水準の高齢化が重なる日本において、暑熱は特に深刻な公衆衛生リスクをもたらします。前節で示した死亡・労働損失のデータは、現行の適応策が急速に加速するリスクに追いついていないことを示しています。対応には、保健医療・都市計画・労働政策・社会的ケアにまたがる包括的な国家熱アクション戦略が必要です。具体的には、クーリングセンターへのアクセス拡充、低所得高齢世帯への冷房費用支援、熱中症防止のための労働安全規制の強化、都市緑化と暑熱対応インフラへの投資などが挙げられます。また、一人暮らしや社会的支援が限られた高齢者を守るための早期警戒システムと健康モニタリングの強化も重要です。地域間のインフラ格差を踏まえ、低所得世帯や地方コミュニティへの冷房アクセスの公平性にも配慮が必要です。

  2. 沿岸適応と健康レジリエンス
    日本は沿岸工学・洪水対策において長年の経験を有していますが、沿岸気候リスクの健康的側面は必ずしも十分に考慮されてきませんでした。2018年に制定された気候変動適応法は、5年ごとの国家的影響評価サイクルを制度化しており、健康優先事項を沿岸適応計画に統合するためのガバナンス枠組みを提供しています。今後の課題は、この評価サイクルにおいて、物理的・経済的被害指標と同様に健康成果を主要な評価基準として位置づけることです。実践的には、低地の医療施設の気候耐性評価と必要に応じた移転・補強、洪水リスクの高い沿岸都市での上下水道インフラ整備による水系感染症リスクの低減、将来の浸水想定区域での新規高密度開発を抑制する土地利用計画の見直し、そして繰り返す洪水や移転を経験するコミュニティへのメンタルヘルス・精神的サポートの拡充が求められます。

  3. 化石燃料補助金の健康・クリーンエネルギーへの転換
    日本が年間703億ドルを投じる化石燃料補助金は、政策転換の大きな好機を示しています。この資金の一部を再配分するだけでも、公衆衛生と気候の双方を守る投資を支援できます。クリーンエネルギー開発・気候適応インフラ・医療システム強化への段階的な補助金転換は、大きな便益をもたらしうるものです。再生可能エネルギー、熱対策、保健医療人材育成への投資は、排出削減と公衆衛生レジリエンスの強化を同時に実現します。諸外国のエビデンスが示す通り、クリーンエネルギー投資は雇用創出・技術革新・長期的な経済成長をも牽引しうるものです。

  4. 食と気候の健康共便益(コベネフィット)機会の活用
    食は、気候政策と公衆衛生の目標が強く重なる領域でありながら、他の部門と比較して政策的注目が低い分野です。課題は、すでに見られる進展を基盤として、植物性食品を中心とした食生活への転換を加速させることにあります。転換を支える政策として、健康と環境の双方を反映した食事ガイドラインの改訂、学校給食・病院食などの公的食事提供プログラムへの植物性食品の組み込み、消費者が食の健康・環境影響を把握できる表示制度の整備、農業生産の変化に伴う農業者への移行支援などが挙げられます。こうした食の転換は、温室効果ガスの削減、心血管疾患・がんなどの慢性疾患の予防、土地・水資源への負荷軽減という複合的な便益をもたらします。高齢化の進展と医療費の増大に直面する日本において、より健康的で持続可能な食糧システムへの転換は、公衆衛生と環境の両面で重要な役割を果たすでしょう。


結び:2027年に向けた行動の呼びかけ

ランセット・カウントダウン2025年版グローバル報告書が発するメッセージは明確です。気候変動はすでに人間の健康を損ない、そのリスクは急速に拡大しています。現在の排出軌跡が続けば、2100年までに約2.7℃の気温上昇が生じ、医療システム・経済・社会に深刻な影響をもたらします。同時に報告書は、行動する余地はまだあることを強調しています。化石燃料使用の迅速な削減と、気候適応・公衆衛生システムへの投資強化によって、これらのリスクは大幅に軽減でき、人々の健康を守ることができます。

気候変動対策と公衆衛生の向上のために、ランセット・カウントダウンが示すエビデンスに真摯に向き合い、気候変動対策の中心に人の健康を置く政策を支持していかなければなりません。そして、人間の健康と、私たちが依拠する自然システムの健全性が不可分であるという認識を社会全体で共有することが求められます。気候政策を経済の負担と見なす認識から脱却し、それを文字通りの「命綱」として捉える視点への転換が、今こそ求められています。

 

【参考文献】

 

【執筆者のご紹介】

ヒーリングス セリナ(日本医療政策機構 プログラムスペシャリスト)
菅原 丈二(日本医療政策機構 副事務局長)

 

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