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【HGPI政策コラム】(No.59)―プラネタリーヘルスプロジェクトより―「第13回:人と地球の健康な未来を拓く看護: プラネタリーヘルスの視点がもたらす変革」

【HGPI政策コラム】(No.59)―プラネタリーヘルスプロジェクトより―「第13回:人と地球の健康な未来を拓く看護: プラネタリーヘルスの視点がもたらす変革」

<POINTS>

  • 気候変動・感染症・災害の頻発など、複合的な社会課題が医療に影響を及ぼす中、看護職には地球環境を含む広い視野が求められている
  • 看護学教育モデル・コア・カリキュラムに、「プラネタリーヘルス」の視点が初めて正式に位置づけられた
  • 環境と健康の統合的視点の導入は、学部教育にとどまらず、現任看護職の学び直しや地域ケアの強化にもつながる重要な契機となる


はじめに

近年の社会環境は、少子高齢化・人口減少による医療供給体制の変容、そして新興・再興感染症の流行や頻発・激甚化する災害などの困難に直面しています。世界保健機関(WHO: World Health Organization)は全世界における健康と福祉への既存の脅威が観測されていると指摘しています。特に高温の影響は年々深刻化しており、日本国内でも高齢者を中心に熱中症による健康被害が急増しています。このような状況に対応するため「医療を取り巻く時代の変化に対応して自ら課題を設定し、論理的思考力、グローバルなコミュニケーション等によって、新たな価値やビジョンを創造し、積極的に社会を改善していく資質・能力を有する」[1]看護人材の育成は喫緊の課題です。このような背景の下、文部科学省は2023年7月より「看護学教育モデル・コア・カリキュラム」の改訂を開始し、新課程は2026年度(入学生)からの運用開始を予定しています。今回の改訂では、学んだ内容や時間などプロセスを重視するコンテンツ基盤型教育から、学生が卒業時点までに獲得すべき知識、スキル、態度・価値観などを4段階に構造化し、そのアウトカムを重視するコンピテンシー基盤型教育への転換が重要視されています。

プラネタリーヘルスとは:人と地球の不可分な関係

今回初めて「プラネタリーヘルス」という言葉が看護学モデル・コア・カリキュラムに追加されました。プラネタリーヘルスとは、人の健康と地球の自然システムの健全性が密接に関連しているという認識に基づく、学際的な研究分野であり、社会運動でもあります。気候変動や環境破壊は、単なる環境問題に留まらず、熱中症の増加、感染症の拡大、食料不安、精神的ストレスなど、多様な健康問題を引き起こす要因となります。私たちは、地球環境の危機が、私たちの健康の危機であることを認識する必要があります。

看護師は、個々の患者のケアに加え、家族や地域社会全体の健康増進にも深く関与する専門職です。未来の看護師には、目の前の患者の健康課題が、より広範な地球環境の変化と深く関連しているという視点が不可欠です。環境の持続可能性にも配慮した看護実践を通じて、個人とコミュニティの健康を守ることが求められます。

[1] 看護学教育モデル・コア・カリキュラム本文の、「1-2.社会が看護学教育に求める2040年に向けた人材像」にて提示されている。


HGPIの提言:既存の教育への統合と再整理

日本医療政策機構(HGPI)は、2024年に実施した「日本の看護職者を対象とした気候変動と健康に関する調査 」の結果に基づく形で、今回の看護学教育モデル・コア・カリキュラムの改訂に対する提言を行いました。今回の提言においては、プラネタリーヘルスに関する新しい項目を単純に追加するのではなく、既存の項目に含まれる文言や考え方を修正することによって、未来にわたる環境や健康に関する視点を教育内容に組み込むことを重視しました。すでに、看護学教育の中にはプラネタリーヘルスと関連する様々な視点が含まれており、それを再整理するだけでも、十分にプラネタリーヘルスについて学びを深めることが可能です。

新カリキュラムでは、医療環境や社会環境と健康の関連性を理解する能力の記載が強化され、特に「地球環境・社会環境と人間の健康の相互関係、すなわちプラネタリーヘルスの観点について理解している(SO-01-02-03)」という到達目標が明記されました。医学教育モデル・コア・カリキュラムにおいては2019年に「気候変動と医療」の項目(コード 2019年版 ME-5-16→2022年版 SO-04-03)が追加されましたが、「プラネタリーヘルス」に関する記載は、今回の看護学モデル・コア・カリキュラムが初めての事例となります。

また、今回のモデル・コア・カリキュラム改訂に際して、関連法規には地球温暖化対策推進法など、環境に関する法律も追加されました。看護職が社会や環境に関わる法令や制度への理解を深めることは、その役割の拡大に伴い一層重要となっています。

プラネタリーヘルスの視点は、看護師の「地球の健康と人の健康は不可分である」という価値観の育成、環境変化が健康に与える影響に関する専門知識の習得、そして環境に配慮したケアや、環境由来の健康課題への対応といったスキルの獲得に繋がるものです。例えば、感染予防、環境整備、大規模災害への対応、地域社会における健康支援、健康教育、生活環境の整備といった既存の教育内容に、プラネタリーヘルスの視点を織り交ぜることで、学生は地球環境と健康の繋がりをより深く理解し、変化する社会に対応できる包括的な看護実践能力を培うことが期待できます。また、症候別看護、基本的看護技術、フィジカルイグザミネーション、臨床判断といった多岐にわたる教育内容において、その基盤となる知識や判断能力を養う過程で、環境要因が健康に与える影響を常に意識することが重要です。


未来への展望:プラネタリーヘルスが導く看護の進化

看護学教育モデル・コア・カリキュラムにプラネタリーヘルスの視点が統合されることは、変化する社会のニーズに応え、地球規模の健康課題に対応できる看護人材を育成する上で、重要な意義を持ちます。今後、実際の看護学教育の現場において、この視点がどのように具体化され、実践に繋がる教育が展開されていくか、その進捗が注視されるべきです。


今後の課題と展望

新カリキュラムへのプラネタリーヘルス視点の明記は大きな前進ですが、教育現場での実効化には課題も残ります。各看護教育機関では教員への研修や教材の整備、具体的な授業科目の工夫が求められます。医学教育においては、日本医学教育学会を中心に国内の大学関係者が協働してオンライン教材の開発を進めるなどの取組も行われており、相互連携をおこないながら看護学教育においても準備を進めることが期待されます。

国際看護師協会は2018年に「看護師は気候変動に適応・緩和しつつ回復力のある保健医療システムを構築する行動をリードすべき」と提言し、2024年にはCOP29のヘルスデーに合わせて、より重要度が高まっていると提言を更新しています。HGPIによるすでに臨床現場で働いている看護職者に対する調査でも、約72%の看護職者が「気候変動は看護職にとって重要課題」と回答し、80%が「気候変動と健康について学ぶ必要がある」と答えており、その必要性は看護現場で広く認識されています。しかしながら、実際に学ぶ機会があったと回答とした看護師は1割程度であり、看護職の生涯学習として継続的に育む仕組み作りも必要です。

現在、厚生労働省においては、「2040年を見据えた保健師活動のあり方検討会」が実施され、訪問看護推進連携会議(日本看護協会・日本訪問看護財団・全国訪問看護事業協会)は、「2040年に向けた訪問看護ビジョン」策定の議論が進められています。このような現任教育に関連する活動のビジョン等にプラネタリーヘルスの視点が反映され、すでに現場で活動している看護師・保健師への教育の機会や実践の機会が生まれることを期待します。気候変動の影響が世界的に拡大する中で、看護職がその最前線で果たす役割はより重要性を増しています。国際的にも国内的にも、適応と緩和の双方に貢献できる看護人材の育成が急務とされています。

 

【執筆者のご紹介】

鈴木 秀(日本医療政策機構 シニアアソシエイト)
菅原 丈二(日本医療政策機構 副事務局長)

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