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オピニオンリーダー医師対談:第四回 医師は、いかに社会に働きかけていくべきか

オピニオンリーダー医師対談:第四回 医師は、いかに社会に働きかけていくべきか
小松 秀樹 氏(虎の門病院 泌尿器科部長)

著書『医療崩壊』は、最高検察庁への意見書だった。

黒川:「医療政策対談」第4回は、小松秀樹先生をお迎えしました。小松先生と言えば、著書『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』や『医療崩壊─「立ち去り型サボタージュ」とは何か』がたいへんな反響を呼び、最近、『医療の限界』も発表されています。どの著書も細やかなデータをきっちりと押さえた力作。実は、私は内容に感嘆するとともに、それが第一線で活躍する診療科部長のポジションにいる方の手によるものである事実に驚嘆しました。この方は24時間働いているのではと、疑っている(笑)。
本日は、まず、それらの著作を手がけられた動機からうかがいましょう。

小松:動機を語るのであれば、1980年代半ばほどから、患者さんの要求と医療提供側の体制がマッチしていないと感じ始めたのがスタートになりますね。当時私は、治療には患者さんの同意が必要だと考え、説明の仕方などにずいぶん工夫をしていましたが、在籍していた大学では、私の言い分は受け入れられませんでした。医療を受ける側と提供する側の意識のギャップは、深刻だと感じました。

黒川:なるほど。

小松:1999年に移籍した虎の門病院は私の意見に耳を傾けてくれ、医師の規範を明文化する機会なども得られました。そんなころに起きたのが、慈恵医大青戸病院の事件です。
この事件では、事実と報道の間に落差があり、それを放置したらたいへんな事態になると思い、『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』を上梓しました。私があの本で書きたかったのは、事故のいきさつではありません。
伝えたかったのは報道に含まれる論理、こんな報道をしていては医療を受ける側と提供する側の意識のギャップは深まるばかりで、いつか医療は崩壊するというメッセージでした。
しかし、私の予想よりも、世の中の動きは敏感だったのです。どういうことか――それまで、検察は明らかに医療事故を徹底的に刑事事件として扱い起訴する方針だった。が、検察庁の上層部の方と話してみると、検察首脳の一部はこのままでは危ないと思っているらしい。さらに、ぜひ一度最高検察庁で話を聞かせてほしいとの依頼。私は「こんなチャンスは、滅多にない」と思い、余暇のすべてを費やして原稿を書き、大量の資料を添付し意見書としてまとめ、提出しました。そして、意見書をもとに約2時間、10人ほどの検察庁幹部の前で持論を展開した(笑)。それを書籍化したのが、2006年に発表した『医療崩壊─「立ち去り型サボタージュ」とは何か』です。
黒川:あの著作は、医療崩壊がどうして起こるのかを、きちんとしたデータから説明していて、論理に説得力があるのがすばらしかった。大学の先生方や医師は、医療について議論する折りに、思いのたけはあるのですが、自分側の論理を展開しすぎ、結果的に相手に伝わらない過ちを犯しがちです。そういう意味で、取材を丁寧にし、客観的で冷静な論理を持って、医療の現状を世に示した意義は大きかったと思う。本を出版して読者からどのような反応がありましたか?

小松:読者からは、とても大きな反響をいただきました。特に医師が、自分の言いたかった論理を本の中に発見してくださったようです。実は、あの本で展開した論理が医師に受け入れられる自信はありませんでした。何しろ以前に在籍した大学では、きちんと説明する姿勢でいると、どちらかと言えば迫害されましたから(笑)。ところが、蓋を開けてみると医師からの賛同の声が想像を超えて多かった。「前から、自分もそう思っていた」と。
これは、ある意味、理想的な展開だと思いました。「私もそう考えていた」という共感が膨らんで主流となった意見は、とても強いですから。医療提供者に、何がしかの論理を提供できたのかもしれない――そう感じています。

黒川:『医療崩壊』は衝撃的なタイトルだったし、「立ち去り型サボタージュ」というサブタイトルにある言葉も、いったいなんだろうとアイキャッチになりました。タイトルの奇抜さもさることながら、実際の内容もかなり踏み込んで、医師が今まで書かなかった事実にまで触れています。医師の著書としては珍しく、社会にアピールする構成と内容になっていますが、社会からの反応はどうでしたか?

小松:そうとうインパクトがあったように思います。メディアからの取材が多くなりましたので。振り返れば、『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』を発表したときから取材申し込みがくるようになったのですが、『医療崩壊─「立ち去り型サボタージュ」とは何か』以降は、さらに加速した感があります。メディアの医療担当者の方々の前での講演も、何度かさせていただいています。

黒川:ますます、忙しくなってしまいましたね(笑)。

小松:そうですね(笑)。


責任を負わない権限は、制度を壊し、やがて自らをも壊す。

黒川:さて、小松先生の言論活動の功績もきわめて大なのですが、ここ2、3年で、多くのメディアが医師の声を取り上げるようになり、社会の医師への見方が明らかに変わってきているように感じます。これまでのように医師をバッシングしているだけでいいのか?疑問視する雰囲気が出てきました。
今こそ、私たち医療人は、自分たちが社会にどんな役割を求められているのかを真剣に考えるべきでしょう。そして、自分たちが何をしたいのかだけでなく、医療提供のシステムや医療の質の維持、医師育成の在り方などについて、それぞれ意見が違うにしても、社会に向けて国民が「なるほど」とうなずくようなコメントを医療者が発信していかねば、政策もなかなか変わりません。

小松:私は、やはりもっとも重要なのは哲学だと思います。人が共生するうえでは権利の制御が必要ですが、今、制御の分岐点がかなりずれたところにある。経済活動の名のもとにどこまでやっていいのか、何をしてはいけないのかについても、瑣末な議論しかしていない。議論の背景に哲学とリアリズムがない。このため医療はもちろん、ほかの分野も危機的状況に陥ってしまうのです。
また、黒川先生がおっしゃるように、医療者の社会への働きかけは非常に重要です。ただ、そのときに医療だけの視点で何かをしようとしても限界があると思います。現在、日本の医師の指導的立場にある先生方には、その視点が欠けていると言わざるをえません。たとえば、厚労省が医療事故調査制度の設立を計画していますが、日本の医師の代表的な人たちが数名で、組織的決定をした。本来、多くの現場の医療者が議論すべきだし、医療側だけの問題でもないので、もっと開かれた場所で議論されるべき事柄なのですが。

黒川:先生のご意見に賛同します。基本的なフィロソフィーがないのですね。もうひとつ欠けているのが、歴史的視点。社会がどういうふうに変わってきて、世界がどうやって動いているのか。今までの日本の歴史と文化の変遷、日本が世界第2位の経済大国になれた理由は何か。これらを理解していれば、自国の弱みと強みをしっかり認識しつつ、医療や教育における有効な改革策を見出せるはずです。
そして、私も医療に限らず、日本の専門家と呼ばれる方々は概して視野が狭いと常々感じています。たとえば経済学者の宇沢弘文先生がおっしゃるところの社会共通資本の視点で考えれば、医療や教育、環境は誰もが必要なもの。これらの課題について議論するとき、ともすれば、コストばかりが論点になりますが、コストだけで語れるテーマではありません。医療についてならば、国がアクセスの問題、質の問題、コストの問題などを幅広く国民と共有しながら議論し、課題解決に向けての政策を決めるプロセスが必要だと思います。

小松:今、いろいろな方面で地方分権が進んでいますが、厚労省は、小額な予算を渡すだけで、相変わらず監督は自分たちでしようとしているそうです。
なおかつコントロールの仕方が、非常に問題を含んでいる。確かに国がリードしていくべき事柄はありますが、大方針を誰も考えていません。

黒川:厚労省だけに限った現象ではないですね。
ほんの5年、10年ぐらい前まで、社会全体、立派な大学の偉い先生までもが、日本の最大のシンクタンクは霞ヶ関だなんて言っていた。つまり、何もかもがお役所任せだったのですから。

小松:でも、もうそれでは無理なところまできています。特に厚労省は、問題が多すぎる。今、日本政府が抱える紛争の8~9割は厚労省がらみです。厚労省の権限が、このままでいいはずがない。
メディアは無茶な叩き方をし、彼らはひたすら耐える。そして、法令をつくるときに仕掛けをして、全部自分たちがコントロールできるようにしつらえる。しかも、コントロールはするが責任は負わない仕組みにする。責任を負わない権限は、制度を壊し、やがて自らをも壊します。
『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』で書きましたが、日本の偉い医学部教授の先生方がなぜ変になっていったかと言えば、関連病院の人事権を持ったから。責任は問われず実質的に支配する――それが危険なの
は、大学教授も役人もまったく同じです。

黒川:私がいつも言うのは、日本は第二次世界大戦後、民主主義の制度を取り入れたけれど、運用に市民社会の意思が不可欠だとは知らなかった(笑)。経済が右肩上がりに成長する中で、誰も本質を深く考える必要性を感じなかったのでしょう。

小松:結果、「お上にお願いする」が、ずっとつづいたわけですね。


医師が全員加盟するプロフェッショナルコミュニティをつくるべき。

黒川:ほとんどの医師は非常に真面目で、一生懸命いい医師になろうとしています。けれど、極端な表現をすると医師はみんな村長さんなので、市民社会に馴染みづらい。医師はどのようにして社会に働きかけていけばいいのでしょうか。

小松:今、医師たちの動きには目まぐるしいものがあります。私の活動も、そのひとつですが――。おもしろいことに取り組んでいる人が大勢います。
インターネット上には、国会議員のメールアドレスが簡単に調べられ、アクションを起こすための書類も書き込めばいいだけの定型書式があるツールがあります。そうしたツールを使って、地元の国会議員に直接働きかけをする医師など、自分の考えをしっかり持ち、意思に従って行動しようとする動きは着実に生まれています。

黒川:ただ、それは、ある意味陳情活動ですよね。陳情となれば議員のもとにはたくさんの案件が集まるわけで、必ず医療問題への意見が取り上げられるとは限りません。
そこで浮かび上がるのが、プロフェッショナルコミュニティの存在意義ではないでしょうか。医療に関しては、医師のプロフェッショナルコミュニティが理念を持って中長期的な意見を申すことが、プロフェッショナリズムを求めている現在の社会では、重要なのだと私は思います。
今の時代、日本の医師コミュニティがどのような理念を発信しているかが海外からもリアルタイムに見えているわけで、海外の医師たちからどれほどの敬意を払ってもらえるかを気にするべきだとも思う。

小松:政治家を動かすことは、官庁に陳情するより、民主主義の基本であり、有効でもあることを申し上げておきます。
そのうえで、専門職としての団体については、おっしゃるとおりですね。類することは、最近の医療の質・安全学会でも盛んに語られています。やはり日本弁護士会のような医師が全員加盟する専門職団体をつくるべきと、ほぼ意見は一致しています。
実は、そういう団体は戦後にできる寸前までいっていたらしいですね。ところが、厚生省の役人が「GHQの命令だ」と言って潰した。後にGHQの文書を調べたら、命令を指し示す記述はどこにもなかったらしいですが。

黒川:その話は、聞いた記憶があります。

小松:日本医師会は、開業医の利益団体として活動しつづければいい。しかし、もうこれまでのように医師全体の代表かのような意識は捨ててもらわねば。もっと大きな立場からものを言う、もっと気位の高い団体が必要です。

黒川:ものを言える医師団体が生まれず、結局は医療政策が政治の力でつくられるなら、今ある国民の医師に対する不信感はつのるばかり。回復不可能なところまでいってしまうでしょう。

小松:医師が医療はどうあるべきと考えているかを、医師の団体から発信しなければダメ。医療の姿を厚労省が決めているような現状は、間違っています。

黒川:同感です。

小松:医師の専門職団体は、医師が自らを律することと、医療の質を向上させることだけに専念する。あとは、ほかの団体がやればいい。

黒川:そのような志を持った団体は、日本には今までどの分野にもなかった。日本弁護士会も戦後、他者の力によってつくられました。
ただ、どうでしょう、医師が一致団結できるのかと問われれば、一抹の不安が残るのは事実です。たとえば銀行の世界だと、業界全体がつぶれたりしたら銀行員は食べていけなくなる。だから銀行業界の存続にかかわるような問題に対しては、一体となって闘います。けれども医師は、職能者として、ひとりぼっちになってもなんとかなると考えている点が、力をまとめるにおいてネックになるように思えますが。

小松:哲学がなかったのが、いけなかったと思います。だから、力をまとめられなかった。

黒川:医学部の先生方の意識改革も――。

小松:大学の先生はダメです。期待していません。

黒川:ダメですか(笑)。

小松:医学部に限らず、大学の教授陣に共通なのかもしれませんが、決定的に教養が欠けています。

黒川:実社会のリアリティから乖離しているのは、事実ですね。

小松:だいたい、常識的に知っているべき、過去に議論された重要な問題を知らないのですから。丸山眞男が『日本の思想』の中でササラ型とタコツボ型の議論の比較をしていますが、まさにタコツボ型。自分の周囲だけしか見ていなくて、過去からずっと連綿とつながっている議論の経緯を、大学の先生たちは知らないですね。

黒川:どうして、そうなってしまったのでしょう。大学の先生の数が増えすぎたのですかね。

小松:選び方に問題があるのでしょう。

黒川:それはそうですね。内部で調整をして教授を決めている。会社人事となんら変わりない選び方ですから。


医師よアクションを起こせ。医療を動かす力の発揮を。

小松:今、私が力を注いでいることのひとつに医療事故などにおける医師の自律的処分制度があります。制度をつくってくれと他者に依頼するのではなく、自らの手でつくる意気込みです。つくるからには、カチッとしたものにしたいですね。
制度を成立させる過程で若い人を鍛えたいとも考えていて、今、若い有志の方々に頼んで勉強会を始めてもらいました。何十人かがコアメンバーとなって全国横断的な勉強会を開き、サポーターを募り、資金を集めて、海外へ調査にも出向き、大量の参考文献を翻訳もしろと叱咤激励しています。ほかに、処分制度にはどんなものがありうるかの選択肢も検討していきたいと思っています。

黒川:私も4年前に日本医療政策機構をつくりました。やはり、インディペンデントなシンクタンクを標榜しているので、国から援助金などもらったら元も子もありません。ですから、地道に会員を募り、共鳴者を増やす努力をつづけています。滑り出しにはかなり辛い思いもしましたが、最近は賛同してくれる医師の方なども増え、多方面からスタッフとして参加してくれる人も現われて、ありがたく思っているところです。
みんな、もとから賢いわけではない。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」なのです。小松先生のような背景を認識し、歴史から学ぶ姿勢を持った方にもっともっと発言し、発信していただいて、広く人々のアクティビティがボトムアップされればすばらしいだろうと思います。

小松:私はいろいろな取り組みを同時に手がけていますが、最終目標は、先ほど話題にのぼった日本の医師全員をまとめる団体の結成。気高さがあり、自律的処分によって医師の質のコントロールも担える団体です。
大切なのは目先ではなく、黒川先生もおっしゃったように歴史的視点、そして哲学ですね。歴史がどのようにつづいてきて、どこへ向かっているのかを、しっかり認識する。同時に、哲学を持ってきちんと自己コントロールしながら進み、社会への説明も怠らない。そんな団体になればと願っています。

黒川:自律的な職業人社会にとって、自分たちのクオリティコントロールはもちろん、社会との信頼関係の構築が大きな意味を持ちます。行動の動機、目標、利害などのインセンティブが即お金となる社会では、誰も学校の先生なんてやらなくなるでしょう。それは、みっともない、さびしい社会です。

小松:インセンティブがお金だけならば、勤務医なんてひとりもいなくなります。せっかく、お金だけではない価値観の医師たちががんばっているのだから、なんとか上手にプロモートしなければ。

黒川:私も同様に考え、医療人の側の意見発信を目的にしたM.D.ポリシーフォーラムというものを開催しています。この医療政策対談の企画でも、高い意識や倫理観を持って活動している医師の皆さんにお話をうかがっているのですが、ぜひそういった方々の意見も共有しながら、医師がひとつにまとまっていくような動きになってくれればと願っています。意見はいろいろでしょうが、医師の目標は最終的には同じ。まとまれないことはないはずです。今後もより多くの人に社会への発信の活動に参加していただけたらいいですね。
ところで、次はどんな著書を発表されようと考えているのですか?

小松:ある議員さんからは、死生観について書いたらどうかとアドバイスを受けました。絶対売れますよと(笑)。
私としては、世の中に対してアクションを起こすうえで、必要な哲学とは何か、持つべき歴史的視点、個人と社会との関係をどのように考えればいいのか――などを、最前線で活動している位置からちょっとうしろへ引き、じっくりと観察したようなものが書けたらいいなと思っています。

黒川:楽しみです。今回はたいへんご活躍中の小松先生のお話をうかがうことができまして、非常に良かったと思います。ありがとうございました。

小松:ありがとうございました。


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プロフィール
小松 秀樹虎の門病院 泌尿器科部長
1949年香川県生まれ。東京大学医学部卒業後、都立駒込病院、山梨医科大などを経て、1999年より虎の門病院泌尿器科部長。2006年に上梓した『医療崩壊─「立ち去り型サポタージュ」とは何か─』が大きな話題を呼んだ。臨床現場の医師の立場から、医療の危機を社会に発信し続けている。その他著書に『慈恵医大青戸病院事件』、そして最新刊『医療の限界』などがある。

ホスト:黒川 清 日本医療政策機構 代表理事

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