【開催報告】第95回HGPIセミナー「こどもの健やかな成長に向けたメンタルヘルスサポートのあり方」(2021年6月3日)
今回は同志社大学心理学部 教授 石川信一氏をお招きし、日本のこどものメンタルヘルスの現状やCOVID-19感染拡大が及ぼす影響、また現在取り組まれている認知行動療法の考え方を活用した、こどものメンタルヘルス予防プログラムの実践研究についてお話しいただきました。
<講演のポイント>
- 近年、不登校や学校における暴力行為、いじめ等の件数は増加傾向にあり、その背景には不安や抑うつ等メンタルヘルスの問題が存在している
- COVID-19がメンタルヘルスに及ぼす影響は大きく、例えば全校休校をした学校では、こども及び保護者の不安、抑うつ等の程度が高いことが示されている
- メンタルヘルスの問題に対して、認知行動療法[1] の有効性が実証されている。メンタルヘルス予防における「すべての人に対する支援(Universal Prevention)」の観点から、学校教育での認知行動療法の考え方を活用した予防的介入の普及が期待される
- 小・中・高等学校で認知行動療法を活用したメンタルヘルス予防プログラムの実証研究を実施し、一定の成果が得られた。今後さらなるエビデンス構築と普及が望まれる
■学校における生徒指導上の諸課題とこどものメンタルヘルスとの関連
不登校や暴力行為、いじめ等、学校における生徒指導上の諸課題は増加傾向にある。文部科学省「令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によれば、小・中・高等学校における暴力行為の発生件数は78,787件(前年度72,940件)となっており、特に小学生については4年連続で増加し、過去最大の件数を更新し続けている。またいじめの認知件数は612,496件(前年度543,933件)、小・中学校における不登校児童生徒数181,272人(前年度164,528人)と、いずれも過去最大の件数を更新した。これまで様々な対策がなされているものの、学校における諸課題は改善されているとは言い難い。
こうした課題の背景には、こどものメンタルヘルスの問題が関連している。例えば、不登校の要因で最も多いのは本人の「不安」であり、次いで「無気力」が多い。この傾向は10年前から変わっていない。
では、どの程度のこどもがメンタルヘルスの問題を抱えているのか。世界保健機関(WHO: World Health Organization)が2001年に公表したデータによれば、何らかのメンタルヘルスの問題を抱えるこどもは全体の10~20%程度と見積もられている。また世界のこどもの6.5%が不安の問題を示しているとの研究もある。
日本国内でもいくつかの調査が行われており、文部科学省による調査によれば、学習面または行動面で著しい困難を示す児童生徒は全体の6.3%と示されている。また宮崎大学の研究では、中学1~2年生の4.9%がうつ病を抱えていると推計された。しかし、日本国内で「どの程度のこどもがメンタルヘルスの問題を抱えているか」について、大規模調査が実施されていないため、実態を正確には把握できていない。今後、日本でも実態把握に向けたデータ整備が求められる。
■コロナ禍でのメンタルヘルス
COVID-19はメンタルヘルスの問題に大きく影響を及ぼしている。2020年1月~3月までのCOVID-19に関する有病率のメタ解析研究によれば、対象者約22万人のうち、うつ(31.4%)や不安(31.9%)、不眠(37.9%)を抱える人がそれぞれ全体の30%以上にものぼることが示された。また本研究では、諸外国の医療従事者やCOVID-19罹患者を含め様々なサンプルを対象とした研究論文が解析されているが、各サンプル間の有病率には大きな偏りは示されなかった。
日本でも徳島大学の研究チームがメンタルヘルスに関するオンライン調査を実施し、対象者のうち約36%が軽度から中程度の心理的苦痛を感じていることが報告された。また報告では、特に若年層、女性、医療従事者等の心理的苦痛が高い傾向にあったことが指摘されている。
こどものメンタルヘルスへの影響については、同志社大学の研究チームが小・中学生の保護者へアンケートを実施し、学校での休校実施状況(全校休校・一部休校・全校開校)とこども及び保護者の不安や抑うつ症状等との関連性を調査した。その結果、全校休校した学校におけるこども及びその保護者の不安や抑うつ症状、過敏性等の数値が突出して高く、次いで部分休校した学校が高い傾向を示した。このことから、COVID-19感染対策として実施された休校はこども及び保護者のメンタルヘルスに影響をおぼしていると考えられる。
■こどものメンタルヘルスに対する認知行動療法の有効性と現在の課題
心理的問題に対して、認知行動療法(CBT: Cognitive Behavior Therapy)の有効性を示すエビデンスが確立されつつある。CBTはこどもの不安症、強迫症、薬物依存等様々なメンタルヘルスの問題に対する高い効果が示されており、日本でも多くの研究が行われている。しかし、対象となる問題、症状によって、エビデンスの質・量にばらつきがあり、特定の問題がない集団に対するCBTを活用した予防的介入に関する論文と比較して、不安やうつ、攻撃的行動に対するCBTの有効性を研究した論文は少なく、さらなる発展が望まれている。今後はそうした領域におけるCBTのエビデンスを構築するとともに、既に一定のエビデンスがある領域、特に学校におけるCBTの考え方を活用した予防的介入を実装、拡充していく必要がある。
■メンタルヘルス予防の考え方と学校教育の重要性
COVID-19感染拡大や英国等での取り組み、持続可能な開発目標(SDGs : Sustainable Development Goals)[2] に代表される国際的な潮流を受け、学校におけるメンタルヘルス予防、予防的教育への社会的要請が高まっている。WHOにおいても、「学校はこどもの社会的・情緒的な発達を促進するカギとなる役割を担う」と述べられ、こどものメンタルヘルスにおける学校教育の重要性が指摘されている。
メンタルヘルス予防の考え方については、下記図を示しながら説明したい。
図1の三角形の上部で示されているように、ハイリスク群に対しては、専門家による集中的な介入、治療的支援(treatment)が必要となる。しかし、メンタルヘルス予防を考えるうえではより多くの個人・集団を対象とした「すべての人に対する支援(Universal Prevention)」も非常に重要だ。そうした観点から、学校、特に義務教育における予防的介入は、すべての人へアプローチできるため、メンタルヘルス予防へ大きく寄与できる。
また予防については、初発予防、再発予防、メンタルヘルスの問題が引き起こす二次的な問題に対する予防、啓発的予防等、様々な取り組みがなされているが、なかでも「リスク低減予防」が重要と考えている。リスク低減予防とは、これまでの研究で明らかになっている心理的問題のリスク要因をできるだけ取り除くことを重視した考え方だ。リスク要因には遺伝的・生物学的要因のほか、発達段階に応じて家族要因、社会的要因、学校要因等様々な要因がある。私たちの研究チームでは、特に学校での実施という観点から、こどもの社会性、社会的要因に注目したプログラムを実施している。学校という場でこども自身のものの捉え方(認知)やストレスとの向き合い方について学べるプログラムを実施することによって、こどもたち同士のつながり等の社会的要因にも同時にアプローチできる。
■実践研究としての「こころあっぷタイム」とその展開
このような考え方に基づいて、私たちの研究チームでは、2000年以降、学校でのメンタルヘルス予防プログラムに関する研究を進めてきた。主な取り組みを図2に示す。
2014年から開発に取り組む「こころあっぷタイム」については、現在、「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(ソリューション創出フェーズ)」の一つのとして研究を進めている。このプログラムは、認知行動療法の考え方に基づいて、幼児から青少年までのこどものこころのレジリエンス[3] 向上を目的に開発されたものだ。開発にあたっては、ユーザー視点のデザイン(Principle of User Centered Design)を意識しながら、下記のような工夫を施し、より効果的かつ実践しやすいプログラムを目指している。
1. 現場の教師と相談しながら指導案、板書計画を作成
2. 漫画を使ってわかりやすく、かつ楽しく前向きに学べる仕組み
3. 登場人物を工夫し、メタファーを使って多様な問題を網羅的に学べる仕組み
4. 教室の場を活かし、グループ活動を重視したプログラム内容
このプログラムの効果について、パイロットスタディとして小学校4年生から6年生、約300名を対象としたシングルアーム研究を実施した。結果として、プログラム実施前と3か月後時点を比較して、一般性自己効力感[4] が有意な向上がみられた。また総合的困難を表す指標(SDQ: Strengths and Difficulties Questionnaire)[5] についても、児童及びその保護者について、プログラム実施後に有意な改善がみられた。さらに教師によるこどもの社会性評価についても、実施後3か月、6か月の時点で改善がみられている。
また上述のプログラムを応用して中高生を対象とした青年期版のメンタルヘルス予防プログラムを開発し、効果検証を行った。中学1年生、及び高校1~2年生をそれぞれ対象とした研究を実施し、プログラム実施前後による不安症状の軽減が示されている。しかし、現状ではコントロール群が設定できていないこと等、プログラムの効果検証には課題が残っている。
こうした課題を踏まえ、現在、市単位で2つの研究が進行している。一つは12の学校、約2,100名の生徒を対象に、3年間プログラムを継続的に実施し、その効果検証を行う研究だ。これまでのトライアルと同様に対象生徒の不安やうつ、怒り等の指標に加え、教師のメンタルヘルスリテラシーやストレスも評価する。また、複数の学校に対して時期をずらしてプログラムを実施し、その効果を検証する研究も進めている。プログラム実施予定の学校と実施済みの学校とを比較評価することで、上述のコントロール群の不在という課題を解決し、プログラムの効果を十分に検証できると考えている。
■今後の展望
今後は、プログラムを日本全国の小学校、中学校、高等学校等で実装させるべく、人材育成、研修体制の整備、プログラムの効果検証を行っていきたい。また将来的には、福祉の領域への展開や、海外在住の日本人向けのプログラム実装等も視野に入れて活動していく。上述の通り、メンタルヘルス予防において、学校教育は「すべての人に対する支援(Universal Prevention)」として非常に重要な役割を持つ。学校等におけるメンタルヘルス予防プログラム開発、社会実装を通じて、将来の社会を担うこどもたちのこころのレジリエンス向上に寄与していきたい。
[1] 認知行動療法(CBT: Cognitive Behavior Therapy)は、人の気分や行動は、物事に対する見方(認知)の影響を受けるという認知行動モデルに基づき、問題解決につながる柔軟な考え方や健康的な行動パターンに修正を図っていくことで気分の改善を目指す精神療法。うつ病のほか不安症やストレス関連疾患などの様々な精神疾患に対する治療効果と再発予防効果が実証されており、標準的治療の一つとして国内外の診療ガイドラインに推奨されている。
[2] 2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。17のゴール・169のターゲットから構成されており、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載されている。(参考:https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html)
[3] 逆境に対する反応としての精神的回復力や自然的治癒力
[4] ある結果を生み出すために必要な行動をどの程度うまくできるかという確信の程度
[5] 子どものこころの健康度を評価する指標の一つ。子どもの困難さ(difficulty)のみならず、強み(strength)も評価できる点が特徴であり、英国を中心に北欧やドイツなどヨーロッパで広く用いられている(参考:https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/boshi-hoken07/h7_04a.html)
■プロフィール
石川 信一 氏(同志社大学心理学部 教授)
博士(臨床心理学)、臨床心理士専門行動療法士、公認心理師。2001年早稲田大学人間科学部卒業、2003年早稲田大学人間科学研究科修士課程修了、2005年北海道医療大学心理科学研究科博士後期課程中退、同年宮崎大学教育文化学部専任講師、フルブライト研究員(Swarthmore College)(2011-2012年)、2011年同志社大学心理学部准教授、マッコリー大学(2018-2019年)客員教授を経て、2018年より現職。現在、日本心理学会代議員、日本認知・行動療法学会理事、日本認知療法・認知行動療法学会幹事。主な受賞歴、日本行動療法学会内山記念賞(2005年)、日本カウンセリング学会独創研究内山記念賞(2006年)、公益社団法人日本心理学会優秀論文賞(2016年)
<【開催報告】第96回HGPIセミナー「認知行動療法の現在と今後の普及に向けた展望について」(2021年7月1日)
【開催報告】第94回HGPIセミナー「当事者主体のメンタルヘルス政策の実現に向けて~ピアサポートの理念を通じた政策立案プロセスにおける「協働」~」(2021年4月27日)>
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