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オピニオンリーダー医師対談:第三回 日本国民の求める医療の形とは

オピニオンリーダー医師対談:第三回 日本国民の求める医療の形とは
養老 孟司 氏(東京大学名誉教授)

どんな医療の形がいいのか、客観的に議論するのは存外に難しい。


黒川:「医療政策対談」第3回は、皆さんご存じの養老孟司先生をお招きしました。私と養老さんは東大の同級生で、以来、とても長いお付き合いです。学生のころはよく、蝶やカブトムシなど虫の話を聞かされました(笑)。友人とのこうした場での対談は、やりにくい部分もありますが、どんなお話になるか非常に楽しみです。どうぞ、よろしくお願いします。
まず、「国民の求める医療の形とは?」というテーマで養老先生にお話をお聞きしたいと思います。

養老:健康な人は、医療を求めていません。病気にならないと本当に求める医療については実感しないだろうし、わからない点が多すぎる。したがって、いくら大勢で医療に関して議論しても、患者さんの実情にあてはまらないことが多いんじゃないだろうか。

黒川:そうですね。

養老:どんな医療の形がいいのか――、客観的に議論をするのは案外、難しい。
まず、医療に関してもっとも中立的な数字は何か、どんな物差しで医療を測れば医療について語れるのかと考えるとき、僕には、おそらく、もうすでにどんな物差しで測っても意味のない段階にまで医療はきているように思えます。たとえば、自殺者が増えたとたんに日本人男子の平均寿命が縮んじゃった。つまり、平均寿命の統計数値には、医療ではなく社会状況のほうがはるかに影響する。医療は、もう測るべきものではないほどに煮詰まってしまっているんです。
では、患者さんが医療に対して求めているものは何かと言えば、ある種のアメニティというか、快適さだと思います。楽に死なせてくれるのがいい医療――そんな気持ちを持つ方も多いでしょう。
もうひとつ、日本社会が「世間」からの評価に敏感である側面が、客観的議論を難しくしている。「お年寄りをあんな目に遭わせて」と言われたくないので、家族は、たとえ患者がどんなに苦しんでいようとも「できるだけのことをしてください」と医師に言ってしまう。医師も律儀なのか儲けたいのかわかりませんが、意味があるなしにかかわらず、できるだけの治療をする。結果的に、高齢社会にあって老人医療費が全医療費の半分近くを占めるようになってしまいました。
核家族化が進んだ現代では、老人の面倒を医療機関に見てもらおうという傾向が強くなり、医療が福祉を背負ってもいる。こんな状況で、国民の求める医療の形を考えてみても、それこそケース・バイ・ケースですから結論は出ません。

黒川:なるほど。

養老:日本でなくても、求める医療の形は、国ごとに、社会状況を映して違ってくる。社会階層がはっきりしている国では、階層ごとでも違ってくるでしょうね。
ところで最近、「医療崩壊-『立ち去り型サボタージュ』とは何か-」という本を読んだのですが、イギリスの医療が、医療崩壊の例として取り上げられていました。予算が切れたから、今年はもう患者は診ないなんていう病院が出てきた状況が書かれています。これは医療崩壊なのか――僕は、ちょっと違う見方をしたほうがいいんじゃないかと思う。
個々人の患者さんの診療に最善を尽くすことが、社会全体から見て、どれぐらいのメリットがあるかどうか――、そうした視点がイギリス人はかなりシビアなんですよ。
僕はイギリス人の国民性を話すときに、よく、「コベントリーの空襲」を例に出します。第2次世界大戦中、イギリス情報部がナチの暗号を解読し、コベントリーという町が空襲されるのを知った。日にちまでわかっている。でも政府はいっさいの情報を漏らしませんでした。結局、コベントリーは空襲を受け、かなりの人が死にました。しかし、イギリス人が戦後、その事実について文句を言ったとか、デモをしたなどの話は聞きません。コベントリーの被害と、自分たちが暗号を解読しているとドイツ側にわかってしまうことによって生じる被害を秤にかけ、冷静に判断をしているのです、彼らは。僕は、日本人は、割合そうした冷静な客観性を持っていないと思う。日本で同じケースが起きたら、おそらく人々に知らせて町が空になり、たちまち暗号を読んでいるとわかっちゃうでしょう。
言いたいのは、医療を根本的なところで「良くなった」、「悪くなった」と言うときに何で測るか――日本では、客観的な基準がはっきりしていない。もちろん、患者さんのニーズに基準を置いたら、客観性など求めようもないですよね。ホテルならば、お客さんの数で比較できますが、患者の数で医療機関を比較するのは、現在の日本の健康保険制度に矛盾することになるでしょう。何を持ってして、いい医療、悪い医療と言うのか、おっしゃっている方にうかがいたいですね。


日本社会は自立の方向とは逆行し、医療は「誰かにやってもらうもの」になっている。

黒川:公共性の強い義務教育や医療制度においてはクオリティとアクセス、それに加えて誰がお金を払っているかの3つを天秤にかけることが大事になる。
おじいちゃん、おばあちゃんが死んでいくときに「できるだけのことをしてください」と言うのは簡単だけれど、費用を誰が払っているのかと言えば、実は国民の税金から支払われでいる。そこを、もっと自覚してもらえるようにしていかないと。

養老:個人負担であれば、どこかで打ち切らざるをえないはず。家族は苦しいと思いますが、人生って絶えずそうした判断を迫られるものです。判断を避けられるから楽――僕は、そんな単純な話ではないと思います。しばしば医療で医師のパターナリズムはいかんとか言われるけれど、国民が判断の回避をする現象は、ある種の「国家によるパターナリズム」の表れですよ。
要するに、お父さんのすべきことを代わりに国がやっている。自立した市民として生きていくなら、やはり自分で判断していかなきゃ。たぶん、今の日本社会は自立の方向とは逆行していると思います。特に医療では、「誰かにやってもらうもの」という気持ちが強く出ている。
そんな社会だから、医師が耐えられなくなってきています。義務教育の現場でモンスターペアレンツが大勢いるように、医療の現場にも、実はたくさんのモンスターペイシェントが存在してきているに違いないのですから。

黒川:たくさんいるでしょう。

養老:しかし、医療の場合にはモンスターペイシェントの存在が、あまり表に出てこない。医師は一般的な見方をすれば、楽をして稼いでいるように思われていて、まさか医療の現場がそれほどたいへんだとは、誰も理解しようとはしてくれません。このあたりは社会的な問題で、必ずしも医療に限った現象ではありませんが。
僕は、少なくとも日本の医師の忍耐に関して言うなら、もう耐性曲線の示す上限に達していると感じます。

黒川:同感ですね。もう、お医者さんも「これじゃ、たまらん」となって、病院勤務を辞め、開業して、診察時間がすぎれば「あとは病院に行ってください」という方向に流れている。
状況を察したメディアが最近ようやく医師の発言を取り上げるようになり、行政も急に医師を増やすなど医療現場の環境改善に向けて動き始めたけれど、役所だけで立案する政策には、もう限界がきている。そもそも、高齢者の数がまったく違う地域を一様に考え、同じ政策を通用させるなんて無理に決まっているからね。
以前は、おじいさんやおばあさん、近所の人などいろいろな人たちがいて兄弟も多かったから、世代間の知恵の交流が常に無言のうちに行われていた。行政が全国で画一的な政策を立案しても、自分たちでなんとかできていたんですが。

養老:地域に共同体がありましたからね。

黒川:共同体がなくなり、核家族化が進んで、若い親は子どもをどう扱っていいかわからないときに、聞く相手がいなくなってしまった。さあ、どうすればいいのか――。
実は安倍前総理のもとで「新健康フロンティア戦略」をつくろうとなり、私が座長を任されました。その中で、大きな課題として挙げられたのが、子どもの成長に関する問題、女性の社会進出にともなう女性の健康へのケアが不十分である点、成人病対策、そして要介護高齢者の増大への対策の4つでした。よく考えてみると、これらの課題の出発点は同じで、コミュニティの崩壊によるもの。そこで、小学校や保健所などの場所を使って、地域における世代間の交流の場、近所の人に子育てについて気軽に相談できるようなコミュニティづくりから始めるべきとの話になりました。
まったく、都市でも田舎でも、コミュニティがほとんどなくなっちゃった。

養老:日本人はある時期から個人的行動を好むようになり、集団で動くより気の合った人たちといっしょに行動したほうがいいと考えるようになった。すべてを否定しませんが、そういう人間関係の中で子育ての知恵を共有できるかと言えば、そうはいかない。

黒川:共同体の知恵の共有がないから、夜中に赤ちゃんの熱が下がらないと、「たいへんだ、それじゃあ小児科へ」――となる。経験があれば「冷やして、明日まで様子を見よう」と冷静でいられますが、経験も知恵もないから不安になる。

養老:で、行こうとすると小児科の医師がいない。

黒川:そんな親が多いので、小児科は90%以上が時間外診療だそうです。

養老:自分自身の生活を、何ごとかが起きたケースまで含めて考えておく思慮が足りないんです。少なくとも自分の子どもに関して、急病になったらどこで医療を受けさせるかぐらい決めておかなきゃいけないよね。

黒川:健康なときからつき合っている医師がいない点が問題でしょう。コミュニティには必ず何人かの医師がいるわけだから、もっと普段からつき合っておいたほうがいい。

養老:友人に医者を持っておけなんて、「徒然草」にも書いてあります(笑)。


本音と行動のギャップを自覚したうえで普段から真剣に医療を考えてほしい。

養老:今の日本人の生活はどう見たって贅沢の極み。こんなものがつづくわけないよと、僕らの世代はどこかで思っている。だけど、これが当たり前だと思う人も大勢います。
ある程度わかっている人は、我々の暮らしは、ひょっとするとかなり異常じゃないの?と気づいているけれど、上澄みしか見えない人々は、海外旅行をしても、暮らしのレベルへの感じ方は「どこの国も同じ」(笑)。

黒川:情報が広がり、とてもフラットな世の中になってきていると言われますが、結局、インターネットやテレビで知ったつもりになっているだけ。映像は強烈なインパクトがあるから、わかったつもりになっちゃうんだね。

養老:広告会社のアサツーディ・ケイの岩村暢子さんという女性が長期間にわたって日本の食卓の実態を調べた本をシリーズで出しているのですが、それがものすごく面白くて、最新刊「普通の家族がいちばん怖い―徹底調査! 破滅する日本の食卓―」、には、普通の家族の食生活がいちばん怖いと書かれていました。本当に長い期間での調査をまとめたものなので簡単には内容を言えませんが、印象に強く残ったのは、40代主婦の少なくとも5割は、考えていることとやっていることがまったく合っていないという事実。僕が思うに、情報過多の影響が非常に大きい。
頭の中ではみんなわかっている。こうだ、こうしたらいい、こうしなきゃいけない──ところが、実際にやっている行動は、まったく違う。その乖離に違和感を感じないのが、現在のメディアの時代、情報があふれた時代なんです。考えが、自分の行動に影響していない。
たとえば、本に出てくる簡単な例で言えば、アンケート調査をすると、「日本の文化と伝統を守らなきゃいけません」、「できるだけ守るようにしています」との回答が多数を占める。しかし、実際には何をしているか――「お正月におせち料理をどうしていますか?」と尋ねると「そこら辺から買ってきて適当に詰めて」、「お姑さんから習ったことがあるか?」と問えば「習う気もありません」。
本音から考えれば、「そんなものはいらないよ。おせちなんか誰も食べないんだし。それよりもこうしたほうがいい」という意見が出てくるのが健全でしょう。メディアから与えられた考えでなく、本音で行動するようになれば、新しい市民像が生まれると僕は思う。
頭の中では「日本の文化と伝統を大事にしなきゃ」と考える一方で、伝統など顧みず完全に手を抜いて平気な状況が普通になってしまった。自分の本音と行動の乖離を自覚せずに行動する――、大きな問題だと思うな。
初期の調査はもっとショッキングでした。調査は、1週間の朝食のメニューを写真に撮るだけ。朝ご飯の献立なんて、2日後か3日後には忘れますよね。つくっているほうだって覚えてなんていません。だから1週間分の朝食を写真に撮って、それをつくっている主婦の目の前に出すと、「私は家族にこんなものを食べさせていたのか」と本人が驚くのだそうです。
結局、正確な自画像がないのですよ。自分が何をしているかということに対するチェックが入っていないんです。

黒川:人のことは、お互いに言わない風潮になっているし。

養老:そうそう。今の人は干渉を非常に嫌うしね。しかも、食事にしても、お父さんはイギリスパンにバターつけてジャム塗って食べて、お母さんはピザを食べて、娘は……と、バラバラの状況が普通になってきたでしょう。
そんな状況で、たとえば生活習慣病とか言っているけれど、何が生活習慣病か。生活ってひとつにくくれるのか。家族が、みんな違うものを食べて、適当に違う時間に食べる社会で――。
現在の日本の医療は、社会の風潮とは逆に社会主義な形をとっていて、みんながある意味では同じように暮らしている前提に立って行われている。前提が現実と違っていると認識していないから話がおかしくなる。
僕が今の日本人に何か言うとしたら、「自分が考えていること、思っていることと、具体的に自分がやっていることが、かなりずれている人がいることに気づいてほしい」ですね。そして、こんな平和な時代に本音での行動が特に問題になるわけがないのだから、「なぜ、本音で行動しちゃいけないの?」と、本音と行動の違いに気づいた人は考えるべき。
本音と行動のギャップをはっきり自覚しないでいるから、何か事件が起こって本当に考えなきゃいけないときに、めちゃくちゃな行動になるのです。

黒川:なるほどね。医療の場合は、本音に加えて我がままも出る。

養老:そうそう。病気になったときに、めちゃくちゃに我がままになる人がいるでしょう。それは言ってみれば、普段考えていない証拠なのです。考えていることとやっていることのズレに思いがいたっていないから、いざというときにとんでもない我がままが出る。

黒川:そういう点からも、モンスター患者さんが現れることになってしまうのですね。


戦後社会をつくる中で、「市民」をつくりそびれたのでは?

黒川:医療の質を検証する方法と言うと、まず数値化が必要との話になります。僕は、妙な話だと思いますが、養老先生はどうですか。

養老:先ほども触れましたが、たとえば平均寿命は、医療ではなく社会状況で決まっているのだと僕は思っています。
広い意味での公衆衛生がいちばん影響している。もし戦争でも起これば、数値はあっという間に変わるでしょう。だから、平均寿命は医療の指針としてふさわしくはない。医療がいいから、日本人の平均寿命が長いなんて、たぶん嘘ですね。医療が助けている面はあるだろうけれど、医療の進歩で寿命が延びたというのは嘘だと思う。きちんと調べたらわかるんじゃないかな。
日本女性の平均寿命が延び出したのは、東京都の水道が塩素消毒され始めた年からなんです。水場が汚い、伝染病がある、乳幼児が死ぬことが、女性にとっていかに負担かがよくわかります。

黒川:うん、そうですね。そういう事実こそ、エビデンスですね。

昨年、イギリスで面白いエクササイズを発見しました。医学の進歩に関してレビューし、10個ほどのアイテム――たとえばペニシリンの発見、ジェンナーのワクチネーション、DNAの二重らせんの発見など――を挙げ、オンラインで「もっとも人類の健康に寄与したと思うものはどれですか」とアンケートをとるのです。結果は、養老先生の意見と同じで、サニテーション、つまり公衆衛生への得票がいちばんでした。さらに面白いのは、ベスト5に関し、それぞれの言い分を持ってディベートをさせるのです。非常に知的レベルが高いし、すばらしいエクササイズだと思いました。

養老:日本にはある種のパターニズムが残っていて、病気は医師や医学に預け、自分では考えないでいいとなっている。「自分の人生だろう」って、ときどき言いたくなるんだけどね(笑)。

黒川:本当にそう。ああいうエクササイズをしょっちゅうするイギリスには、明らかにヘルスポリシーがある。医師のコミュニティは、エクササイズを通して国民に語りかけたりすることを、自分たちの社会的責任だと思っているわけですよ。
日本では誰がそういうことをするかというと、役所になっちゃうんですね。

養老:僕は、日本が戦後の社会、いわゆる民主主義的な社会をつくる中で、ひょっとして市民社会をつくりそびれたんじゃないかと思っている。市民運動はつくったけど、「市民」はつくらなかった。ちゃんと自分の頭で考え、みんなで社会をつくる部分に手抜きがあったんじゃないかな。
本来なら、団塊の世代が社会をリードしている時期なのに、そうならないうちに彼らが定年を迎えようとしています。

黒川:右肩上がりの経済成長中で、何も考えずに突き進むうち、戦後に市民がつくられずにきた。ある意味、それでうまくいっていたところもあったんだろうね。

養老:なんでこういうことになったのか、よくわからない。安倍政権の頓挫なども、僕は世代交代がうまくいっていない、次世代が育っていない例と受け止めています。

黒川:日本はまだ、civil societyになっていないんですよ。民主主義の制度は入っているけど、国民は市民の意識、市民の責任感を持っておらず、みんなお上頼み。これじゃまずいと思ってつくったのが、日本医療政策機構です。
社会の調子が悪くなってくると、無意識のうちに市民になっていない部分が如実に顔を出す。市民運動、市民運動と言いつつ、役所に「活動するお金がほしい」と言うようじゃね。医師のコミュニティも学校の先生方、大学もそうだけど、もうちょっと自分たちの社会的責任はなんなのかを考えながら発言し、実際にアクションを起こしていってほしい。医師に関して言えば、そうしたアクションの火つけ役になればと期待し、機構ではM.D.ポリシーフォーラムなる医師の社会への発信を支援する組織を運営しています。
養老先生がおっしゃったように、やはり自分たちで考えてアクションを起こすことがすごく大事で、そういうことの積み重ねが市民社会の形成につながるんだと僕も思いますね。
さて、そろそろ時間も尽きてきました。最後に、養老先生から現場の臨床医にメッセージをお願いします。

養老:医療政策の問題、医療全体の在り方について、医師は日常が忙しいせいか、柔軟に考えられなくなってきている気がします。
僕が常日ごろ思うのは、医師に直接かかわりある問題、特に倫理的な問題については、医師会が方針を出すようであってほしいということ。脳死問題、安楽死問題、あるいは尊厳死問題等についても、裁判所が口を出すのは間違っていると思う。本来は医師会が、自分たちのこととして取り組むべきでしょう。それくらいは担える医師会になってほしい。
そういうことを実現するには、お医者さんたちがそれぞれ自分の職業をきちんと本気でやってくださることが根本的に大事なんじゃないかと思います。

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プロフィール
養老 孟司東京大学名誉教授
1937年、神奈川県生まれ。1967年に東京大学大学院基礎医学博士課程を修了。東京大学助手・助教授を経て、1981年解剖学第二講座教授となる。1995年東大を定年前に退官。
以後、北里大学教授、大正大学客員教授などを歴任。著書『バカの壁』は2003年、400万部を超えるベストセラーとなり、毎日出版文化賞特別賞受賞。その他、『唯脳論』『考えるヒト』『養老孟司の<逆さメガネ>』『死の壁』『超バカの壁』など著書多数。

ホスト:黒川 清 日本医療政策機構 代表理事

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