【HGPI政策コラム】(No.63)保健医療政策として、権利としての「住宅政策」へ
<POINTS>
- 住環境の質(断熱・バリアフリー等)は私たちの健康に大きな影響を与え、住宅の存在は在宅医療・在宅介護の基盤でもある。住宅は、公衆衛生・医療政策の一部としても位置づけるべきである。
- 現状の住宅政策は、住宅ローン減税等の持ち家優遇制度や企業の住宅福利に依存しているといった特徴があり、これは世帯間格差を拡大させる。公営住宅供給も主要先進国と比べ不十分である。
- 短期的には家賃補助・緊急入居支援の拡充、中期的には持ち家優遇の再設計と公営住宅拡充、長期的には住生活基本法への医療・健康理念の明記など、社会保障としての住宅政策を構築すべき。
「HGPI政策コラム」は、2019年7月に認知症プロジェクトの一環として開始し、現在では60本を超えるコラムが掲載されています。最近では、認知症プロジェクトに限らず、当機構の様々なプロジェクトが発信の場としてコラムを執筆しています。コラムのテーマは既存のプロジェクトに限らず、特に縛りはありません。そこで今回はこれまで当機構で扱ったことのない「住宅政策」に焦点を当ててみたいと思います。
私は、住宅政策を単なる「産業振興」や「資産形成」の枠で議論することに違和感を持っています。住まいは私的な財産であると同時に、健康・就労・社会参加と深く結びついた公共的な基盤でもあるからです。本稿では、保健医療政策の観点から住宅の重要性を整理し、現状の政策構造(持ち家優遇、企業福利依存、公営住宅の供給不足)が抱える問題点を指摘したうえで、住宅を「権利」として位置づける社会保障への転換を提案します。付言しておきますが、もちろんこうした視点は、すでに学術的にも議論されています。例えば社会学者の祐成保志氏は、「モノ」としての「住宅」、つまり単なる住宅供給の問題ではなく、「コト」としての「住まい」、つまり居住という生活の継続性を保障する社会的制度としての重要性について議論しています。
まず、保健医療政策から見た住宅の重要性です。WHOでは2018年に『Housing and health guidelines』を公表し、住宅と健康に関するエビデンスを示しています。住環境の質(断熱・換気・防カビ・バリアフリー・住宅内の安全設計など)は、呼吸器疾患や循環器疾患、転倒・骨折、さらにはメンタルヘルスにまで影響を及ぼします。また冬季の低室温は心血管イベントやヒートショックのリスクを高め、過密やカビは喘息やアレルギーの増悪要因になります。加えて、訪問診療や訪問介護といった在宅医療は「居住」が前提であり、居住が不安定であれば地域包括ケアの機能は成り立ちません。さらに、居住は地域コミュニティへの参画を支える基盤であり、孤独・孤立対策や社会的資本の形成にも寄与します。ここから明らかなのは、住宅は単なる住居の問題ではなく、公衆衛生・医療政策の一部であるということです。
この点について、政府の議論にも変化が見られます。2024年12月に公表された「全世代型社会保障構築会議 報告書」では、「地域共生社会の実現」という項目の中で、取り組むべき課題として「住まいの確保」が掲げられました。主な対象としては「住まいに課題を抱える者」という限定性はあったものの、住まいの不安定さが他の社会サービスへのアクセス障壁になるという認識は、政府内でも一定の理解を得たと言えるでしょう。しかし、実際の政治争点にその認識が十分反映されているかと問えば、疑問が残ります。直近2025年の参議院選挙では主要争点が「経済対策」「物価高」といった点を多くの政党が争点として掲げたものの、「消費減税か一時給付か」といった議論に終始し、生活の下支えとしての住まい政策(居住の安定、住宅の健康性確保、公営住宅の拡充など)に関する広範な議論はほとんどなく、一部政党が公約集に「住宅手当の創設」を盛り込んでいた程度でした。経済の安全網を論じるのであれば、住宅を含む生活基盤の保障が不可欠であることは、もっと活発に議論されても良かったのではないか、と思うのです。
次に、日本の住宅政策の現状を整理します。代表的な政策である住宅ローン減税をはじめとする持ち家優遇策は、住宅取得を促す一方で、恩恵が課税所得のある世帯に偏りやすく、賃貸世帯や低所得世帯には届きにくいという分配上の問題をはらんでいます。また、公営・ソーシャル住宅の供給比率は主要先進国と比べて低く、公的セーフティネットとしての機能が限定的です。こうした構造は、住宅を主に「市場」や「個人の資産」に委ねる姿勢を固定化し、居住の安定という社会的目的と乖離しています。
さらに背景として見落とせないのが、戦後から高度経済成長期にかけて形成された「企業による福祉の肩代わり」構造です。多くの企業が社宅や住宅手当を福利厚生として提供し、労働者とその家族の居住を部分的に支えてきました。この企業中心の福利モデルは、長期雇用と相まって一定の安定をもたらしましたが、バブル経済崩壊以降の経済成長の停滞や雇用の流動化に伴い、その見直しの必要性も指摘されるようになっています。しかし依然として、大企業では住宅手当や社宅を提供する割合が高く、従業員規模が大きい企業ほど住宅手当を支給する割合が高く、支給額も相対的に大きい傾向にあります(厚生労働省「就労条件調査」)。一方で、中小企業や非正規就業者にはこうした企業由来のセーフティネットが及びにくいため、企業依存の福利構造は世帯間・世代間の不均衡を増幅するリスクがあると言えるでしょう。さらに住宅福利は「ロックイン効果」を生み、転職や地域移動、リスキリングの妨げになるケースがあるため、現代の政策目標と相反する面があるのです。
以上を踏まえ、私は住宅を「権利」として位置づける社会保障への転換を提案します。短期的には、賃貸世帯向けの家賃補助や緊急入居支援の拡充、地域の空き家活用による相談支援付き住宅の整備を推進すべきです。中期的には、住宅ローン減税を含む持ち家優遇措置の再設計(若年・低所得者や改修投資により重点を移す)と、公営・ソーシャル住宅の戦略的な供給拡充、既存住宅の断熱・バリアフリー改修支援を進めるべきです。長期的には、住宅政策における医療・福祉的要素の統合が必要と考えます。例えば、2006年に制定された住生活基本法には医療や健康に関する言及はなく、法改正によってこうした理念を明記することも一案と言えるでしょう。
あえて付け加えると、企業が提供してきた住宅福利を一方的に否定するのではなく、その利点(採用・定着支援)を尊重しつつも、現代の雇用動向や労働者のニーズを踏まえ、公的な居住保障を強化して企業依存を段階的に是正する設計が現実的です。選挙や政策議論の場で、住宅を生活の下支え・健康インフラとして位置づける視点がより顕在化することを願いつつ、当機構の取り組みとしても何らかのアクションができないか考えていきたいと思います。
【執筆者のご紹介】
栗田 駿一郎(日本医療政策機構 シニアマネージャー)
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