【HGPI政策コラム】(No.29)-プラネタリーヘルス政策チームより-第2回:公衆衛生におけるプラネタリーヘルスの位置づけと近年のグローバルな動向-
<POINTS>
- 現在プラネタリーヘルスが注目されている背景には、グローバル化にともなう人間活動の変化による公衆衛生が扱う領域の歴史的な変遷がある
- 2015年に掲げられたSDGsとパリ協定の採択、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行などが、プラネタリーヘルスへの注目の高まりに繋がっている
- 2022年のG7では、ヘルスケア分野の組織や個人が気候変動と健康の関係維持に取り組み、専門家としての教育・訓練に取り入れ、好事例を共有することが宣言されている
はじめに
日本医療政策機構(HGPI)では、脱炭素化という世界の大きな潮流において注目されつつあるプラネタリーヘルスの領域で新たな取り組みを開始しました。地球と人間の健康を持続可能とするため、マルチステークホルダーと協働し日本全体が取り組むべきアジェンダを明らかにし、理解を深め、国内外に発信するとともに次のステップのきっかけを作ることを目指します。シリーズ第2回目となる本コラムでは、まず公衆衛生におけるプラネタリーヘルスの位置づけについて考察した後、前回に引き続いて世界におけるプラネタリーヘルスの近年の動向について紹介します。
公衆衛生における位置づけ
~インターナショナル(International)、グローバル(Global)そしてプラネタリーヘルス(Planetary Health)へ~
「プラネタリーヘルス」という言葉は、1980年代までは文字通り「惑星の健康」、つまり地球という惑星の健康という意味で使われていました。その頃はまだ、公衆衛生領域の研究者や世界保健機関(WHO: World Health Organization)などの組織も、気候変動や地球の生命維持システムの破壊が人間の健康にまで影響を与えるとは認識していませんでした。*1 しかし、第1回のコラムでもご紹介した2015年頃から、プラネタリーヘルスは「地球を略奪することによって人間が被る影響」を指す意味で使われています。ここでは公衆衛生領域におけるプラネタリーヘルスの位置づけを再確認するために、健康に関する概念の変遷をたどります。
古代ローマ時代の上下水道の整備など、紀元前にも現代の公衆衛生に通ずる取り組みは存在しました。時は経ち1700年代、個々の患者の治療にとどまらない、大衆の健康を支えるための衛生学(Hygiene)が提唱され始めます。*2 個人の疾病にとどまらず集団を扱うようになった公衆衛生(Public Health)は、法律や行政機構による制度化によって各国内で確立されていきます。さらに1800年代後半には植民地に住む自国の住民の健康を守るため、熱帯地域特有の疾病に対処することを主な目的とした熱帯医学(Tropical Medicine)が広まりました。熱帯地域に開発途上国が多いことから、資源の少ない開発途上国での保健医療問題を他国からの保健衛生上の介入で解決していく、各国の主権・領土・国民を意識した、主に二国間で行われるインターナショナルヘルス(International Health)の分野が発展します。そして1990年頃からは、工業化や交通手段の発達に伴い、HIV/AIDSや鳥インフルエンザなどの疾病が瞬く間に世界に広がる時代となります。国境により隔てられた「国」を単位とした考え方から国境を跨いだ世界共通の課題に対して保健活動を行う重要性が強調され、インターナショナルヘルス(International Health)からグローバルヘルス(Global Health)という言葉が使われるようになってきました。*3*4 また2004年頃からは、人獣共通感染症を焦点にして人間だけでなく動物や環境も一体として考えるワンヘルス(One Health)という考え方も登場してきました。
プラネタリーヘルス(Planetary Health)の概念は、この流れを汲んで生まれました。ワンヘルス(One Health)との主な違いの一つは、他の生態系よりも人間の健康への影響に焦点を当てていることです。*5 そしてグローバルヘルス(Global Health)と比べると、持続可能な人間の健康の在り方という点で、関連する「分野」と「時間」の広がりが特徴的だと言えそうです。関連する分野としては、医療・保健分野にとどまらず、すべての生態系や経済・開発など横断的な分野が分析の対象に含まれます。また、これまでワンヘルスの中で注目されていた生態系や土地利用の変化に加えて、気候変動や大気汚染なども地球の環境変化として考慮されています。そして、時間の広がりとしては、現在地球上にいる人間のみを対象とせず、将来世代の健康にまで責任を持って持続可能性を考えていることが含まれます。2022年のランセット誌*6 では、「プラネタリーヘルスなくして公衆衛生はない(No Public Health Without Planetary Health)」と、地球の将来の健康と人類の健康の密接な関係について述べられています。このように公衆衛生の潮流を見ていくと、人類の発展とともに健康の概念が拡張していることが分かります。
SDGs時代のプラネタリーヘルスに関する課題とアクション
公衆衛生におけるプラネタリーヘルスの位置づけを確認した所で、第1回のコラムに続いて、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)が掲げられた2015年以降のプラネタリーヘルスに関する世界の動向をご紹介します。
2015年は、気候変動対策において革新的な年となりました。9月に国際目標として掲げられたSDGsは、途上国の開発問題が中心であったミレニアム開発目標(MDGs: Millennium Development Goals)に比べて、全ての国が開発だけでなく経済・社会・環境にまたがる課題に対して取り組むことを求めています。SDGsの13番には「気候変動に具体的な対策を」が目標として掲げられ、具体的な対策は同年12月にフランスのパリで開催された第21回気候変動枠組条約締結国会議(COP21)で採択されたパリ協定を起点に推進されることとなりました。現在も毎年開催される気候変動枠組条約締結国会議の場では参加国間での気候変動に関する重要な取り決めが行われています。また第1回のコラムでご紹介した医学専門誌ランセットとロックフェラー財団によるプラネタリーヘルスの学術誌の立ち上げや、国際政治・経済誌エコノミストのプラネタリーヘルス特集なども、2015年に始動しています。日本においては、気候変動による人類の健康への影響について声高に発信している人はまだ少なかった時期だと思いますが、世界では既にプラネタリーヘルスの気運が高まっていました。
新型コロナウイルス感染症の流行下でのワンヘルスへの注目の高まり
日本においてプラネタリーヘルスへの注目が高まってきたのは、おそらく2020年頃でしょう。動物由来だとされている新型コロナウイルス感染流行下で人獣共通感染症への関心が強くなり、改めてワンヘルスというコンセプトの下、人と動物と環境の健康を同時に守っていく必要があるとの認識が強まってきました。ワンヘルスの考え方は、現在喫緊の課題とされている気候危機とは別に、1993年の世界獣医師会世界大会で採択されたベルリン宣言における「人と動物の共通感染症の防疫推進や人と動物の絆を確立するとともに平和な社会発展と環境保全に努める」という考えが発端となっています。また、その後、特に畜産業、水産業、農業など幅広い分野において使用されている抗菌薬に対する薬剤耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)対策が人類の健康を守るうえでも重要であるという認識の下で、ワンヘルス・アプローチの議論が発展してきました。2020年11月には、それまでワンヘルスを主導していた世界保健機関(WHO)、国連食糧農業機関(FAO: Food and Agriculture Organization of the United Nations)、国際獣疫事務局(OIE: L’Office international des épizooties)による人と家畜の健康についての専門家会議に、環境を専門とする国際連合環境計画(UNEP: United Nations Environment Programme)が新たに参加して生態系を守る視点がさらに強化されるなど、ワンヘルスに関する様々な動きがありました。また2021年1月には、WWFジャパンの呼びかけで、日本医師会、日本獣医師会、国際自然保護連合日本委員会など11団体と共に人獣共通感染症への予防的アプローチとしてワンヘルスに取り組む「人と動物、生態系の健康はひとつ~ワンヘルス共同宣言」*7 が策定されました。同時期にWWFジャパンが翻訳した「新型コロナ危機:人と自然を守るための緊急要請」*8 の中では、人と自然の関係が壊れたことにより動物由来の感染症が増加していることなど、ワンヘルスへの対応が喫緊の課題であることが報告されています。このように新型コロナウイルス感染の影響もあり、人を含む全ての生態系と環境の健康に関して、環境分野でも注目が高まっていると言えます。
2021年、ヘルスケア分野におけるタスクフォースが始動
近年の保健医療分野と環境分野における取組において2021年10月から英国のグラスゴーで開催された第26回気候変動枠組条約締結国会議(COP26)で「ヘルスシステムタスクフォース」*9 が立ち上がったことは、これからの国際的な流れを考えていく上で重要な意味を持つと考えられます。2020年1月にダボス会議として知られている世界経済フォーラム(WEF: World Economic Forum)において、チャールズ皇太子は1215年の大憲章(マグナ・カルタ)に着想を得て、サステナブルな社会・経済の再構築を促すことを目指し地球憲章(テラ・カルタ)を発表しました。その理念のもとで立ち上げられた「持続可能な市場のためのイニシアティブ(SMI: Sustainable Market Initiative)」*10 は、企業が持続可能な未来へ前進するための2030年までのロードマップについて議論を進めています。2022年7月現在では農業、炭素、金融、ファッションなど各分野において10のタスクフォースが設立されており、その一つでありCOP26で新たに設立されたヘルスシステムタスクフォースでは、「デジタルヘルスケア」「ネットゼロなサプライチェーン」「患者中心のヘルスケアシステム」の3つを行動をおこすべき優先分野として掲げています。このような保健医療分野のアジェンダ設定は、国際的な市場のあり方を決めるとともに今後日本国内に対しても具体的な取り組みを策定するにあたり大きな指針となるとともに、国際社会から求められる可能性があります。
また、WHOは、COP26に向けて特別報告書「気候変動に向けた健康論(Climate change and health: the health argument for climate action)」*11 を公表しました。この報告書には、様々な分野における気候変動への取り組みの健康上の利益を最大化し、気候危機の最悪の健康への影響を回避する方策として、10勧告が記載されています。また、同時に「『健康な気候のための処方』への署名者たち(Healthy Climate Prescription Signatories)」*12 という公開書簡も公表されました。この書簡には世界の保健労働者の3分の2以上(世界中で少なくとも4,500万人の医療従事者を代表する300の組織)が署名をしています。しかしながら、日本における組織や個人による署名は限定的となっており、一人でも多くの関係者からの理解を得ていくことが求められます。
2022年のG7における気候変動と健康への言及
気候変動に関する各国間の重要な取り決めは前述のように気候変動枠組条約締結国会議(COP)の場で多く行われてきました。しかし近年では主要国首脳会議G7やG20のような主要な国際会議でも、気候変動と健康が重要課題として取り上げられています。2022年5月、ドイツのベルリンで開催されたG7での各大臣会合による重要なコミュニケ(共同声明)でも、気候変動と健康に関連する記述が確認できます。保健大臣会合コミュニケでは、「気候の保護は健康の保護に等しい」ことが強調されています。ここでは気候変動による生態系への影響や感染症の拡大、熱波の影響、災害や異常気象により損なわれるメンタルヘルスなど直接的・間接的な健康被害についても触れられています。またヘルスケア分野の組織や個人が取り組むべきこととしては、炭素排出量削減やモニタリングはもちろん、気候変動による健康への影響について医療・保健分野の専門家が教育・訓練に含め、実行・介入し、好事例を共有することが宣言されています。今回のG7では保健大臣のほか、外相、開発大臣、気候・エネルギー・環境大臣などの会合コミュニケでも気候変動と健康について取り上げられています。人間の健康への影響は明らかになり、国際的な適応・緩和などの対策について議論が進められています。ヘルスケア産業はもちろんのこと、今後、ますます診療所や病院などで働いている医療従事者における気候変動への取り組みへの関心が日本国内でも求められそうです。
本コラムではSDGs時代から本格化したプラネタリーヘルスの近年の動向についてご紹介しました。ヘルスケアに関わる私たちに出来る小さな一歩について、家族や友人、同僚と話すきっかけになれば幸いです。次回は、医療業界で既に始まっているプラネタリーヘルスに関する取り組みについてご紹介します。
【参考資料】
*1. 長崎大学 監訳. プラネタリーヘルス: 私たちと地球の未来のために. (2022)>丸善出版. p18
*2. 多田羅浩三. 公衆衛生の黎明期からこれまでの歩み. (2018)日本公衛誌. 第65巻. 6. p255
*3. 国際保健とは- International HealthからGlobal Health. (2008 January)(認定)特定非営利活動法人シェア=国際保健協力市民の会
*4. 医療から公衆衛生 International Health 国際保健、Global HealthグローバルヘルスそしてPlanetary Health地球保健. (2022/01/14)笹川保健財団
*5. Lerner, H., & Berg, C. (2017). A Comparison of Three Holistic Approaches to Health: One Health, EcoHealth, and Planetary Health. Frontiers in veterinary science, 4, 163
*6. The Lancet Public Health. No public health without planetary health. Lancet Public Health. 2022 Apr;7(4):e291. doi: 10.1016/S2468-2667(22)00068-8. PMID: 35366401; PMCID: PMC8967336
*7. 人と動物、生態系の健康はひとつ〜ワンヘルス共同宣言. (2021/01/15) WWF JAPAN
*8. COVID 19: urgent call to protect people and nature (新型コロナ危機:人と自然を守るための緊急要請). (2022) WWF JAPAN
*9. Health Systems Taskforce. Sustainable Market Initiative
*10. Sustainable Market Initiative
*11. COP26 special report on climate change and health: the health argument for climate action. (2021/10/11) World Health Organization
*12. Health Climate Prescription
【執筆者のご紹介】
- 本多 さやか(日本医療政策機構 インターン)
- 鈴木 秀(日本医療政策機構 アソシエイト)
- 菅原 丈二(日本医療政策機構 シニアマネージャー)
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