【開催報告】第53回特別朝食会「日本政府の交渉責任者が見据える世界の健康を守るルール作り:「パンデミック条約」の展望」(2024年1月31日)
この度、赤堀毅氏(外務省 地球規模課題審議官)をお招きし、第53回特別朝食会を開催いたしました。
2022年1月から地球規模課題審議官(大使)を担われている赤堀氏に、「日本政府の交渉責任者が見据える世界の健康を守るルール作り:「パンデミック条約」の展望」についてご講演いただきました。
<講演のポイント>
- 日本は人間の安全保障を外交理念の中核として推進し、その基盤である国際保健分野での取り組みを通じて、グローバルヘルスの課題への対応に貢献してきた。
- 2022年5月には日本の国際保健に関する基本方針として、グローバルヘルス戦略を策定し、その中でグローバルヘルス・アーキテクチャー(GHA)構築への貢献及びユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を政策目標とした。また、2023年のG7広島サミット及び長崎保健大臣会合では、1. グローバルヘルス・アーキテクチャー(GHA)、2. ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)、そして3. 研究開発(R&D)を中心に、日本が議長国としてG7各国の議論を主導した。
- そのような取組の中、新型コロナウイルスの教訓を踏まえWHO加盟国間で世界の健康危機への対応能力の構築・強化に関する議論が行われた結果、2021年にいわゆる「パンデミック条約」作成のための政府間交渉会議(INB)の設置が決定され、現在まで交渉が継続している。
- 将来のパンデミックへの予防、備え、対応強化のため、「パンデミック条約」の作成等を通じた国際的規範の強化は、グローバルヘルス・アーキテクチャー(GHA)構築の観点からも重要であり、日本としても建設的に議論に貢献していく考えである。
日本の国際保健分野での取組み
日本は従来から国際保健外交を重視していたが、特に2000年のG8九州沖縄サミットでは感染症対策を大きく取り上げ、これがグローバルファンドの設立につながった。その後も日本がG7(G8)及びG20議長国の際は、国際保健外交をサミットの柱として取り上げてきた。日本が外交理念の1つとして人間の安全保障を推進するなかで、その中核かつ基礎が保健であり、これがなければ経済発展も立ちゆかなくなるといった考えから、国際保健外交の強化に一貫して取り組んでいる。最近ではグローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund: Global Health Innovative Technology Fund)など国際的に多くの機関や官民連携基金などが立ち上がり、国際保健が主流化されている。
そのような取組の中で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な感染拡大(パンデミック)をきっかけとして国際社会の中で、いわゆる「パンデミック条約」と国際保健規則(IHR: International Health Regulations)の改正の議論が進められている。「パンデミック条約」の条約案は現在交渉中であり、その正式名称も確定していないため、この場では仮称として一般的に使用されている「パンデミック条約」を用いながら、日本政府の取組について概要をお伝えする。この「パンデミック条約」とIHRの改正は、外務省と厚生労働省の二人三脚で、他の関係省庁とともに日本政府代表団が一丸となって臨んでいる交渉である。
日本の基本方針と貢献
日本は2022年5月に国際保健に関する基本方針として、グローバルヘルス戦略を策定した。グローバルヘルスは人々の健康に直接関わるのみならず、経済・社会・安全保障上の大きなリスクを包含する国際社会の重要課題であり、人間の安全保障の観点からも重視すべきであり、人類と地球との共存という視座からも考える必要のある地球規模課題である。国際保健に世界的に貢献していくことによって、良好な国際環境が醸成され、国益にもつながると考えている。特に感染症は、気候変動とともに国境を越えた課題であり、地球規模課題の典型例である。
グローバルヘルス戦略の政策目標の一つは、健康安全保障に資するグローバルヘルス・アーキテクチャー(GHA: Global Health Architecture)の構築への貢献であり、パンデミックの予防、備え及び対応(PPR: Prevention, Preparedness, Response)の強化である。グローバルヘルス戦略の中では、国際規範の強化に貢献することが明記されており、「パンデミック条約」作成への取組はまさにその一部を成している。
グローバルヘル戦略のもう一つの政策目標として、より強靭より衡平より持続可能なユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC: Universal Health Coverage)の達成に向けた保健システムの強化を実現することがあり、政策面・理念面・実践面で、国際協力機構(JICA: Japan International Cooperation Agency)や国際機関を通じて実践していくことを目指している。
UHC達成に向けた様々な取組やCOVID-19対策を含めた日本の支援が役立ち、諸外国からは多くの謝意をいただいている。日本の国際保健外交にとって1つの山場となったのが、2023年のG7広島サミットおよび長崎保健大臣会合であり、集中して取り組んだ。その成果として、1. グローバルヘルス・アーキテクチャー(GHA)、2. ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)、そして3. 研究開発(R&D)をG7広島首脳コミュニケにおける保健分野の3つの柱として整理し、日本が議長国として取組をまとめた。
さらに、2023年9月に開催された国連総会のハイレベルウィークには140カ国の首脳がニューヨークに集結し、国際的なコンセンサスの醸成がなされた。特に、9月20日には「パンデミックの予防・備え・対応(PPR: Prevention, Preparedness and Response)」、21日には「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC: Universal Health Coverage)」、そして22日には「結核(Tuberculosis)」の3つの保健分野に関わるハイレベル会合(HLM: High Level Meeting)が行われた。また、これまでの日本の国際保健分野での取組やG7サミットにおけるリーダーシップなどが評価され、岸田総理はビル&メリンダ・ゲイツ財団が主催する「2023年グローバル・ゴールキーパー賞」を受賞した。
国際保健規則(IHR)の改正と「パンデミック条約」の背景
世界保健機関(WHO: World Health Organization)には、国際交通及び取引に対する不要な阻害を回避し、疾病の国際的拡大を防止、防護、管理することを目的とした国際保健規則(IHR: International Health Regulations)がある。このIHR では、空港、港湾及び陸上越境地点における日常の衛生管理や緊急事態発生時の対応等に関して各国が整備すべき基本的能力が規定されている。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の経験を経て、WHO加盟国の間で2005年に改正されたIHR (2005)をより良くするために、再び改正する動きが生じ、国際的に合意可能な改善点や課題について議論が行われている。
それとは異なる動きとして、このIHR改正だけでは不十分であるといった声が上がり、2020年11月のG20リヤド・サミットで、ミシェル欧州理事会議長が、パンデミックに関する国際的な条約作成の必要性に初めて言及し、2021年1月のWHOの執行理事会ではCOVID-19の状況を念頭に、IHR(2005)を補完する形で将来のパンデミックを予防し、国際的な協力の下でより迅速に対応できるよう法的拘束力を伴う条約の作成が提案された。2021年5月に開催されたWHO総会ではWHO強化作業部会を設置し、パンデミックのPPRに関する条約、協定又はその他の文書を検討し、同年の11月末にWHO特別総会を開催して議論を行うことを決定した。そのWHO特別総会では主に以下の点が決定された
- 2022年3月1日までに政府間交渉会議(INB: Intergovernmental Negotiating Body)の初回会合を開催する
- INBは新規国際文書の要素を検討し、新規国際文書の形式(条約、協定、規則、その他)を決定する
- INBは、新規国際文書とIHRの間に重複や矛盾がないよう、WHO強化作業部会と連携する
- INBは、第76回総会(2023年5月)に進捗状況を報告し、第77回WHO総会(2024年5月)に成果物を提出する
- 加盟国は、部分改正を含めたIHRの強化の議論を継続する
2022年に開催された第1回政府間交渉会議では、交渉の立ち上げや方法、形式等についての議論が行われ、内容に関する実質的な議論は第3回目頃から開始された。現在、第7回再開会合まで行われており、2024年2月に第8回、3月に第9回政府間交渉会議が予定され、成果物を出す期限が2024年5月となっている(2024年1月現在)。
(編集者追記:2024年6月1日には第77回WHO総会において、IHR(2005)の改正がコンセンサスで採択され、「パンデミック条約」の交渉延長が決定されました。)
今後の見通し
交渉の成果物の提出期限である2024年5月まで約4か月となった現在、良いものを作りたい、良いものを作るにはもう少し時間が必要だと考え始めている国も出始めている。多様な声があるが、G7での連携や新興国との議論を経て、いつまでにどういうものをまとめるのか、何があれば成功なのか、何が必須なのかという議論を今後進める必要があり、日本としても建設的に議論に貢献していきたいと考えている。なお、現在交渉に使用されている、第1章(序論)第3条の一般原則及びアプローチの内容に「主権」という言葉が入っている。条約の議論を進める上で各国の主権は重要であり、これには各国政府から異論は出ていない。
先行きが見えづらい現状ではあるが、現在どういう状況で日本の外交交渉団が、日本の国益、または次のパンデミックの備えになるかという観点から真剣に交渉に参加しているということをご紹介した。
講演後の会場との質疑応答では、条約としてのあり方や、グローバルヘルス戦略などについて、活発な意見交換が行われました。
(写真:井澤 一憲)
■プロフィール
赤堀 毅(外務省 地球規模課題審議官)
1966年8月25日生まれ。東京大学法学部第二類卒業後、1989年に外務省入省。1991年フランス国立行政学院卒業(国際行政修士)。フランス国立東洋言語文化学院国際関係修士コースを中断し、在フランス大使館勤務。1994年に帰国後、南東アジア第一課課長補佐、国連政策課課長補佐、大臣官房総務課総括課長補佐、条約局法規課首席事務官、北米局北米第一課首席事務官。2004年から在アメリカ合衆国日本国大使館参事官(経済部→政務部)。2007年に帰国後、アジア大洋州局北東アジア課日韓経済室長兼朝鮮半島政策調整官(日韓EPA交渉、六者会合経済エネルギー作業部会代表代理、KEDO代表代理等担当)、大臣官房広報文化交流部文化交流課長。2011年から外務大臣秘書官。2012年12月から国際法局条約課長。九州大学及び国際大学で講師(国際法実務)。2015年9月から国際連合日本政府代表部政務公使(2016年から2年間の日本の安保理任期中、ポリティカル・コーディネーターを務める。)。2018年7月から大臣官房参事官兼G20サミット事務局長(大使)。2019年7月から総合外交政策局参事官兼サイバー政策担当大使。2020年8月から総合外交政策局審議官兼国連・サイバー政策担当大使。2019年から2021年まで開催されたサイバーセキュリティに関する第六次国連政府専門家グループ(GGE)の構成員25名の1人。2021年8月から国際協力局審議官(地球規模課題担当)兼気候変動交渉担当大使。2022年1月から地球規模課題審議官(大使)。同年6月からGaviワクチンアライアンス理事。
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