【開催報告】第86回HGPIセミナー「持続可能な医療財政システムとイノベーションの両立に何が必要か~「日本経済の再構築」に向けた新しい哲学と政策オプション~」(2020年6月17日)
日付:2020年8月12日
今回のHGPIセミナーでは、法政大学の小黒先生をお招きし、「持続可能な医療財政システムとイノベーションの両立に何が必要か~『日本経済の再構築』に向けた新しい哲学と政策オプション~」として、医療財政の現状を踏まえ、改革のための哲学やそのためのネクストステップについてお話しいただきました。
なお本セミナーは新型コロナウィルス感染対策のため、オンラインにて開催いたしました。
<講演のポイント>
- COVID-19拡大などの有事においても安定して医療を提供する体制構築が求められる。
- 公的年金では自動調整メカニズムの導入で給付総額(対GDP)が安定的に推移し、改革のターゲットになり難いが、医療・介護の給付費は対GDP比で上昇するため、政治的に改革の争点になり易い。
- 「大きなリスクは共助、小さなリスクは自助で」という基本的な哲学に基づき、有効性が低い医薬品の自己負担率を上げるなどして、財政上の負担を軽減する。
- 保険(リスク分散)と税(再分配)機能を切り離し、それぞれの配分を検討する必要がある。
- 医療費においても、自動調整メカニズムによる統制を一部に導入し、改革議論の脱政治化を図るべきである。
■財政視点からみた医療システムの持続可能性
昨今、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルス感染症(COVID-19: Coronavirus Disease 2019)のもたらす不確実性は社会に様々な影響を与えている。こうした状況下でも安定した医療提供体制を構築するために、医療財政の持続可能性の向上が重要である。
2019年度における予算では社会保障関係費が全体歳出額の34.2%を占め、1990年度の当初予算における17.5%から歳出に占める割合が16.7パーセントポイントも増えており、政府債務残高に膨張圧力を加えている。この背景には1997年度頃より社会保険料収入の増加幅が伸び悩み、社会保障給付費の伸びが保険料収入のそれを上回っていることがある。2013年度予算では、社会保障給付費の財源の約60%が保険料収入であり、両者の伸びの差は医療システムの持続可能性を脅かす重要な課題である。
経済協力開発機構(OECD: Organisation for Economic Co-operation and Development)諸国の社会保障支出と国民負担率の国際比較をみると、日本は1990年には給付と負担のバランスがとれていたが、国内総生産(GDP: Gross Domestic Product)の成長率を上回る給付の伸びによって2015年には給付過多と位置付けられている。この傾向が続けば2060年にはより一層社会保障支出が膨張する恐れがある。
社会保障給付費には、年金、医療、介護、生活保護や子育て支援等が含まれているが、これらの財源となる保険料収入や税収は基本的にGDPの成長に伴って増加するため、対GDP比で社会保障給付費を考えることが重要である。対GDP社会保障給付費の伸びは2010年から緩やかになっている。一方で、社会保障給費の見通し(経済:ベースラインケース)によると、対GDP医療費は2018年度の7%から2040年度には最大約2パーセントポイント増加すると推計されている。他方、公的年金の支出は、対GDPに占める割合が一定に制御されており、対照的に増加予測となっている医療においてはさらなる改革が求められる。
こうした中、2019年度には消費税が10%に引き上げられ、その財源の一部を用い、2020年度の社会保障予算の充実分として約1.2兆円が利用された。税収の増加に加え、高齢化に伴う自然増による約0.4兆円等を加え、2020年度の社会保障予算は前年と比べ約1.7兆円増加している。これにより保育や医療介護分野などの社会保障の拡充がなされている。しかし、基礎的財政収支(PB: Primary Balance)をみると、当初予算ベースの比較で、2019年度から2020年度にかけて赤字幅は約500億円拡大見込みである。増税による社会保障の強化はなされたものの、それによって必ずしも財政的な問題が改善されたとはいえず、消費税の増税にとどまらない改革が必要である。
■医療システムの改革の哲学
以上の状況で何らかの改革が必要だが、日本の医療財政を俯瞰し、3つの改革の哲学を提示する。
- 方策1:「大きなリスクは共助、小さなリスクは自助で」という基本哲学の元、公的保険の給付範囲などを見直す。
- 方策2:「保険(リスク分散)」の機能と「税(再分配)」機能を切り分け、公費は本当に困っている人々に集中的に配分する。
- 方策3:経済成長以上の社会保障費の伸びは自動調整メカニズムで抑制し、改革議論の脱政治化を図る。
大きなリスクは共助、小さなリスクは自助とし、公的保険の給付範囲などの見直しを検討するべきである。その際、給付率や自己負担率の見直し対象は、1人当たりの年間標準治療費からみる家計の財政へのインパクトが低く、同時にP(価格)× Q(量)の市場規模が大きいものとするべきである。例えば湿布や胃腸薬などは、1人当たりの年間標準治療費は比較的安価であり自己負担率を増やしても家計への財政破綻のリスクが少ないが、Qが大きいため、市場規模(P×Q)が大きく、これらの自己負担率の増加すなわち給付率の削減による社会保障給付費全体の抑制効果は大きい。
また、リスク分散機能を持つ「保険」と再分配機能を持つ「税」は切り分けて考えられるべきである。これによって、公費は本当に必要な人々、困っている人々に集中的に配分できるよう制度設計をする必要がある。マイナンバーを活用し、世帯収入に応じた自己負担率の決定などによって、収入の低い人々などに優先的に公費を配分する制度などが考えられる。
最後に、公的年金に導入された対GDP比の給付総額の自動調整メカニズムを一部医療費にも適応し、予算の議論の脱政治化が期待される。診療報酬改定の全体の改定率は未だ政治の影響を強く受けるが、マクロな全体の改定率は自動調整し、その中で医療費の配分を議論するべきである。特に今後の高齢化によって自然増が予測され、公費の拠出も多い後期高齢者医療制度への導入を推奨する。これは医療費を削減するものでなく、診療報酬や医療費の伸びを緩やかにすることで、医療費(対GDP)を安定化することが目的だが、このメカニズムの導入は予算フレームを構築することを意味するため、予算枠に余りがあれば予算を傾斜配分することができ、COVID-19拡大下の有事における医療需要の変化にも対応できる予算を捻出することができる可能性がある。
■今後の改革の推進のために
その他に、保険財政の持続可能性と産業競争力の向上を両立するための薬価引き下げの対象外とする特別枠の創設や、人工知能(AI: Artificial Intelligence)や情報通信技術(ICT: Information and Communications Technology)、データなどのイノベーションを積極的に活用した改革(データ金融革命との融合を含む)が求められる。
こうした中長期的な改革のためには、1950年の社会保障制度審議会による「社会保障制度に関する勧告」のように、理念と制度化の方向を示すことが求められる。昨今の少子高齢人口減少社会や、革新的な医療技術のイノベーションに対応する医療システムを構築するために、理念と方向性を示す「令和版」の勧告の検討が必要である。そのために、関係大臣やその他の有識者による会議体を形成し、上述した社会保障の改革の哲学を一案として、これからの改革のビジョンを示すことが求められる。
■プロフィール
小黒 一正 氏
法政大学経済学部教授。1974年生まれ。京都大学理学部卒業、一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。1997年 大蔵省(現財務省)入省後、大臣官房文書課法令審査官補、関税局監視課総括補佐、財務省財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授などを経て、2015年4月から現職。この間、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員、経済産業研究所コンサルティングフェロー、厚生労働省「保健医療2035 推進」参与、内閣官房「革新的事業活動評価委員会」委員、会計検査院特別調査職、鹿島平和研究所理事、日本財政学会理事、新時代戦略研究所理事、キヤノングローバル戦略研究所主任研究員等を歴任。専門は公共経済学。
<【開催報告】第87回HGPIセミナー「アフターコロナの医療政策:中央地方関係の歴史的視座から考える」(2020年8月7日)
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