【HGPI政策コラム】(No.14)-メンタルヘルスチームより-新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が精神科医療機関へ与える影響
<ポイント>
・COVID-19感染拡大を受け、精神科医療機関においても感染対策は喫緊の課題だが、精神医療の特殊性もあり平時の医療提供と院内での感染症対策の両立が特に難しい状況にある
・COVID-19に罹患した精神科医療機関入院患者への対応には、都道府県が主体となり、対応指針を策定し、地域における医療機関や保健所、地方自治体等の連携体制を構築する必要がある
・COVID-19感染拡大を受け、各都道府県が策定する「地域医療構想」の中でも、感染症対策に関する議論の必要性が指摘されている
感染症拡大への対応という観点においても、今後は地域医療構想に精神病床を含めた形で検討がなされるべきである
現在、世界的に新型コロナウイルス感染症(COVID-19: Coronavirus Disease 2019)が拡大し、本原稿を執筆している2020年7月28日時点で、全世界で感染者数1,600万人、死者数は65万人 を超え(※1)、日本でも3.1万人(※2) を超える感染が確認されています。
COVID-19の拡大は、私たちの身体的健康や社会・経済のみならず、私たちのメンタルヘルスにも大きな影響を与えています。2020年5月13日に発出された国際連合(UN: United Nations)の政策提言「COVID-19 and the Need for Action on Mental Health 」(※3)によれば、感染への不安、家族との離別、外出禁止令等による生活環境の変化、経済不況による失業、雇用不安、家庭内暴力などに苦しむ人が増えているとされています。例えば、エチオピアで行われた大規模な調査では、うつ病性障害と合致する症状の有病率が、COVID-19感染拡大前の推定値の約3倍に増加していると報告されています。日本でも、とりわけCOVID-19罹患者、また感染症の対応にあたっている医療従事者等にとって重大な課題となっています。
今回のコラムでは、COVID-19がメンタルヘルス領域へどのように影響を与えるか、特に精神病床を有する精神科医療機関への影響について考えます。
※1: ジョンズ・ホプキンス大学発表(アクセス日時:2020年7月28日)
※2: NHK 日本国内の感染者数(まとめ)(アクセス日時:2020年7月28日)
※3: 国際連合 “Policy Brief: COVID-19 and the Need for Action on Mental Health” (アクセス日時:2020年7月28日)
■日本における精神疾患及び精神科医療機関の概要
まず日本における精神科医療機関及び精神疾患について概観します。2019年精神保健福祉資料によれば、国内で精神病床を有する医療機関は1,577施設あり、うち9割の医療機関は民間が運営主体となっています。また精神病床数は約31万床であり、直近約10年間は減少傾向にあります。しかしながら、経済協力開発機構(OECD: Organization for Economic Co-operation and Development)の調査によれば、2016年時点で日本の人口1,000人当たりの精神病床数は2.63となっており、2番目に多いベルギーの1.38を大幅に上回っていることから、国際的に見ても病床数が多い状況にあるといえます。また日本において精神疾患を持つ患者数は増加傾向にあり、2017年の患者調査で約419.3万人となっています。入院患者数については、2017年で約30.2万人と2002年の約32.9万人に比べ減少傾向にあります。また病院調査によると、精神病床における平均在院日数は1989年時点の496日と比べ、2018年時点では265.8日と、この約30年間で大幅に減少しているものの、一般病床の16.1日と比較すると長い現状にあります。
メンタルヘルス領域における医療提供体制の在り方については、2020年7月21日に当機構が公表した「メンタルヘルス2020 明日への提言 メンタルヘルス政策を考える5つの視点」にて詳しく言及しておりますので、ご参照ください。
「メンタルヘルス2020 明日への提言 メンタルヘルス政策を考える5つの視点」はこちら
■精神科医療機関における感染症対策の難しさ
COVID-19感染拡大に伴い、多くの医療機関がその対応に追われています。上述の通り、約30万人の入院患者がいる精神科医療機関でも院内感染の事例が複数報告されており、一部ではクラスターが発生する事例が起きています。
精神医療はその特殊性から、平時の医療提供と院内での感染症対策の両立が非常に難しいとされています。今回本コラムの執筆に当たり、ヒアリングを中心とした情報収集を行いましたが、院内感染対策という観点において、精神医療とその他の診療領域の違いを以下の3つに整理することができます。
・ハードウェア(病院の構造)の違い
精神科医療機関には、一般病院にはない閉鎖病床が存在します。閉鎖病床とは原則として終日、病棟の出入り口を施錠している病棟にある病床を指します。2019年度の精神保健福祉資料によれば、届出病床数30.8万床のうち、21.9万床が閉鎖病床となっており、閉鎖病床が全体の約71%を占めることが分かっています。感染症対策の観点でいえば、閉鎖病棟は必然的にドアが多い構造となり、患者や病院スタッフがこれらに触れることにより感染拡大の要因となることがあります。また窓がない、または開きづらい部屋があり、一般病棟に比べ換気が難しい場合があります。また患者の安全性への配慮から、病棟入り口にアルコール消毒やペーパータオル等の設置が難しい場合があり、一般病院と標準的な感染対策が実施しづらいことも精神科医療機関における感染症対策の難しさの一つとなります。さらに精神科医療機関の敷地内に屋外喫煙所がある場合には、そこでの接触も感染拡大の一因となる可能性があります。
・患者特性の違い
患者の病態、症状の程度によっては、マスク着用や手洗いなど感染症対策への協力が得られにくいことが多くあると指摘されています。さらには、安静が保てず嘔吐しながら移動する患者や、自傷行為等を行う患者への対応が必要になるケース等においては、特別な対応が必要になります。
また精神症状が原因となり、感染症の検査や問診を正確に行うことが難しく、感染の発見が遅れやすいことも感染拡大のリスクとなります。
・病院スタッフ数の違い
精神科医療機関では一般病院と比べ、医療従事者数が少なく、感染症対策の実施が難しいことが指摘されています。2017年医療施設調査によれば、一般病院における100床当たり常勤換算従事者数が148.4人であるのに対し、精神科病院では68.2人と、約半数になっています。特に医師については、一般病院で100床当たり16.1人であるのに対し、精神科病院では3.7人と大きな違いがあります。また今回実施した有識者へのヒアリングでは、精神科病院は一般病院と比べ、感染管理の専門スタッフが少ないことも感染症対策の実施が難しい要因として挙げられました。
精神科医療機関はこれら3つの違いを踏まえ、院内感染対策を実施する必要があります。また感染拡大への不安や感染防止のための行動制限等により、精神症状が悪化する可能性もあり、感染症対策と合わせて、入院患者へより慎重な対応が求められます。
感染症対策の実施については、診療報酬上で、一回の入院につき「感染防止加算」が算定されています。一方、前述の通り、精神病床における平均在院日数は265.8日と一般病院の16.1日に比べ長いため、精神科医療機関においては感染症対策へのインセンティブが小さいことが指摘されています。
また、入院患者の退院支援や面会などを通じた権利擁護活動にも影響が生じています。オンラインでの関係者間の情報共有や患者との面会など、COVID-19感染対策と合わせて、こうした活動が滞りなく実施されるよう関係者の取り組みも求められます。
■各医療機関、保健所、地方自治体などとの連携体制の必要性
精神科医療機関内でクラスターが発生した場合や、精神症状及び感染症による身体的症状が重度である患者への対応は精神科医療機関のみの対応は難しく、他医療機関や保健所、地方自治体等との連携体制を構築し、対処する必要があります。特に精神症状が重度である患者は一般病院では対応が難しいケースがあり、実際に、COVID-19に罹患した精神科医療機関入院患者の転院先の確保が難航し、結果として精神科医療機関内でクラスターが発生した事例もあります。これを受けて、厚生労働省は2020年6月2日「精神科医療機関における新型コロナウイルス感染症等への対応について 」事務連絡を行い(※4)、精神科医療機関において精神疾患を有する入院患者が感染した場合の対応について、あらかじめ連携医療機関の確保・調整を行っておくこと等を求めています。
宮城県では、宮城県、仙台市の精神保健担当部署、宮城県内で精神科病床を有する総合病院、宮城県⽴精神医療センター、⽇本精神科病院協会宮城県⽀部、宮城精神科病院協会、⽇本精神科診療所協会宮城⽀部の代表者からなる「宮城県精神科医療機関新型コロナウイルス感染症対策協議会」を設立し、「宮城県精神科医療機関における新型コロナウイルス感染症対策指針」を策定しています。また神奈川県では県内の精神科病院でのクラスターの発生を受け、「精神科コロナ重点医療機関」を設置し、精神疾患の治療と並行して、適切にCOVID-19の治療に対応できる医療機関を整備しています。こうした事例のように、各地域における医療提供体制整備の中心的役割を担う都道府県が主体となり、精神疾患を有する患者がCOVID-19に罹患した場合における対応指針を策定し、各関係機関が情報共有できる体制が必要となります。さらに前述の通り、COVID-19感染拡大を受け、入院患者の退院支援や権利擁護活動にも影響が出ています。指針を策定する場合には、COVID-19への対応と合わせて、入院患者の退院支援や権利擁護活動についても検討されることが期待されます。
※4: 厚生労働省「精神科医療機関における新型コロナウイルス感染症等への対応について」(アクセス日時:2020年7月28日)
■まとめ
今回のコラムでは、COVID-19が精神科医療機関に与える影響について考えました。精神医療はその特殊性から、平時の医療提供と院内での感染症対策の両立が非常に難しい状況にあります。そのため精神疾患を持つ患者がCOVID-19に罹患した際は、都道府県が主体となり周辺の医療機関と連携するなど対応指針を策定する必要性が高まっています。また今回のCOVID-19感染拡大を受け、政府も各都道府県が策定する「地域医療構想 」(※5)において感染症対策の視点の必要性を認識しています(※6) 。これは精神科医療機関においても例外ではなく、平時も非常時にも地域内の様々な医療機関との連携が取れる体制づくりが求められています。こうした観点からも、現在地域医療構想において精神病床は対象外となっていますが、今後は文字通り、地域が一体となって医療提供体制を考える機会として、精神病床も含めて地域医療構想の策定が進むことが必要ではないでしょうか。
※5: 地域医療構想: 医療介護総合確保推進法に基づき、各都道府県が医療計画の一部として地域医療構想を策定する。団塊の世代が75歳以上を迎える2025年をめどに、病床の機能分化・連携の推進を図るとともに、各地域における医療需要と病床の必要量を推計し、さらには在宅医療の充実、医療従事者の確保・法制など、地域を軸とした医療提供体制の在り方を定める地域医療のビジョン。
※6: 2020年6月5日加藤勝信厚生労働大臣会見概要 (アクセス日時:2020年7月28日)
【執筆者のご紹介】
麻生 豪(日本医療政策機構 アソシエイト)
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