【開催報告】第139回HGPIセミナー「循環器病対策の新たな展望 ― 患者・当事者参画の視点から」(2025年10月9日)
今回のHGPIセミナーでは、大阪医科薬科大学 医学部 外科学講座 胸部外科学教室 講師/附属病院 心臓血管外科 医師である神吉佐智子氏をお迎えしました。神吉氏は、これまで日本循環器協会において、長年にわたり患者会との協働を推進し、循環器領域における患者・当事者参画をリードしてこられました。また、同大学女性医師・研究者支援センター副センター長や日本学術会議連携会員、学術団体等で委員・評議員を務めるなど、臨床・研究・教育の各分野で幅広く活動されています。本セミナーでは、日本における循環器病対策の現状と今後のあり方、患者・当事者参画の重要性について、豊富なご活動実例を交えながらご講演いただきました。
<POINTS>
- 循環器疾患は依然として日本人の主要死因の一つであり、心疾患は悪性腫瘍に次いで第2位を占める一方、脳血管疾患の死亡率は認知度の向上とともに大きく低下している。
- 特に、高齢化により心不全を中心とした循環器疾患が急増し、2055年には患者数が100万人を超える「心不全パンデミック」が到来すると予測されており、この領域においての喫緊の課題である。
- 循環器疾患病の中でも、希少難病に位置づけられる遺伝性大動脈疾患(マルファン症候群、ロイス・ディーツ症候群、血管型エーラス・ダンロス症候群など)では、家族単位での早期診断と継続的な管理が重症化予防の鍵となる。
- 循環器疾患の予防から治療・リハビリまでを包括的に支援するために2019年に施行された「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法(以下、循環器病対策基本法)」、および、2021年の日本循環器協会設立を契機に、患者会・医療者・行政が連携し、患者・市民参画(PPI: Patient and Public Involvement)を通じて当事者の視点を反映させた、実効性の高い循環器病対策の推進が期待されている。
脳卒中・循環器疾患の認知度と死亡率の現状
わが国の死因において、心疾患(高血圧症を除く)は悪性腫瘍に次いで常に第2位を占めており、その死亡率は過去20年間、ほぼ横ばいの状態にある。一方で、興味深いデータとして脳血管疾患の推移が挙げられる 。脳血管疾患は、疾患に関する正しい知識の普及と社会的認知の広がりとともに、死亡率が顕著に低下した。具体的には、2003年には死因の13%(第3位)を占めていたが、2023年には6.6%(第4位)へと減少した。この事実は、疾患に対する適切な理解が予防や早期受診、ひいては死亡率の低下につながることを示唆している。
しかし、循環器病全体の認知度については依然として課題が残る。日本脳卒中協会と日本循環器学会が、厚生労働省の令和6年度の普及啓発事業の一環として実施した脳卒中・循環器病に関する国民の知識調査によると、脳卒中や心臓病について「よく知っている」「ある程度知っている」と回答した人が43.4%に達した。その一方で、心不全、狭心症、大動脈瘤破裂、心房細動、急性大動脈解離などの認知度は総じて低く、疾患の具体的なリスクや症状への理解が国民に十分浸透していない現状が浮き彫りとなった。
心不全パンデミックの到来を見据えた、生活習慣リスク管理の重要性
脳血管疾患の死亡率が低下する一方で、心不全をはじめとする循環器疾患の増加は、超高齢社会を迎えた日本にとって最大の課題の一つである。65歳以上の新規発症の心不全患者は2030年までに急増し、2055年には100万人を超える「心不全パンデミック」の到来が予測されている。
循環器疾患の影響は、単に生命予後にとどまらない 。介護が必要となる主な要因のうち、循環器疾患は全体の21.2%を占めており、認知症や骨折などの老齢症候群(53.9%)に次いで高い割合を示している。心不全は一生のうち4度、予防の機会があるとされており、高血圧、脂質異常症、糖尿病、喫煙、飲酒、運動不足、感染症といった生活習慣リスクの管理が、健康寿命の延伸において極めて重要である。
希少難病診療から見える早期診断の重要性
循環器疾患の中でも、希少難病に位置づけられる遺伝性大動脈疾患については、早期診断とその後の家族を含めた継続的な管理が特に重要である。臨床現場では、血管型エーラス・ダンロス症候群(VEDS)やマルファン症候群など、結合組織の異常を背景とする患者が、軽微な動作で血管損傷に至る重篤な事例も報告されている。
例えば、マルファン症候群は、全身の結合組織が脆弱になる疾患で、高身長や骨格異常、水晶体脱臼のほか、大動脈瘤・解離といった命に関わる合併症を伴う。この疾患は常染色体顕性(優性)遺伝であり、子への遺伝確率は約50%であるが、適切なスクリーニングと定期的な画像診断、遺伝カウンセリングを行うことで、重篤な合併症の予防は可能である。実際に、一人の患者の受診をきっかけに家族内でも同一疾患が発見され、適切な治療に結びついた事例も存在する 。
また、大動脈疾患は進行が極めて速く、急性大動脈解離においては発症後1時間ごとに死亡率が約1%ずつ上昇するとされている。こうした時間との闘いにおいて、迅速な診断と治療を提供できる「急性大動脈スーパーネットワーク」のような診療ネットワークの整備が不可欠であるが、現状では東京を除き、十分に整備が進んでいないという地域格差の課題も残されている。
患者やその家族の視点で考える患者会の役割
希少難病の患者やその家族が抱える苦悩は多岐にわたる。疾患に詳しい医師へのアクセスが限られていることに加え、重篤な疾患が見逃される不安、周囲からの理解が得にくいといった孤独感、さらに通学・就職・就業といった各ライフステージで、疾患の特性に応じた適切な生活設計を立てるための情報や指針が不足しており、医療面のみならず生活面での困難が深刻である。また、難病・障害年金の申請手続きや相談支援の不足も、当事者にとって大きな負担となっている。
こうした状況において、患者会は交流や情報共有の場として重要な役割を担っている。交流会の開催や医療者が医療アドバイザーとして関与する取り組みを通じて、患者や家族の声を直接聞き、医療と生活支援をつなぐ協働体制の構築が進められてきた。また、近年では欧米発の「Aortic Dissection Awareness Day(世界大動脈解離啓発デー)」や「Think Aorta(大動脈を考えよ)」を合言葉とした国際的な啓発活動が日本でも展開されている。2018年に大阪で開催された講演会を皮切りに、日本マルファン協会などを中心として、医療従事者や市民に対して大動脈疾患を疑う意識を広める活動が継続されている。
患者会の抱える課題とそれを乗り越えるための日本循環器協会の取り組み
患者会は疾患啓発や情報共有、政策提言において重要な役割を担う一方で、その運営面では深刻かつ構造的な課題に直面している。活動を支える人材や後継者の不足が顕著であり、特定のメンバーに業務が過度に集中している現状がある。また、SNS等で個別に情報を得る患者が増える一方で、組織としての患者会に参加する若年層は減少傾向であり、会の基盤維持が困難となっている 。さらに、不安定な会費収入やわが国における寄付文化の未成熟さといった財政基盤の弱体化は、政策提言や社会発信における影響力の低下を招く恐れがある。
こうした課題に対し、2021年に設立された一般社団法人日本循環器協会は、医療者、患者、企業、行政など多様なステークホルダーをつなぐ協働のプラットフォームとして、さまざまな活動を行っている。協会内に設置された「患者連携委員会」では、患者会同士のネットワーク形成や、患者・当事者の声を政策提言や啓発活動に反映する取り組みが進められている。さらに、日本循環器学会学術集会への患者会ブース設置などを通じ、専門家と当事者が直接対話する機会も拡大している。市民啓発においても、8月10日の「健康ハートの日」や、女性の循環器疾患に焦点を当てた「Go Red for Women」キャンペーン、子どもたちが心臓の仕組みを学ぶ教育イベントなど、幅広い世代を対象にした重層的な活動が行われている。このような取り組みを通じて、患者会が持続可能な役割を果たせる社会環境の醸成を目指している。
医療における患者・市民参画の重要性と循環器病対策の今後の展望
医療は専門職のみで完結するものではなく、市民が主体的に関わり、共に築いていくものである。一人ひとりの価値観や背景、遺伝的特性を尊重した意思決定が行われるためには、医療の意思決定プロセスに市民が積極的に関与することが重要である。患者会が担う情報提供、ピアサポート、政策提言、社会啓発、研究協力といったなど多面的な役割は、患者と医療者が互いへの理解を深め、誰もが安心して医療を受けられる関係性を築くことに大きく寄与している。
今後の循環器病対策においては、患者会活動を支える持続的な仕組みづくりが必要である 。行政には制度的・財政的な支援が、医療・教育機関には、多職種連携や、患者・当事者の経験を教育に取り入れる取り組みが求められる。また、企業や研究機関においても、研究開発や政策決定の過程に患者や市民の視点を反映する「患者・市民参画(PPI: Patient and Public Involvement)」を推進することが期待されている。このような多層的な協働を通じて、医療と社会の信頼関係を深めることが、誰もが安心して医療にアクセスできる環境を実現し、医療政策全体の持続的な発展につながると考えられる。
【開催概要】
- 登壇者:
神吉 佐智子氏(大阪医科薬科大学 医学部 外科学講座 胸部外科学教室 講師/附属病院 心臓血管外科 医師) - 日時:2025年10月9日(木)18:00-19:15
- 形式:オンライン(Zoomウェビナー)
- 言語:日本語
- 参加費:無料
- 定員:500名
■登壇者プロフィール
神吉 佐智子(大阪医科薬科大学 医学部 外科学講座 胸部外科学教室 講師/附属病院 心臓血管外科 医師)
1999年大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)医学部卒業。胸部外科学を専門とし、附属病院や救命救急センター等で研修後、大学院修了。2005年より助教、2007年から米国ハーバード大学・ブリガム&ウイメンズ病院でリサーチフェローとして3年間在籍。帰国後、胸部外科学教室助教を経て、2020年より現職。女性医師支援センター副センター長(基礎研究部門)、教育センター教員を兼任。日本学術会議連携会員ほか、複数学会で委員・評議員を務める。日本循環器協会では患者連携委員会にて、患者会との協働を推進するリーダーを務める。日本外科学会専門医、日本循環器学会専門医、漢方専門医、臨床遺伝専門医として診療に従事。
調査・提言ランキング
- 【政策提言】持続可能な保健医療システムへの道筋-社会的合意が期待される三つの視点-(2026年1月22日)
- 【調査報告】「2025年 日本の医療に関する世論調査」(2025年3月17日)
- 【調査報告】「2023年 日本の医療の満足度、および生成AIの医療応用に関する世論調査」(2024年1月11日)
- 【調査報告】メンタルヘルスに関する世論調査(2022年8月12日)
- 【政策提言】我が国の予防接種・ワクチン政策の課題と展望-予防・健康づくり時代に求められるライフコースアプローチとワクチン・エクイティの視点から-(2025年4月25日)
- 【提言】「医療システムの持続可能性とイノベーションの両立に向けて~薬価制度改革に求められる視点を中心として~」(2025年12月26日)
- 【調査報告】日本の保健医療分野の団体における気候変動と健康に関する認識・知識・行動・見解:横断調査(2025年11月13日)
- 【調査報告】「働く女性の健康増進に関する調査2018(最終報告)」
- 【政策提言】腎疾患対策推進プロジェクト「慢性腎臓病(CKD)対策の強化に向けて~CKDにおける患者・当事者視点の健診から受療に関する課題と対策~」(2025年7月9日)
- 【論点整理】社会課題としての肥満症対策~肥満症理解の推進と産官学民連携を通じた解決に向けて~(2025年8月21日)
注目の投稿
-
2026-01-09
【申込受付中】(ハイブリッド開催)認知症プロジェクト2025年度企画「認知症の人をケアする家族等を取り巻く認知症施策のこれから」総括シンポジウム(2026年3月9日)
-
2026-01-22
【政策提言】持続可能な保健医療システムへの道筋-社会的合意が期待される三つの視点-(2026年1月22日)
-
2026-01-26
【HGPI政策コラム】(No.68)-難病・希少疾患プロジェクトより―「難病・希少疾患を国際社会の優先課題へ:WHA決議が提示するグローバル・アクション・プランと日本の役割」(後編)
-
2026-01-26
【政策提言】我が国の予防接種・ワクチン政策の課題と展望-予防・健康づくり時代に求められるライフコースアプローチとワクチン・エクイティの視点から-(2025年4月25日)





