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【開催報告】特別対談フォーラム「令和時代の人類社会を読み解く知恵と哲学」~交錯する文化・国家・個人・思想のなかで~(2019年5月28日)

【開催報告】特別対談フォーラム「令和時代の人類社会を読み解く知恵と哲学」~交錯する文化・国家・個人・思想のなかで~(2019年5月28日)



この度、当機構では、社会科学者を豊富に抱えるコンサルティングファームであり、世界的に注目されているレッドアソシエイツの創業者・パートナーである、クリスチャン・マスビアウ氏をお招きし、日本医療政策機構(HGPI)主催「特別対談フォーラム:令和時代の人類社会を読み解く知恵と哲学 ~交錯する文化・国家・個人・思想のなかで~」を開催いたしました。




■薄いデータと厚いデータ
ここに1台の自動車と男性が映った写真がある。ビッグデータからは、自動車の現在地や走行距離、速度、停止回数を知ることができる。将来的には、ドライバーの体温や目の動きまでもトラッキング可能になるであろう。しかし、このような薄いデータからは、文脈までは分からない。

ドライバーの男性は、自然に触れるためにLizard Head Passへ向かっている。その途中で、道を塞いでいた大木を除けた。これで後から通る人達の役にも立てたろうと感じ、いい気分である。こうしたデータを、私たちは厚いデータ(Thick Data)と呼んでいる。厚いデータは、慎重に観察し、傾聴し、文脈の中に入ることで理解することができる。

厚いデータを集めるためには、現場へ行き、日常の生の姿に触れなければならない。例えば、高級車を開発する際には、オープンロードを自由に運転し、最大限に楽しむ状況を思い描きがちである。ところが、実際に高級車を買う人の生活を見ると、オーナーが自分で運転することはなく、ほぼ後部座席に座っている。そして毎日渋滞に巻き込まれ、時速100kmどころか20km程度でしか動いていないこともある。こうした実態を知ることで、後部座席の空間をどのように設計するのか、どういう広告を打つべきか、現実を踏まえた戦略を立てることができる。

■人文科学的アプローチが必要
医療に関する事例を紹介したい。革新的な免疫療法によって、余命数年と言われたがん患者が奇跡的に長年生き続けることができた。ところが実際に患者と会ってみると、余命が延長したことによる経済的な問題やストレスを抱えていることが分かった。そのような場合、様々な支援を提供することができる訳であるが、現地へ行かなければ、問題を知ることはできない。このように製薬の分野においても、人間的な側面が必ずある。

次は、作り込みすぎた医療機器の事例である。32種類ものアラーム機能を搭載した高価な人工透析機器が、現場でどのように使われているかを見に行ったところ、スタッフはトレーニングをあまり受けておらず、アラームは鳴りっぱなしであった。多くのアラームが鳴り続けると、誰も気にしなくなる。そして20万ドルもする透析機器を操作するために、彼らが使っていたテクノロジーは、たった2ドルのキッチンタイマーであった。ここでは、技術と使っている人々の間にズレが生じている。その橋渡しをしなければ、おかしな状況になってしまう。

例えば、糖尿病で日々のインスリン投与が欠かせない患者の服薬アドヒアランスを向上させるためには、難解な医療データを説明するよりも「朝のシャワー後に服用する」など、当事者の生活リズムに組み込んだ話をするほうが有効である。また、ストーマ袋を開発する際は、実際に使う人々の体型や日常生活を理解した上で製造すべきである。互いを気にかけることが重要であるが、データアナリティクスは人間のように気にかけることはできない。人間を理解するためには、人間が必要である。

15年ほど前、レゴ社は苦境に陥っていた。当時、統計データから、子どもは集中力が続かず、ADHDであることが多いため、単純ですぐに遊べる玩具にすべきであるという前提で商品を開発していた。そこで私たちは、子どもたちの元へ行った。彼らのペースに合わせ、ひざを突き合わせて一緒に遊ばなければ、分からないためである。

すると、一緒に過ごした少年が、世界で一番お気に入りの靴だと言って、履きつぶした靴を見せてくれた。スケートボードをする時に履くその靴を見ただけで、彼がどれだけ没頭してきたかが分かる。決して集中力が続かない訳ではなく、単純なものが好きな訳でもない。他の国でも、どの子どもにおいても、同じような発見があった。子どもは複雑なものが好きで、大人が指示を出すのではなく、彼らに向けて提案するような玩具を好む。その結果、レゴ社ではまったく新しい製品ポートフォリオを構築し、今では世界有数の玩具メーカーとなっている。

私たちは、互いに理解する能力を持っており、その背景に、社会科学や人類学があったり、哲学の一部があったりする。企業あるいは公共機関等においても、こうした人文科学的なプロセスを経なければ、それぞれの対象者を十分に理解することはできない。

■互いを理解する能力
人間には、どのような問題があるのか。例えば、人間は「偏見」を持っている。「どうせ生身の人間だから」と言い訳することもあれば、「人的ミス」という言葉もある。一方で、数百年前に生み出された美術作品を見て共鳴し、数百年という時を超えてつながることもできる。人間は、互いを理解するという素晴らしい能力を持つ。

近年、ビッグデータやAIといった技術が進み、人間よりも正しい判断ができるのではないなどといわれつつある。しかし人間にも長けている部分がある。米国の有名な物理学者は、「人間の行動を科学的な方程式に当てはめた途端、非線形になる。だから物理学は簡単で、社会学は難しい」と言っている。

データアナリティクスは人間を捉える際に、「個人である」「自分の好みや欲しいものが分かっている」「自分の行動を正確に報告できる」といったことを前提としている。しかし実際は、必ずしもそうではない。あまり認識されていないことであるが、私たちは、あらゆる面で文化の影響を受けている。そのため、政策を考える際にも、文脈の中で考えていく必要がある。

  

■特別対談の内容
乗竹
生活者の目線で深堀りし、参与観察することで発見するという人類学的な手法は、医療の分野でも普及しつつある。例えば、日本で成人のワクチン接種率が低いのは、ワクチンに対する文化的な見方や習慣が影響しているのかもしれない。また、抗生物質の過剰摂取の背景には、魔法の薬であるかのような誤った文化的解釈があるのかもしれない。そうであれば、いくら政策としてガイドラインを変えても、効果は薄い。むしろ人類学的に人々を観察し、課題を解き明かすことで、当事者の行動変容につながる可能性がある。

「健康」という概念は、高齢化に伴って変化している。認知症や慢性疾患の人が増加し、それがノーマルである時代が到来しつつある。健康概念も新たなノーマリティのもと再定義していく必要があるだろう。「健康」に関する情報も世の中に溢れている。健康になりたいと思ってデータを収集し、気にかければかけるほど、誰かに管理されるという矛盾も包摂している。今後「健康」という概念はどうなっていくのか。「健康」は果たして誰のものなのか。ご意見をうかがいたい。

マスビアウ氏
今、医療の世界で何が起きているのか。米国通信用半導体会社 Qualcomm(クアルコム)の取締役の話では、次世代移動通信といわれる「5G」が普及すれば、通信速度を現在の100倍にすることができる。そうなれば、現在地や体温等の生体情報を監視し、絶え間なく送信できるようになる。これまでは、技術のUse Case(使用事例)を考えていたが、これからはMisuse Case(誤用・乱用事例)をより念頭に置く必要がある。私たちの健康データを抽出できるということは、こうした問題を何倍も重要なものにしている。

また「健康」とは何か。健康と病気という概念は、動き続けるものである。その間の線引きは、時とともに変わる。メンタルヘルスにおける正気と狂気も同様である。どこで線を引くのかという議論はずっと続く。認知症になるのは、不健康になるということなのか。健康と病気の間の線引きは、慎重に考えるべきである。議論を続けていかなければ、薬剤の過剰投与を引き起こし、高齢者に対し尊敬のない接し方になってしまう。これは、あらゆる国々で議論すべきである。新しい技術は大きな力を持つため、どんな誤った使われ方があり得るのか、意図しない結果が出てくる可能性があるのかを考えなければならない。懸念はあるものの、これまでもそうであったように、私たちは話し合いを重ねていくことができると思う。

乗竹
1970年代、イヴァン・イリッチは『脱病院化社会』という本の中で、医療システムが国民を飼いならしていると指摘している。同時に「医源病」という言葉を使い、医療システムがあるために病気が増えていると主張した。21世紀になり、徐々に脱病院化しているのが、これからの医療モデルだと思う。

マスビアウ氏
現在、米国ではGDPの18%が医療制度につぎ込まれている。このままではいけない。私は医療経済の専門家ではないが、制度を作り直すのであれば、枠組みから考えるのではなく、人間的な観点から取り組むべきである。私たちは、自分たちが思っているよりもずっと健康的だという事実がある。まず人間ありきの考え方によって、大きくコストを削減できるだろう。

乗竹
デカルトは「我思う、ゆえに我あり(I think, therefore I am.)」と言ったが、I thinkが困難な認知症の人が増えていく中で、人類のノーマルはどのように変わっていくのか。

マスビアウ氏
ハイデガーが説いたように、人間は配慮する、気遣うことができる。データアナリティクスやAIにそれはできないが、認知症のひとであっても、他者に配慮し、気遣うことはできる。人間の優しさが失われるわけではない。認知症という状況になったことで物事の捉え方が変わったというだけである。人生100年時代といわれる中で、立っている人生のステージが違うだけである。

乗竹
当機構では、慶応義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター、issue+design、認知症フレンドシップクラブとの協働により、『認知症とともによりよく生きる未来』を目指し、『認知症未来共創ハブ』を設立した。この未来共創ハブの立ち位置も、まさにその前提があると思う。

マスビアウ氏
とくに公共政策、医療に関するものについては、人を観察し、傾聴し、当事者の声を吸い上げることが何よりも重要である。

乗竹
米国企業のトップリーダーには、人文科学系を学んだ人が比較的多いとのことであるが、もう少し詳しくうかがいたい。

マスビアウ氏
大学を卒業して10年、15年後を見ると、北米における所得上位5%は、人文科学の学位を持つ人が3倍多い。これは私にとって、さほど意外な結果ではない。会社や公的機関のトップには、文化、人、チーム、言語を理解する力が求められ、どこかの段階で人文科学的なツールは実用的な力になる。そういった人々が、コンピューターサイエンティストやエンジニア、営業部隊等、全体的に分散することもひとつだろう。

乗竹
医療システムの議論が興味深い点のひとつとして、国民国家と個人の関係性がある。ベネディクト・アンダーソンが書いたように、ある意味では「想像の共同体」である国民国家において、国家が医療という保障を国民に提供してきた。一方で、近年のグローバリゼーションは、医療も薬も病原菌も患者も国境を飛び越える。医療システムと国家の関係性について、ご意見をうかがいたい。

マスビアウ氏
日本のように公費と保険料で運用している医療システムは、痛みが少なく効率が高い。フランスと米国の医療システムを比較しても、公費に基づいた医療制度には大きなメリットがある。実際に現場へ行くとそのメリットを実感することができる。国民国家が今後どのような足取りを人類史のなかで辿るのか、極めて重要なテーマでありつつも、同時に、ひとびとの統一、ソリダリティーが、人類社会においては極めて効果的であり、医療システムにおいても同様であることを指摘しておきたい。

  

                                                               (写真:井澤 一憲)
講演後の会場との質疑応答では、活発な意見交換が行われました。


■プロフィール
■クリスチャン・マスビアウ氏
コペンハーゲンとロンドンで哲学と政治学を学び、ロンドン大学で修士号を取得。20年間に渡り経営コンサルタントとして従事し、人文科学の実用的な応用について執筆活動や講和なども行っている。彼の活動はこれまでにウォールストリートジャーナル、フィナンシャルタイムズ、ワシントンポスト、デアシュピーゲル、ブルームバーグビジネスウィークなど様々なメディアで取り上げられている。2017年春、Hachette Book Groupによって彼の最新の著書である『センスメイキング 本当に重要なものを見極める力 テクノロジー至上主義時代を生き抜く審美眼を磨け(和訳)』が発表された。また2014年秋にMikkel Rasmussenと共同執筆し出版された著書『The Moment of Clarity』は、これまでに15か国語以上の言語で翻訳されている。

■乗竹 亮治
慶應義塾大学総合政策学部卒業、オランダ・アムステルダム大学医療人類学修士。国際NGOにて、医療人類学の視点から、アジア太平洋地域を主として、途上国や被災地での防災型医療施設の建設や、途上国政府、民間企業、国際NGO、軍隊などが共同参画する医療アセスメント事業などを実施。各国でのフィールドワークを通じて、エンジニアリングやデザインをはじめとした異なる専門領域のステークホルダーを結集し、医療健康課題に対処するプロジェクトに従事。東京都「超高齢社会における東京のあり方懇談会」委員(2018)。政策研究大学院大学客員研究員。オーストリア ザルツブルグ・グローバルセミナー アドバイザリーカウンシルメンバー。エルゼビア・アトラス アドバイザリーボードメンバー。

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