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【開催報告】第87回HGPIセミナー「アフターコロナの医療政策:中央地方関係の歴史的視座から考える」(2020年8月7日)

【開催報告】第87回HGPIセミナー「アフターコロナの医療政策:中央地方関係の歴史的視座から考える」(2020年8月7日)

今回のHGPIセミナーでは、公共政策、地方自治の観点から日本の医療制度・医療政策を研究する政治学者の宗前清貞氏をお迎えし、政治学・政策研究の視点から医療を捉える意義や視点、また地方政府における医療行政についてお話しいただきました。
なお本セミナーは新型コロナウィルス感染対策のため、オンラインにて開催いたしました。

 

 

 

 


<講演のポイント>

  • 医療政策を考える上では、社会制度としての「医療」と科学技術としての「医学」を区別することが重要である。
  • 医療政治の観点では、戦後長らく医療経済イデオロギー(=政策理念・機関哲学)が中心課題であり、診療報酬体系をめぐる分析が焦点とされてきたが、長い目で見たときには供給体制も含めた医療の目指す方向性を考えることも重要である。
  • アフターコロナの日本社会において、現行の制度装置を前提とする以上、医療政策は大きくは変化しないが、医学以外の専門知との関係性構築が1つの焦点となりうる。

■政治学における医療
私の研究者としての出発点は地方自治研究であったが、自治体が実施する個々の政策を見るうちに、公共政策全体に関心を持つに至った。公共政策には個々の政策分野への理解を深める必要性があり、現在は医療制度・医療政策を研究対象としている。
政治学は、利益・価値をめぐる争いとその調整のプロセスを分析することを主とする学問領域であるから、調整の実現に至る権力関係や、調整の手段や制度といった観点から分析を行うことが一般的である。権力関係分析の主眼は、支配と服従の駆け引きの過程を通じた支持調達までの流れにある。こうした場合、政治学としての医療に対する視点は、社会保障制度や制度設計に至るまでの合意形成過程に注目が集まる傾向にあり、医療そのものには目が向けられて来なかった。
政治学の一分野としての地方自治研究は、同一国内でサンプル数が多く政策の「独立変数」を探索するのに適している。一方で地方自治研究は、戦前戦後の分断を前提とし、お手本として先進事例に着目しすぎる傾向から、地方自治論の中で医療政策研究は盛んとは言えない。
地方自治研究では「中央地方関係(IGR: Inter-Governmental Relations)」が重要な視点である。日本の政策は国・都道府県・市町村が一体的に政策を推進していることが多い。IGRはそれぞれを上下関係でなく互いに独立した政府として捉える考え方であり、国際政治理論を援用したものである。さらに政治学の視点で医療政策を捉える上で「歴史的制度論」の考え方も大切だ。医療のように長時間をかけ制度を整える領域では、これまでの政策経緯によって将来の政策選択が規定されやすくなる(経路依存性: path-dependency)ため、諸外国の好事例をピンポイントで導入することは難しいケースもある。もちろんこうした考え方にも課題はあり、現代の資本主義国家を見るとき、福祉国家としての歴史の中に医療を位置付けているが、医療と福祉は親和性が強いものの、医療は歴史がより長く福祉とは異なるものとして捉えることもできる。

■日本の医療制度をどう見るか
私の考える医療の研究視点として、次の4つがある。
「医療と医学」:社会制度としての医療と科学技術としての医学を区別すること
「医学の特性」:医学は常に進歩する技術であり、国民が医療に持つ期待値は常に変化すること
「供給と経済」:医療の普及には物理的アクセスと経済的アクセスの2つが必要であること
「治療と公衆衛生」:直接的な治療としての医療はもちろん、保健所など環境整備としての医療の役割も非常に重要であること

日本の医療制度は総じてバランスの良い制度として高く評価されている。これらを考える上では、「安くて良いのはなぜか」「後発国である日本がなぜ先進国に追いついたのか」「医療に比べ社会福祉が遅れているのはなぜか」「国民皆保険が成立し維持されたのはなぜか」といった論点が考えられる。日本の医療が「安くて良い」理由として、日本の地方政府が保健事業や国民健康保険制度を運営する力を持っていることが考えられる。また診療報酬制度の下、疑似的な単一支払制度となっており公的医療保険制度がその安さを支えている。さらに「後発国である日本がなぜ先進国に追いついたのか」という点は、医学の大きな進展と日本の開国時期が重なったことで、日本の医学が一気に進展したことが要因の一つであろう。1874年に発布された医制を契機として、日本における西洋医学が発達した。そして「医療に比べ社会福祉が遅れている」という点は、戦前の医療ニーズが先行していたことによりアンバランスな状況が生まれたと考えられる。福祉は、戦前の都市部のスラム対策や、戦後に戦争によって障害を抱えたり生活困窮に陥ったりした人への支援を主な目的としながらもGHQの指導により対象を広く設定して成立した福祉三法体制によって整備されてきたため、本来の社会福祉の趣旨とは異なる形で発展してきた。「国民皆保険が成立し維持されたのはなぜか」という疑問には、第二次世界大戦前後の社会状況がその答えとなる。戦後のインフレが激しかったことで、それまでの自由診療の顧客となっていた中間層が没落した。そのため医師たちは収入源を確保するため、定額診療にもかかわらず保険診療を受け入れた。また戦前に医師の養成を加速させたため、戦後に医師が余剰となっていたこともそれを後押しした。
政府は政策資源として、規制、供給、誘因といった権限を持ち各種統制を行っている。医療への関与は供給面と経済面が中心で、供給面として資格管理等の医育、病院設置などの権限、経済面として健康保険制度における診療報酬体系を通じたコントロール、その他の面では研究開発、各種計画策定などが挙げられる。特に権力の駆け引き過程という政治分析の視点に立てば、戦後の医療は診療報酬制度を軸にした医療経済的な側面が強いように感じる。しかし歴史的に見れば、政府が医療に果たした役割として、公衆衛生的側面が大きかったといえる。特に1930年代の地方政府の機能拡大によって、保健婦や保健所の設置や、医療利用組合や国民健康保険制度の定着など、公衆衛生の増進が進んだ。今回のCOVID-19では特にこの点が際立っており、日本での感染を諸外国に比べて一定程度抑えることができている要因の一つと考えることもできるのではないか。

■「アフターコロナ」の医療政策の展望
今回のCOVID-19によって、専門知と政治のバランスの取り方や異なる分野の専門知のハンドリング方法といった、政策決定過程における専門知との関係性に関する課題が浮き彫りになった。現在の社会状況を見ても、感染症対策に直接関係する課題も多いが、それ以上に波及的な課題である国際政治的課題、経済的課題など非医学的な問題への対処に迫られていることが分かる。今後は1分野の専門知だけで社会全体を統御できず専門分野を超えた「メタ専門性」が必要だが、日本のみならず国際社会がそうした意識を持つことができるかは未知数である。
いわゆる「アフターコロナ」の医療政策の展望を明確に予測することは難しいが、大きな変化は生じないだろうと考えている。今の日本の医療制度を動かす仕組みである制度装置(公的医療保険制度、診療報酬体系、厚生労働省や保健所をはじめとした行政機構など)はアフターコロナの世界でも変わらないだろう。そうした制度装置を前提として政策選択が規定される以上、医療政策全体が激変する可能性は少ないと考える。また歴史的に、日本は社会の隅々まで公衆衛生イデオロギーが浸透していることは大きなポイントである。学校における衛生教育が徹底されていることや、保健所のネットワークが確立していることも、その変化を限定的なものに留める要因になるだろう。


■プロフィール
宗前 清貞 氏 (関西学院大学 総合政策学部 准教授)
関西学院大学総合政策学部准教授。1964年埼玉県生まれ。東北大学法学部卒、同大学院法学研究科博士後期課程満期退学、2020年博士(法学)。琉球大学法文学部准教授、大阪薬科大学教授を経て、2016年4月より現職。専門は政策過程論、医療制度研究 、地方自治論。主著に『日本医療の近代史』(ミネルヴァ書房)、「医療行政における地方政府」(焦従勉・藤井誠一郎編『政策と地域』(ミネルヴァ書房))、「医療政策における専門知の形成と機能」(久米郁男編『専門知と政治』(早稲田大学出版部))など。


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