【開催報告】第113回HGPIセミナー「がん個別化医療(がんゲノム医療)の現状と課題」(2023年3月2日)
今回のHGPIセミナーでは、国立がん研究センター 東病院 病院長の大津敦氏をお招きし、がんゲノム医療について、現状と課題から最新の研究開発の動向等まで、包括的にお話しいただきました。
<講演のポイント>
- がんゲノム医療とは、遺伝子解析(「遺伝子パネル検査」等)を行って、その結果に基づいて、最適な治療薬を投与するものである。日本でも、この数年間で徐々に広がりつつあるが、十分に普及しているとはいえない
- がんゲノム医療が十分普及しない要因としては、(1)専門人材や施設の不足、(2) 遺伝子パネル検査を行うタイミングや検査回数の制約、(3) 遺伝子パネル検査の結果を評価するエキスパート・パネルの業務負担、(4) 遺伝子変化(変異以外に、増幅・融合等が含まれる)にあった治療方法が見つかる確率の低さ等、様々なものがある
- 承認薬を増やすためには(遺伝子変化にあった治療方法を増やすには)、治験の登録数を増やしていくことが重要となる。そのため、現在、 (1) 国立がん研究センター東病院が中心となって治験情報を医師がよりタイムリーに共有できるようなシステムを構築している。また、(2) SCRUM-Japanというゲノム医療開発プラットフォームを活用して、治験を効率化しており、これによって、薬剤承認が効率的に得られるようになってきている。このほか、(3)地方在住の患者が治験実施施設に来院しなくても、オンラインで治験を受けられる「分散型臨床試験(DCT: Decentralized Clinical Trials )」にも期待が集まっている
- 血液検査によってがん細胞の遺伝子変化を調べる「リキッド・バイオプシー検査」の活用が広がっている。これによって、患者の心身の負担を減らしながら、検査開始から治療までの期間(TAT: Turnaround Time)を短縮することが出来ており、治験登録率も大幅に向上している。また、ctDNA(がん細胞のDNAが細胞死などにより血液中に漏れ出したもの)による微小残存腫瘍の検出によって、がんの再発可能性を判断できるようになることが期待されている
- ゲノム解析だけを進めても、がんを進行させる遺伝子変化(ドライバー遺伝子)があまり発見できていない。また、近年、抗体薬物複合体(ADC: Antibody-drug conjugate)、放射性医薬品、中分子創薬などの新しい創薬技術での成功事例が続き、創薬環境の重点は、RNAや蛋白質等の情報を含めて幅広く解析して(「マルチオミックス解析」)、治療薬の標的を探索する方向に移りつつある
■「がんゲノム医療」とは、遺伝子解析に基づいて最適な治療薬を投与するもの
「がんゲノム医療」とは、「患者の組織の遺伝子を調べて、それに見合った治療薬を投与する」というものである。がんを進行させる遺伝子変化(ドライバー遺伝子)は、これまでいくつも見つかっているが、それに適合した分子標的薬を投与した患者のほうが、ドライバー遺伝子のない患者やドライバー遺伝子があっても変化に適合した薬を投与しなかった患者に比べ、生存率が上昇している。
遺伝子検査の方法としては、数百もの遺伝子を同時に解析する「遺伝子パネル検査(がんゲノムプロファイリング検査)」のほか、最近では血液中に漏れ出たがん細胞のDNAを調べる「リキッド・バイオプシー検査」も急速に広まっている。
■がんゲノム医療は十分には普及していない
がんゲノム医療については、日本では2019年に遺伝子パネル検査が保険で認められてから、徐々に広がりつつあるが、十分に普及しているとはいえない。がん患者の年間の死亡数 約38万人(2021年度)のうち、半数以上は、本来であればゲノム医療の対象となりえたと考えられるが、実際のがんゲノム検査の実施件数は年間1.4万人程度にとどまっている。
■がんゲノム医療の普及に向けては複数の課題が存在している
がんゲノム医療が十分普及しない要因には様々なものがあるが、主な点を挙げると以下のようなものがある。
(1) 専門知識を持った医師や対応できる施設が限られていること(検査等は、がんゲノム中核拠点病院・拠点病院・連携病院<合計243施設[1](講演当時)>でしか行えない)
(2) 遺伝子パネル検査を行えるのは、「標準治療終了後(見込みを含む)」に限定されており、実施回数も生涯で1回しか認められていないなど、制約が大きいほか、患者の状態が悪化する中では、検査結果を数週間も待つことが実際に難しいこと
(3) 遺伝子パネル検査の結果を評価する「エキスパート・パネル」については、担当しているがんゲノム中核拠点病院・拠点病院の関係者の業務負担が非常に大きいこと
(4) 適合した分子標的薬を持ったドライバー遺伝子はまだ少ないことから、仮に遺伝子パネル検査を実施したとしても、遺伝子変化にあった治療方法(承認薬や、適合する治験)が見つかる確率は低いこと、そして、そのため臨床医ががん患者にがんゲノム医療を試みる意欲がわきにくいこと
(5) がんゲノム医療をうける患者の臨床データをC-CAT(がんゲノム情報センター)[2]に登録する必要があるが、その入力業務の負担が重いこと
■がんゲノム医療はまだ完成された医療ではない
前述の通り、現時点では、遺伝子パネル検査をしたとしても、適合する治療薬に到達する確率はかなり低い。また、仮に同じ遺伝子変化があったとしても、あるがん種で効くとされた薬剤が他のがん種ではさほど効かない場合があり、遺伝子変化(ドライバー遺伝子)ごとに、あるいは臓器別に効果を治験の中で地道に研究していく必要がある。このように、がんゲノム医療はまだ完成された医療とはいえない。
■がんゲノム医療を患者に届けるには「治験」が重要である
保険診療以外で患者ががんゲノム医療を受ける選択肢としては、(1)治験、(2)患者申出療養試験(NCCH1901など)、(3)適応外使用(承認薬を、薬事承認されていない効能・効果、あるいは用法・用量で使用すること)がある。
(1)治験では、被験者の費用負担はなく、また、そこでよい結果が得られれば、薬事承認・保険収載がなされていき全国で使えるようになる。一方、(2)患者申出療養では、企業から薬剤供給される場合には、患者の費用負担はないが、データがその後の薬事承認へ結びつくかが不透明といった課題がある。また、(3)適応外使用の場合には、個人輸入となるため、高額な費用を自己負担する必要があるほか、海外でもエビデンスが十分揃っていない大部分のケースでは、有効性が得られず、副作用ばかりの場合も多い。
こうした点を考えると、日本でより多くの患者にがんゲノム医療を患者に届けていくためには、日本での治験実施数および治験への登録患者数を増加させ、より多くの薬事承認を得ていくことが、やはり重要となる。
■治験の登録率向上のための仕組み作りが重要となる
どこの施設でどのような治験が実施されているといった情報が、エキスパート・パネルの実務担当者の間で十分に共有されると治験の登録率が上がった、という報告があるが、こうした研究結果を踏まえて、現在、国立がん研究センター東病院を中心として治験情報をよりタイムリーに共有し、被験者とマッチングすることを目指した「アカデミア・アセンブリ」という組織を構築中である。
また、世界的な流れとして「分散型臨床試験(DCT: Decentralized Clinical Trial)」が広がっている。従来の治験では、(遠方にある)治験実施施設に直接赴かないといけないことが治験参加の制約となっているが、DCTでは、デジタル機器を使ったオンライン診療や薬剤の宅配等を利用することによって、被験者がわざわざ来院しなくても治験を受けられるかたちにしており、これによって治験の地域格差を解消できる可能性がある。
■SCRUM-Japan(ゲノム医療開発プラットフォーム)を活用し、治験を効率化している
ゲノム医療における治療薬の研究開発の分野においては、「SCRUM-Japan [3]」というプラットフォームを2015年に設立し、できるだけ早く有効な薬を開発して、患者に届けることを目指している。現在、全国のアカデミア施設が210登録しており、製薬会社18社と共同で多数の治験を行い、臨床ゲノム・データベース(4万例以上蓄積)をオンラインで共有している。この結果、創薬や薬事承認取得のための新たなエビデンス創出に関する論文が多数出ている。また、これまでに遺伝子変化にあった適合薬を投与する治験(企業ないし医師主導治験)は127本実施され、遺伝子適合治験の登録症例数も1,200例を超えているので、そうした患者には確実に適合薬が届けられている。そして、最終結果報告まで至った32試験のうち14件が薬事承認を取得した(2022年8月時点)。このように短期間でかつ非常に高い確率で薬事承認を取得できている。
SCRUM-Japanは、2015年に肺・消化管から開始し、2019年にはすべての固形がんに拡大して取り組んできた。これにより、固形がんについては、ドラッグ・ラグは相当解消しつつある。一方、まだ取り組めていない血液がん分野では、欧米で2020年初までに承認された薬剤のうち30種以上が日本では未承認であり、課題となっている。
■リキッド・バイオプシー検査によって、がんゲノム医療の改善がはかられている
SCRUM-Japanでは、2019年からは、血液検査でがん細胞の遺伝子変化を調べる「リキッド・バイオプシー検査」を、初回検査を行う際の主体としている。がん組織を採取することは、患者負担が大きいことから複数回行うことは厳しいが、採血することで出来るリキッド・バイオプシー検査であれば、患者負担が小さく、また検査結果も早くわかるメリットがある。例えば、消化器がんでは、がん組織検査であれば1か月かかるところ、リキッド・バイオプシー検査では10日間くらいで結果が得られるため、検査開始から治療までの期間(TAT)の短縮や、治験登録率の大幅な向上に寄与している。
さらに、固形がんの術後に、ctDNA(がん細胞のDNAが細胞死などにより血液中に漏れ出したもの)の検出ができない(=ctDNA陰性となる)患者は、がんの再発リスクが殆どないことが分かってきている。こうしたことから、術後のリキッド・バイオプシー検査で「微小残存腫瘍(MRD: Minimal Residual Disease)」を解析することで、「再発リスクを抑えるための補助化学療法は、ctDNA陽性となった患者だけを対象にする」といったように、再発リスクに応じて治療法の選別が出来る可能性がある。現在、MRDをモニタリングして補助化学療法を最適化する治験等が進められているが、こうした研究の結果が明らかとなり、実臨床が大きく変わることが期待される。
■がんゲノム医療の創薬のコストを下げるための工夫が必要
がんゲノム医療の創薬分野における課題をみると、(1)対象となる症例が少ないことから、被験者を集めるための膨大なスクリーニングが必要でコストがかかること、(2)創薬企業としては、市場規模が小さいので、開発意欲がわきにくいことがある。これに対しては、例えば、(a)治験の中で比較試験をわざわざ構築しなくても、信頼できる外部の臨床データ(RWD: Real World Data)と比較することで薬剤承認をえられるような仕組みを作ったり(「規制対応レジストリ」の利活用)、(b)薬剤の適応を他のがん種にも拡大する際に、薬事承認の基準を緩和したりすることがポイントとなる。また、希少疾患については、医師主導の治験をすすめたりしている。
■ADCや中分子医薬品の開発等によって、新たな治療の可能性が生まれている
最近は、がんゲノム研究だけを進めても、新たなドライバー遺伝子の発見はあまり増えてきていない。一方で、近年、抗体薬物複合体、放射性医薬品、中分子創薬などの新しい創薬技術での成功事例が続いている。すなわち、遺伝子変化よりも細胞膜タンパク発現を標的としたより効果の高い抗体医薬品や、従来創薬標的とならなかった頻度の高い遺伝子変化への分子標的治療薬の開発など、創薬環境の重点は、RNAや蛋白質等の情報を含めて幅広く解析する(「マルチオミックス解析」)方向に移りつつある。
その中で、近年新しい創薬技術として注目されているものとしては、(1)抗体薬物複合体(ADC: Antibody-Drug Conjugate)や、(2)中分子医薬品がある。
(1)ADCは、抗体に抗がん剤をつけたものであるが、HER2というドライバー遺伝子に対して高い効果のあるトラスツズマブ デルクステカン(Trastuzumab Deruxtecan: T-DXd)〈エンハーツ〉がよく知られている。このT-DXdは、HER2の少ない症例であっても十分効果が認められることから、免疫染色によってHER2の有無を確認することだけで、治療方針を立てられる可能性がある。そうなると、わざわざ遺伝子パネル検査を行う必要もなくなる。
(2)中分子医薬品は、分子量でみて、一般の低分子量の薬とこれまでのバイオ医薬の中間にあたる大きさの薬である。中分子医薬品を使った療法の一つであるペプチド受容体核医学内用療法 (PRRT: Peptide Receptor Radionuclide Therapy)の代表的な事例としては、神経内分泌腫瘍に効くルテチウムオキソドトレオチド〈ルタテラ〉がある。
中分子医薬品については、多くのがんで見つかるにも拘わらず、これまで治療法がなかったKRAS遺伝子変化等への治療効果も期待されている。
このほか、新たな創薬の標的を見つけるべく、投薬をした際の腫瘍の周囲の変化も含めた詳細なデータを集めて、組織・血液について幅広く解析する取組み(「MONSTAR-SCREEN2[4]」)を全国50施設とともに行っている。
■遺伝情報に基づく差別を禁止するため、法整備を急ぐべき
遺伝情報に基づく社会的差別が起こらないように遺伝情報保護法を整備する必要があり、欧米の方ではすでに法制化されている。日本では、超党派の議員連盟が、前回の臨時国会に法案を提出したが審議に入れなかった。今回の通常国会で法制化されることを期待している。
[1] 「がん診療連携拠点病院等とは」(厚生労働省ホームページ): https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/gan/gan_byoin.html
[2] https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/
[3] http://www.scrum-japan.ncc.go.jp/
[4] http://www.scrum-japan.ncc.go.jp/monstar_screen/monsterscreen2/index.html
【開催概要】
- 登壇者:大津 敦 氏(国立がん研究センター 東病院 病院長)
- 日時:2023年3月2日(木)18:30-20:00
- 形式:オンライン(Zoomウェビナー)
- 言語:日本語
- 参加費:無料
- 定員: 500名
■登壇者プロフィール:
大津 敦(国立がん研究センター 東病院 病院長)
1983年東北大医学部卒。国立がん研究センター東病院臨床開発センター長(2008~2012)、国立がん研究センター先端医療開発センター長(2013~2016)を経て2016年より同東病院長。専門は腫瘍内科学。日本臨床腫瘍学会理事・国際委員長、日本癌学会副理事長、米国臨床腫瘍学会国際委員、日本癌治療学会国際委員会副委員長などの学会活動と各種厚生労働省主任研究者、厚労省、文科省、PMDAなど多数の専門委員、評価委員などを歴任。AMED革新がん事業領域3プログラムオフィサー(2015~)兼任。
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