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【開催報告】第111回HGPIセミナー「考えよ、問いかけよ」(2023年1月19日)

【開催報告】第111回HGPIセミナー「考えよ、問いかけよ」(2023年1月19日)

2023年初回となる第111回HGPIセミナーは、日本医療政策機構代表理事の黒川清と同理事・事務局長/CEOの乗竹亮治による対談形式で開催しました。

あらゆる事象を鵜吞みにせず「なぜ」と問い「自らの頭」で考えることの重要性を説く「考えよ、問いかけよ」の内容に触れながら、当機構のこれまでの歩みと今後の展望について講演いたしました。

<講演のポイント>

  • 「考えよ、問いかけよ」を執筆された想いや背景について
  • 黒川先生の歩まれたグローバルキャリアと米国でのご経験について
  • これまでに試みてきた改革の数々
  • 透明性とアカウンタビリティについて
  • リベラルアーツ教育、「なぜ」の問いかけの重要性と日本の教育に対する警鐘

 

■『考えよ、問いかけよ「出る杭人材」が日本を変える』(毎日出版社)を執筆された想いや背景

乗竹:“「出る杭人材」が日本を変える”というタイトルであるが、本書を書かれた先生の日本に対する想い、危機感について伺いたい。

黒川:タイトルの「出る杭人材」をわざわざ括弧書きにしているが、その理由は、世界では当たり前のことが日本において「出る杭」とされ、特別なことだと思われるからである。その根本的な原因には人材流動性の低さにあると考える。大企業であるほどその認識が強く、移動の不自由さが保身や出世のための「忖度」となり、意見・異論を言わなくなる。本来、会社や大学などの組織に所属する際には、良いところがあれば気兼ねなく移ればよいと常々考えている。


■黒川先生の歩まれたグローバルキャリアと米国でのご経験について

乗竹:黒川先生の歩まれたグローバルキャリアについて、特に1969年、アポロ11号が月面着陸されたタイミングでのペンシルバニア大学においてハワード・ラスムッセン教授から受けた3つの指摘について伺いたい。

黒川:ラスムッセン先生はペンシルバニア大学の医学部の生化学部門長で、「1.ポスドクは独立した研究者であり、自分の考えを表明し、プロフェッショナルたれ」「2.2年をかけ独立した研究者としての立場を証明せよ。また、テーマは与えられるものではなく、グループの研究テーマから大きく外れていなければ自分のやりたいことをやるように」「3.英語に関し、わからないことは直ちに「わからない」と伝えよ」と教わった。教授から与えられてテーマを研究するつもりでいた身としては衝撃的であった。そして、「この先生をびっくりさせるようなことをしよう」との決意が一つの大きな転換であったと言える。

その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)に場所を変えたが、当時、アメリカはジョン・F・ケネディ大統領暗殺やロバート・ケネディも暗殺未遂が起こり、不穏で特別な緊張感の漂う時期ではあった。社会に不安感があふれていたものの、図書館は24時間開館しており、一時の社会情勢によって学術に対する支援を止めないための機運を感じた。また、当時米国の物価水準は、給与が1年間で2,000ドルから3,000ドル。ひと月にして250ドル、それがアメリカでは普通であり、それなりのアパートを借りて豊かな生活をすることができた。一方、日本においては、慢性腎不全患者への血液透析に関する研究論文で1967年に医学博士の学位を取得、その後1年間虎ノ門病院分院で経験を積み32歳で東京大学医学部第一内科に戻り助手を務めた上で国家公務員の月給は1968年70ドルといった時代背景であった。

日本国内において、3年間は助手ポストを東大が担保してくれていたため、期間内で帰る予定でいたが、所属する組織や肩書ではなく、仕事内容で評価されるアメリカの大学の面白さに目覚め、充実した生活により滞在を延長し続け、人生の分岐点で私は米国を選んだ。米国では臨床に近いテーマもあり、かつ米国内でも難易度が高く有名であったカリフォルニア州での医師ライセンスを得ることを考えた。その際も、大学間のヨコの移動に日本のようなしがらみがなく、ラスムッセン教授はUCLAのチャールズ・クリーマン教授に推薦状を書いてくれた。州による試験ののち、米国では内科の専門免許取得試験が存在した。折よく腎臓内科の専門医制度が始まったタイミングであった。米国においては、誰かのグラントによる研究をしている場合には雇用とはみなされず、税金未払いの扱いである。医師免許を取り患者を診る過程を経て徐々に金銭的な安定に至った。

一方、雇用は恒久的ではなく年金等制度もないシビアな環境でもあった。それでも居住が長くなり、アパートを徐々に大きくし、プール付きの家屋を持つようなことも可能になった。大学の給与でこのような生活ができるということに満足であった。

アポロのタッチダウン、第二子誕生、メモリアルイベントがありながら、当時はサバイバルのため人生において最も勉強をした時期でもあった。


■これまでに試みてきた改革の数々について

乗竹:日本の研修医構想、メディカルスクール構想への変革の元になったご経験について伺いたい。国内での残りの課題は専門医認定、家庭医を育てるところが政策課題となっている。東海大学においてどのような改革をされたのか。

黒川:米国においてもメディカルスクールの改革期にあった。ちょうどAppleの登場時期と重なる。恩師の尾形悦郎教授のお誘いで東京大学医学部第一内科教授として日本に帰国し大学院改革に従事したが、なかなか改革が進まなかった。東大で定年まで勤めあげれば退職金は満額支給されたはずだか、「医学部長に」とのお誘いをいただいた東海大学が変わろうとしているのは感じていた。結果的に東海大学では私が提案したアイディアを実現、拡大することができた。その後医学生を海外の大学や病院へ留学させる仕組みは他大学にも広がった。人生今になりやはりやってよかったと思っている。

乗竹:1997年日本において臓器移植法が成立し、臓器移植専門委員会の委員長の任につかれたが、2003年脳死移植の厚生労働審議会についても伺いたい。

黒川:腎臓は提供しやすいことからその移植はされていたが、脳に関しては、脳死の決定について延々と議論が継続していた。私は委員会の全面公開を条件に委員長を引き受けた。移植医から市民代表までのマルチステークホルダーによる議論のプロセスそのものをメディアへ開示し、公開で議論を見せるべきだと訴えた。参加者をランダムに指名し、プレスの面前にて意見を募った。

乗竹:2011年、日本の憲政史上初めて国会に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会では、その会議においてもユーチューブで公開、同時通訳もつけ、様々な勢力からにらまれる役割を買ってでたが。

黒川:当時、国を揺るがす大事故でありながら独立した調査委員会が発足されなかった。発生当初からメディアを通じた経過が注目される中、政府や東京電力の正式なニュースや発表は実際に福島で起きていることのすべてを開示していない状況、海外の主要メディアなどによる分析報道と政府発表との乖離がまずいと感じた。この日本の国際的な信用の失墜の危機に対し、ただその公開するのではなく、日本がどう分析するか、なぜ起こったのかエンジニアが解明しなければならないと思っていた。当時超党派的に議員会館に呼ばれ、事故発生から9か月後ようやく日本のタスクフォースに任命されたが、わが国にとり不都合なことを公表することに対する恐怖もあった。それでも私は委員長として透明性・公開性こそが日本の信頼性回復には欠かせないと考え、全20回の委員会では主要人物への聞き取り調査などの様子をネット中継など全面公開した。


■透明性とアカウンタビリティについて

黒川:日本国内においては、アカウンタビリティ(accountability)とは「説明責任」と訳されることが多いが、それは典型的なロストイントランスレーション(lost in translation)である。アカウンタビリティには本来、「自分の与えられた責務、責任を果たすこと」という意味がある。日本の縦社会では、自己紹介の折に組織名を述べることがあるが、海外の場合はプロフェッションを答える。その辺りに日本におけるアカウンタビリティの誤った認識が見て取れる。

乗竹:確かにアメリカのやり方がすべてただしいわけではないが、U.S. Navyなどでは組織図にアカウンタビリティという項目とリスポンシビリティという項目とがあり、それは確かによく見るチャートである。


■リベラル・アーツ教育、「なぜ」の問いかけの重要性と日本の教育に対する警鐘

乗竹:エンジニアリングも重要であるが、本来のリベラル・アーツとは?

黒川:アメリカでは大学への入学に際し日本のような「学力一発勝負」のような試験は行われない。日本の教育は大学への入試をターゲットとし、メモリーだけを重視している。難関大学への入学時に必要とされるこの能力がその後生かされているのはクイズ番組だけである。米国ではまた文系理系を分けることをしない。高等教育の真の目的とは何なのか、今一度見直すべきである。例えば、プリンストン大学ではトマス・ホッブスの「リバイアサン」、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの「共産党宣言」等といった古典を読むことを推奨する。日本においては、戦後の経済成長においてアメリカ占領軍に追随し即席的な対応行ったことが成功体験となり、その成功経験を今に至るまで引きずってしまっていることに課題があると感じている。現代、人間は暗記ではなく本物の思考力を問われるようになった。この時代の真の高等教育とは単純な知識ではなく、本物の思考力を養うものであるべきである。

乗竹:黒川先生からは朝まで考え続け、一睡もしていないという話を聞いたことがあるが。

黒川:「なぜ」との自問自答を繰り返し夜中から朝まで熟考し続けることもある。答えのない問題を解決する必要があり、また、何が問題なのかさえわからない状況において、適切な問題そのものを設定する能力を養うことが本来のリベラル・アーツである。現在のウクライナの状況についても憂慮している。原発の存在とそれへの攻撃について、リスクをどうとらえているのか。他国の状況より転じ、現在わが国の原発はだれが守っているのか。過去米国での911の際には我が国に対しても同時期に2度の警告が来ていたことを思い出していただきたい。あらゆる課題に対し、自分だけの(Why)を突き詰めてほしい。

乗竹:先生とお話をしていると、根本的な質問で終始してしまうことが多々あり、インスパイアリングな経験である。先生の若さの秘訣は先生がずっと考えているところ、そしてそれを魅力に感じて周りに若い人たちが常にいることではないか。


■HGPIへの期待とこれからについて

乗竹:HGPIは独立・中立なシンクタンクとして、クリーンかつリーンな経営を維持してきているが当機構への期待とこれからについて一言いただきたい。

黒川:ジャパンアズナンバーワンが終わりこの30年日本のGDPは増えておらずフラットな状態にある。低迷するのは経済ばかりでなく、論文数においても主要国において唯一横ばいである。日本とは対照的に中国は研究論文数を増やし、今や米国を抜いて初めて世界トップとなった。日本だけが科学研究力の競争に取り残されてしまっている。こうした事実は喧伝されず、プレスには政治に対する遠慮を感じる。メディアによる権力に対するウォッチドック機能に期待をしたい。日本の民主制度がより機能することを願う。HGPIは中立なシンクタンクとして存在し、ヘルスポリシーでは65か国中3位、グローバルヘルス35か国中3位。国からの支援なしに運営が実現している。可能な限り忌憚のない意見を持ち透明性を担保して若い人、女性の活躍を願う。若者には海外へ出、日本を外から眺めてほしい。その経験が日本をよくしたいという思いにつながる。あなたたちは将来を担っている。


【開催概要】

  • 登壇者:
    黒川 (日本医療政策機構 代表理事)
    乗竹 亮治(日本医療政策機構 理事・事務局長/CEO)

  • 日時:2023年1月19日(木)19:00-20:30
  • 形式:ハイブリッド(オンライン Zoomウェビナーおよび、会場 Global Business Hub Tokyo)
  • 会場:Global Business Hub Tokyo ノースおよびセントラルフィールド
    (〒100-0004 東京都千代田区大手町1-9-2 大手町フィナンシャルシティ グランキューブ3階 Global Business Hub Tokyo)
  • 言語:日本語
  • 参加費:無料
  • 定員:会場参加50名・オンライン500名
  • 参考:考えよ、問いかけよ「出る杭人材」が日本を変える」(毎日新聞出版 2022年10月25日)著者 黒川 清



■プロフィール:

黒川 (日本医療政策機構 代表理事)
東京大学医学部卒。1969-84年在米、UCLA医学部内科教授、東京大学医学部内科教授、東海大学医学部長、日本学術会議会長(2003-06年)、内閣府総合科学技術会議議員(03-06年)、内閣特別顧問(06-08年)、WHOコミッショナー(05-09年)などを歴任。国会による東京電力福島原発事故調査委員会委員長(11-12年)、 グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)代表理事・会長(13-18年)、内閣官房健康・医療戦略室健康・医療戦略参与(13-19年)など。現在、世界認知症審議会(WDC: World Dementia Council)委員・副議長、新型コロナウイルス対策の効果を検証する国のAIアドバイザリー・ボードの委員長、政策研究大学院大学・東京大学名誉教授。東海大学特別栄誉教授。

乗竹 亮治(日本医療政策機構 理事・事務局長/CEO)
日本医療政策機構設立初期に参画。患者アドボカシー団体の国際連携支援プロジェクトや、震災復興支援プロジェクトなどをリード。その後、国際NGOにて、アジア太平洋地域で、官民連携による被災地支援や健康増進プロジェクトに従事。また、米海軍による医療人道支援プログラムをはじめ、軍民連携プログラムにも多く従事。WHO(世界保健機関)’Expert Consultation on Impact Assessment as a tool for Multisectoral Action on Health’ワーキンググループメンバー(2012)。政策研究大学院大学客員研究員(2016-2020)。東京都「超高齢社会における東京のあり方懇談会」委員(2018)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、オランダ・アムステルダム大学医療人類学修士。米国医療支援NGO Project HOPE プロボノ・コンサルタント。



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