【開催報告】第121回HGPIセミナー「グローバルヘルス課題としてのAMR -低中所得国と高所得国の視点を包摂した抗菌薬のアクセスとは-」(2023年10月30日)
今回のHGPIセミナーでは、米国のシンクタンクであるグローバル開発センター(CGD: Center for Global Development)のシニアフェローのRachel Silverman Bonnifield氏をお迎えし、世界的な健康危機としての薬剤耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)についてお話しいただきました。
Bonnifield氏は、世界的な健康危機であるAMRに対処し、低中所得国含む全ての人々いつでも必要なときにすぐ抗菌薬を使うためには、地理的、経済的、産業あるいは専門分野の境界を越えた連携が必要であると強調しました。
<POINTS>
- 抗菌薬は現代医学で重要な役割を担っているが、AMRの増加は高所得国(HICs: High Income Countries)でも低中所得国(LMICs: Low and Middle Income Countries)でも同様に、世界の健康にとって重大な脅威となっている。
- AMR関連死の90%近くが低中所得国で発生しており、低中所得国はAMRによる負担の大部分を引き受けている。
- 抗菌薬の適正使用(スチュワードシップ)とイノベーションを優先する高所得国と、抗菌薬で治療可能な疾病の継続的な負担に対処するためにアクセス拡大を緊急に必要とするLMICsの利益のバランスをとるために、「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」が必要である。
- 薬剤耐性感染症の負担が比較的大きい日本では「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」は良い契約・条件・取引であり、高い投資利益率をもたらすだろう。
AMRをグローバルヘルスと国際開発の課題として捉える
抗菌薬は、感染症の治療だけでなく非感染性疾患から日常の怪我に至るまで、あらゆる疾患の治療に必要不可欠である。抗菌薬は現代医学のほぼ全てを支えているといえる。日本のような高所得国では、AMR対策は臨床管理の課題として捉えられがちである。しかし、AMRの増加に伴い、抗菌薬の使用と処方、調達、新しい抗菌薬の研究開発等の重要な議論を政府や市民社会の間でも進める必要がある。また、このような臨床管理の課題に留まらない議論こそ国内で政策対話の一部として展開される必要もあるだろう。
日本のみでも毎年約2万人がAMRで亡くなっている。世界的に見ると、その数はさらに多く、年間約130万人がAMRに起因して命を落としている。将来的にこの状況は悪化するだろうが、既に低中所得国はこの負担の矢面に立たされており、AMRによる死の大半は低中所得国で発生している。また、高齢者の死亡が多い高所得国とは異なり、低中所得国でAMRが原因となり命を落とすのは幼い子どもたちである。
そこで、次の3つの視点から、グローバルヘルス課題としてのAMRを再考する。
- 国内の医療保険制度や文脈、疾病負担、人的・金銭的な資源の制約、能力等が大きく異なる国々同士が、どのように協力して抗菌薬の有効性を守っていけば良いのか?
- 抗菌薬の有効性を維持しつつ、極めて深刻な感染症の疾病負荷を軽減するために、より広範でより良いアクセスを確保するにはどうすれば良いのか?
- 新しい抗菌薬のパイプラインを構築し、そのうえで、誰もが新しい抗菌薬を広くなおかつ責任をもって使用できる環境を構築するためにはどのように協力していけば良いのか?
低中所得国と高所得国で異なるAMR対策に関する視点と優先順位
AMR対策では、持続可能な抗菌薬市場に必要な3つの要素として、アクセス、イノベーション、適正使用(スチュワードシップ)という3本脚のスツールを想像して考えることが多い。スツールがスツールとしてあるためには全ての脚が必要であり、どれか1つが欠けても機能しない。例えば、アクセスが担保されても適正使用(スチュワードシップ)が実行されなければ、耐性菌が増加し、イノベーションも阻害される。ただ、適正使用(スチュワードシップ)が進んでもアクセスが広がらなければ、結果的にアクセスが制限される。しかも、製薬企業は抗菌薬を十分に販売できず、利益を生み出せないため、新たな投資ができず、イノベーションは起こらない。もし、イノベーションを促進する他の措置がなければ、イノベーションもアクセスも損なわれる。また、抗菌薬が必要とする人に届かず、アクセスが保障されないままイノベーションが進歩しても不公平感が残り、適正使用(スチュワードシップ)や責任を持った使用が進まない限りは抗菌薬が無駄になる。
高所得国も低中所得国もこれら全ての課題が重要であると同意はしているものの、それぞれの優先順位は異なる。政策立案者とのインタビューからは、高所得国ではイノベーションと適正使用(スチュワードシップ)を優先する一方で、低中所得国ではアクセスが優先されることが浮かび上がった。また、低中所得国では適正使用(スチュワードシップ)は僅かに議論されるが、イノベーションはあまり重視されないことも明らかになった。インタビューを受けた政策立案者の一人は、この違いを次のようにまとめている。
「グローバル・ノースとサウスの間には関心の相違があります。グローバル・ノースは、新しい抗菌薬の製造、研究開発、適正使用、サーベイランスに興味を持っています。これはグローバル・ノースに対するAMRの脅威を特定するためであり、グローバル・サウスを支援するためではありません。グローバル・サウスは、感染症による疾病負荷と感染症の軽減により関心を持っています。」
そのため、低中所得国の間では、「低中所得国こそがAMRの影響を受けているにも関わらず、高所得国が推進する政策対話では必ずしも低中所得国の関心が考慮されているわけではない」という認識がある。
抗菌薬の持続的なアクセスを確保するための「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」
将来、AMRも外交危機に発展すると予想できる。COVID-19やそれに伴うワクチンと医薬品へのアクセスをめぐる争いを思い出すと、抗菌薬でも同様の事態が発生することは想像に難くない。その場合、外交的に極めて困難な状況となり、国家間に多くの問題を生じさせることになるだろう。同時に、抗菌薬の有効性とは希少資源でもある。研究開発のラグタイムを考慮すると、既に緊急措置が求められる段階に到達しており、10年後、20年後、30年後に抗菌薬を使用するためには、新しい抗菌薬の市場の予想図とそれに付帯するアクセスの条件(義務)を今すぐ産業界に周知する必要がある。
そこで、「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」の考え方を導入して、抗菌薬の適正使用とイノベーションを優先する高所得国と抗菌薬へのアクセス確保を優先する低中所得国双方の利益のバランスをとる必要がある。低所得国は抗菌薬が手に入らないというだけの理由で「治療ができない」感染症にも直面しており、「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」では下記の3つを実現する必要がある。
- 高所得国に信用とインセンティブを付与することで、高所得国自身が新しい抗菌薬に投資し、その成果を世界に広く行き渡らせる
- 低中所得国から最後の手段として保存すべき抗菌薬や医薬品の厳格な管理に対する確実な同意を得ながら、低中所得国で必要な抗菌薬へのアクセスを確保する
- 産業界が世界のあらゆる需要に応える新しい抗菌薬の研究開発に引き続き関与し、産業界の関与に対して継続的にインセンティブが付与される
「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」は、高所得国の政府、低中所得国の政府、製薬産業界、国際機関の4者間の契約・条件・取引として構想されている。
- 高所得国の政府は、研究開発に適切な財政措置を行い、臨床試験を支援する
- 低中所得国の政府は、臨床試験を支援し、アクセスと適正使用(スチュワードシップ)の実現に不必要な障壁を低減する
- 製薬業界は、あらゆる国々のニーズを満たす重要な領域における研究開発を実施し、アクセスと入手可能性を確保する
- 国際機関は、国家間の調整を実施し、コミットメントの保証を進める
この「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」は、「全てのステークホルダーは一定の権利と期待を持つが、同時に果たすべき責任も負う」という考え方に基づいており、「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」という建設的な解決策への参加はもはや全当事者間の相互義務といえる。
高所得国にとっての「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」と日本の視点
「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」のもとでは、イノベーションの費用は高所得国が負担する。これは高所得国の主な金銭的義務であり、新しい抗菌薬1種類あたり約45億米ドルのプル型インセンティブが必要と推計されている。今後30年間に18種類の新しい抗菌薬が必要だとすると、名目上の総費用は810億米ドルになる。G7諸国の相対的なGDP比でその費用を按分すると、日本は全体の約10%を負担することになり、その金額は新しい抗菌薬1種類あたり約4億4300万米ドルに相当する。
また、抗菌薬のイノベーションへの投資が本当に金額に見合った価値であるかを測り、日本の視点から投資利益率を考える。そこで、AMRによる感染症の治療で生まれた患者の直接的な健康増進を算出し、その感染症に直接関係する病院費用の回避に注目するために、日本が医療技術評価(HTA: Health Technology Assessment)実施時に使用した政策パラメーターに基づいて10年間と30年間の投資利益率を調査した。調査の結果、わずか1米ドルまたは1円の投資で、10年後には6米ドルまたは6円が回収可能であると明らかになった。つまり、10年間の投資利益率は6対1である。さらに、30年間経過すると投資利益率は28対1に向上すると判明した。他のG7加盟国全てについても試算したところ、どの国でも投資利益率が非常に高く、金額の価値に見合った投資であった。しかも、日本は他の国々と比べてAMR感染症の負担が比較的大きいため、EU、カナダ、英国よりも投資利益率が高くなると明らかになった。
日本の視点から見た「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」の重要な点は下記の通りである。
- イノベーションへの財政的な貢献は国内の観点のみから考えても大きな価値がある
- 最後の手段として保存すべき抗菌薬(AWaRe分類上のReserve相当等)を誤用から守るための正統性と影響力を強化できる(例:世界規模で管理される適正使用のシステム)
- 事前の契約・条件・取引によって、医薬品や特許等のアクセスに関するその後の論争の種となる議論を先取りすることで、世界中の何百万もの命を救うという外交的で利他的な利益をもたらす
AMRの疾病負荷は不均衡である。最貧国はAMRの疾病負荷の多くを抱えていると同時に抗菌薬の不十分なアクセスに苦しんでおり、AMRという危機に立ち向かうためには、臨床、国内政策、国際外交それぞれのレベルで行動が必要である。「グランドバーゲン(包括的な交渉・合意)」は、全関係者の要求を満たしながら、AMR対策における各国の役割と責任を構造化できる可能性があり、日本を含む高所得国にとっても良い契約・条件・取引となるだろう。
【開催概要】
- 登壇者:Rachel Silverman Bonnifield 氏(世界開発センター シニアフェロー)
- 日時:2023年10月30日(月)9:00-10:00(開場8:30)
- 形式:対面(オンライン配信なし)
- 会場:東京都新宿区四谷1-6-1 コモレ四谷 四谷タワー3階 STUDIO&LOUNGE(アクセス)
- 言語:英語・日本語(同時通訳あり)
- 主催:日本医療政策機構/AMR アライアンス・ジャパン
- 協賛:国立大学法人 政策研究大学院大学 グローバルヘルス・イノベーション政策プログラム
- 参加費:無料
- 定員:40名程度
■登壇者プロフィール:
Rachel Silverman Bonnifield 氏(世界開発センター シニアフェロー)
現在の主要な研究テーマは、グローバルヘルス製品の調達とアクセスモデル、グローバルヘルスのイノベーションとデリバリーに向けたインセンティブ、薬剤耐性(AMR)や子どもへの鉛中毒の蔓延等の顧みられないグローバルヘルスの危機、パンデミックへの備えと対応のためのファイナンシング等である。CGDでの職務に加えて、世界銀行に対するコンサルティング業務も幅広く実施しており、最近はプライマリ・ヘルスケアの将来に関する最新のフラッグシップ・レポートも作成した。また、国家民主研究所(NDI: National Democratic Institute)で、コソボ共和国における民主主義とガバナンスの強化プログラムを支援した経験をもつ。ケンブリッジ大学で公衆衛生学哲学修士号(優等)、スタンフォード大学で学士号(優等)を修める。
調査・提言ランキング
- 【調査報告】日本の看護職者を対象とした気候変動と健康に関する調査(最終報告)(2024年11月14日)
- 【調査報告】メンタルヘルスに関する世論調査(2022年8月12日)
- 【政策提言】肥満症対策推進プロジェクト2023「患者・市民・地域が参画し、協働する肥満症対策の実装を目指して」(2024年4月8日)
- 【政策提言】保健医療分野における気候変動国家戦略(2024年6月26日)
- 【調査報告】「働く女性の健康増進に関する調査2018(最終報告)」
- 【政策提言】女性の健康推進プロジェクト「産官学民で考える社会課題としての更年期女性の健康推進政策提言書」(2024年7月31日)
- 【調査報告】「子どもを対象としたメンタルヘルス教育プログラムの構築と効果検証」報告書(2022年6月16日)
- 【調査報告】「2023年 日本の医療の満足度、および生成AIの医療応用に関する世論調査」(2024年1月11日)
- 【調査報告】 日本の医師を対象とした気候変動と健康に関する調査(2023年12月3日)
- 【調査報告】日本の看護職者を対象とした気候変動と健康に関する調査(速報版)(2024年9月11日)