【開催報告】第108回HGPIセミナー「COP27での議論の最前線:気候危機と健康」(2022年12月5日)
日本医療政策機構では、地球と人間の健康を持続可能とするためにプラネタリーヘルスという視点に立ち、日本が取り組むべきアジェンダと次の打ち手を明らかにすることを目指しアドバイザリーボードを立ち上げました。
今回のHGPIセミナーでは、公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES: Institute for Global Environmental Strategies)でビジネスタスクフォースディレクターを務められている松尾雄介氏と東京大学大学院医学系研究科 国際保健政策学教授の橋爪真弘氏をお招きし、国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27: The 27th Conference of the Parties to the United Nations Framework Convention on Climate Change)での議論の最前線と健康についてお話しいただきました。
<講演のポイント>
- 気候変動は「極端現象の頻度増加」「気温上昇による生態系の変化」など様々な経路で人間の健康に影響を及ぼす
- 気候変動という問題について、「地球温暖化」という穏やかなイメージではなく、「気候危機」という安全保障・人権にかかわる深刻な問題という認識に改める必要がある
- COP27では、損失と損害という分野において、進展が得られた一方で、緩和策の推進に関して、利益相反に関する課題も表面化した
- 社会(健康・医療分野含む)が気候変動対策を推進するために、「一人ひとりの努力」を求めるのではなく、解決のための「政策・制度」を作ることが必要である
■なぜ「今世紀末までに2℃の気温上昇」が問題なのか?
(橋爪氏)気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)第6次評価報告書には、今世紀末までに2℃(または4℃)の気温上昇というシナリオが提示されている。今世紀末までに数十年あるが、徐々に気温が上がることは人間の健康にどのように関係するのか。特筆すべきは下記2点である。
- 極端現象の頻度が増加するため
一つ目に、極端現象、つまり豪雨や洪水、熱波や干ばつなどの異常気象が増加することが挙げられる。まず豪雨や洪水に関しては、災害という側面だけでなく、二次的に健康被害をおこす事も問題となる。例えばバングラデシュでは、洪水後にコレラの大流行が発生してきたというデータがある。1996年から2003年にかけて、ダッカ市内の下痢症の専門病院の毎週の患者数を時系列でプロットしたデータによると、洪水後にコレラ患者数が増えていることが分かる。1998年の雨季に前例のない大雨が降り川の水位が危険水位を越えた際には、首都ダッカ市内の50%以上が浸水した。結果として、衛生状態が悪化し、コレラが大流行したため医療施設が野戦病院の様相になり、多くの患者が病院へ運ばれることはもちろん、平時の診療は後回しにされる状況となった。
また、これは予測ではなく既に世界各地で起こっていることだが、熱波に曝露される人の数が世界中で増加している。65歳以上の高齢者が熱波に曝露した年間述べ日数の推移(1986-2005年を基準)×熱波への曝露人数(10億人日)を示したデータによると2010年台以降、熱波に曝露した人日数が増加し、直近では30億人日程度、熱波に曝露している。
- 生態系は(人間以上に)気温上昇に敏感であるため
二つ目に、生態系は人間以上に気温上昇に敏感であるため、今世紀末までに2℃(または4℃)という一見緩やかに見える変化であっても、生態系は大きく影響を受けるという事実がある。
マラリアやデング熱などを節足動物媒介感染症と言う。気温の上昇に伴って、これらの媒介動物の生息地が現在よりも広がる可能性がある。デング熱媒介蚊であるネッタイシマカ、ヒトスジシマカに関しては、病気の伝播のしやすさの指標である基本再生産数の変化割合(%)は、直近で7-13%増加している。また、マラリア感染可能な(暖かい)月数は、1950年から2020年の間、人間開発指数(HDI: Human Development Index)の低い国では39%増加、HDIが中等度の国でも15%増加しており、開発途上国ではマラリアの発生リスクが増加していると言える。
1. 2.の他にも、図1のように気候変動は様々なルートで健康に影響を及ぼしている。これらの健康影響への対策は、緩和策と適応策の両輪で進める必要がある。その詳細については、松尾氏の発表に譲る。
図1
■気候変動を「気候危機」と捉える文脈を知る必要がある
(松尾氏)過去10年ほど、いかに企業が気候変動を理解し、行動するかについて尽力してきた。最近は、気候変動の文脈の中で「健康」という言葉はキーワードとして関心が高いと考えている。気候変動に関しては、現象についての知識をただ知るだけではなく、文脈を知ることが解釈の助けになる。本日はその文脈についてもぜひ知っていただきたい。
まず日本は、この問題に関する言葉の扱いの重さが海外とは異なる。日本では依然として「地球温暖化を防ぐ」という言葉を聞いたり、擬人化された地球がハンカチで汗をふきながら暑そうにしている絵を見たりする機会がある。しかし海外では、気候変動は「社会安定への重大な脅威」であり、もはや地球温暖化を止めることは出来ないが、取り返しがつかなくなる前に「軟着陸」を目指すという認識がますます広がっている。科学誌Nature Climate Changeは「ペルシャ湾岸の高温多湿化で、30年後に『生存限界』を迎える可能性」と伝え、また医学誌Lancetは「(気候変動の影響により)過去50年の医療進歩が帳消しに」なると指摘している。カーボンバジェットの試算などから「軟着陸」のためには気温上昇を1.5℃に抑えることが重要だと考えられているが、裏を返せば、1.5℃を超えると複数事象が「ティッピングポイント」を超え、連鎖的・不可逆的な影響を招いてしまう可能性が指摘されている。
さらに、気候変動は人権問題という観点でも語られることが多くなってきた。ペルシャワール会・医師の中村哲氏は、長年支援してきたアフガニスタンが大干ばつに襲われる頻度が増え、「気候変動が地域と生活を破壊している」と伝えた。また、元国連人権高等弁務官メアリー・ロビンソン氏は、「(気候変動に関心を持った)きっかけは、食べ物や安全な水、健康、教育や住居といった国民の権利に気候変動が大きな影響を与えていることを知ったときでした」と発言した。日本の外に目を向けると、気候変動はもはや環境問題にとどまらず、移民や難民、安全保障などと並ぶ最大の人道問題であることを伝えている。
■COP27の論点と結果〜損失と損害(Loss & Damage)〜
2022年11月にエジプトのシャルム・エル・シェイクで開催されたCOP27の主な論点は下記二つ。
- 途上国における気候被害への対応(損失と損害)
近年、途上国は先進国に比べてCO2排出量が少ない場合が多いにも関わらず、被害を受けるのは貧しい開発途上国の住民であるという不公平をなくす「気候正義(Climate Justice)」について、「損失と損害」というテーマで議論が進んできた。「損失と損害」では、緩和策により気候変動を緩和し、適応策により被害を軽減した上でも避けられない被害(損失と損害)について、対応するための技術的・金銭的援助や補償に関して議論が行われている。例えば日本のCO2排出量はアフリカ55カ国と同規模であり、一人当たり排出量では、日本はアフリカ諸国平均の約8倍である。先進国は、途上国が求める資金協力について長年交渉を拒んできた。しかし今回のCOP27で初めて、途上国において健在化した気候変動の悪影響に伴う被害について、資金協力をするための新たな基金設置に先進国が同意した。この点については、「歴史的・画期的」、「やっと気候正義がもたらされた」等の声が上がっており、背景には大洪水や熱波による健康被害についての報告の影響もあるとみられる。
- 1.5℃目標の達成に向けた排出削減の強化
現状の各国目標では1.5℃目標に届かず、2.4-2.6℃上昇となってしまうとの報告がある。これを踏まえて現状と1.5℃目標達成シナリオのギャップを埋めるため、「途上国の目標引上げ」「2025年に世界排出のピークアウト」「世界で化石燃料削減へ合意」などが今回の論点であった。しかし、結果として中国やインドなどの多排出国による削減目標引上げは見られず、石炭削減などの国際協調の強化にも大きな進展はみられなかった。
今回のCOP27の結果に影響した点として、大規模なロビー活動がある。COP27には600人以上の化石業界の代表が参加し、この数は昨年比25%増で過去最大規模であった。これに対して若者代表からは「化石業界のロビー活動がCOP27の結果を歪めた。これらの『利益相反行為』を防ぐ仕組みを作るべき」との声も上がった。また、化石燃料ロビー活動に屈せず1.5℃目標を堅持するための賛同レターへの署名が、急遽COP27開催期間中に参加者へ呼びかけられる場面もあった。これまでロビー活動は暗に行われることが多かったが、今回は表に出てくる動きもあり、関係業界にとって良くも悪くも気候変動対策が重要事項として取り扱われていることが伺える。
その他、世界保健機関(WHO: World Health Organization)およびウェルカムトラスト(Wellcome Trust)によって開催されていたヘルスパビリオンでは「失われた繋がり:気候と健康の接点を理解する(The missing link: Understanding the intersection of climate and health)」と題した基調講演が行われるなど、健康に関するトピックが注目を集めていた。また、気候と健康の関係について毎年特集号を出版している医学誌ランセットの委員会は、「気候変動は医療にとっても21世紀最大の脅威」と訴え、熱波による心疾患や幼児・高齢者への影響、デング熱の増加、食糧不安、栄養状態悪化など様々な健康への影響について述べた。松尾氏が事務局長として参加した日本企業グループとランセット委員会との対話の中では、日本を含むアジアにおいて、気候変動と健康に関するイニシアチブの認知度が低いことが指摘された。解決策としては、関係省庁の縦割りによる議論の煮詰まりを打破するため、官邸や自治体を巻き込みながら制度作りを進めていく重要性が示唆された。
■なぜ気候変動対策は難しいのか
気候変動対策が難しいとされる主な理由は主に二つある。
一つ目は、「影響の、時間的・空間的な広がり」である。気候変動の影響はまだ見ることのない将来や、顔の見えづらい途上国に現れがちであるため、今現在の自らの行動を変える理由を実感しにくい。そのため、「自分ごと」になりにくい問題に取り組む難しさがある。
二つ目は、「外部不経済・公共財問題」である。現在CO2の排出は「タダ」であるが、削減にはコストがかかる。そのため現状では対策をする人だけがコストを負い、その便益は社会全体が享受する仕組みになっている。自らはコストを負わずに利益だけを享受する「フリーライダー」が多いことが問題となっている。この問題の性質を鑑みれば、よく言われる「一人ひとりの努力」などではなく、解決のための「政策・制度」が必要である。その一方で、政策導入には、各業界の支持や世論(認知)も必要であるため、声を上げ続けることには意味がある。
日本でも変化の兆しはあり、東京医科歯科大学の研究チームが温暖化(気温上昇)と糖尿病のリスクについての分析結果を発表したり、自民党の熱中症対策議連が温暖化の健康影響への備えを提言したりする動きがある。いずれにせよ、気候変動は「健康」に一定の影響を与え、影響・解決の両面で、健康・医療分野は気候変動対策の鍵を握る。必要なのは、スピード感のある政策転換である。
【開催概要】
- 登壇者:
松尾 雄介 氏(公益財団法人 地球環境戦略研究機関 ビジネスタスクフォース ディレクター)
橋爪 真弘 氏(東京大学大学院 医学系研究科 国際保健政策学 教授) - 日時:2022年12月5日(月)19:00-20:30
- 形式:オンライン(Zoomウェビナー)
- 言語:日本語
- 参加費:無料
- 定員:500名
■登壇者プロフィール:
松尾 雄介(公益財団法人 地球環境戦略研究機関 ビジネスタスクフォース ディレクター)
三和銀行、ESG専門投資顧問を経て2005年より現職。ルンド大学産業環境経済研究所修士課程修了(環境政策学修士)。一貫して気候変動と企業をテーマとした研究、実践活動を実施。現在は日本気候リーダーズ・パートナーシップの事務局長を務める傍ら、グローバル企業のアドバイザー等も務める。2010年度エネルギー・資源学会茅奨励賞、環境省NPO・企業環境政策提言最優秀賞等の受賞がある。また、著書に「脱炭素経営入門(日本経済出版社)」がある。
橋爪 真弘(東京大学大学院 医学系研究科 国際保健政策学 教授)
英国ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(LSHTM)博士課程修了、2012年長崎大学熱帯医学研究所教授、同熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授(兼任)を経て2019年東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教授。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第2作業部会主執筆者、世界保健機関技術諮問委員会委員(Global Air Pollution and Health, Climate Change and Environment)、中央環境審議会専門委員(気候変動影響評価等小委員会)を務めている。
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