【開催報告】第76回定例朝食会「世界から見た日本の課題〜メンタルヘルス〜」(2019年3月6日)
当機構は、非感染性疾患(NCDs: Non-Communicable Diseases)対策の重要性を早くから提起し、2011年からNCD Allianceと協働してまいりました。本年2019年よりNCD Alliance のフルメンバーとして正式に加盟し、NCDsにおける疾病横断的な政策課題の改善に向けて、マルチステークホルダーがフラットに議論できる場の提供を通じ、NCDsにおいて市民社会が果たす役割の重要性を国内外に発信し続けていきたいと考えています。
今回、NCDsの中でも重要な課題であるメンタルヘルスをテーマに定例朝食会を開催いたしました。これまで国際機関、外務省にてご勤務、また精神科医として臨床現場で精神疾患患者と向き合われてこられた杉浦寛奈氏をお招きしご講演いただきました。
■臨床医として感じた違和感
臨床医として、精神科病棟における長期入院や身体拘束がされる現場などを見て、一般病棟と精神科病棟の療養環境には差があると感じた。例えば、患者一人当たりの医療者の人数や個室の活用が大きく異なる。これが精神科医療におけるベストプラクティスなのかとずっと疑問と違和感を持っていた。他国の精神医療を見聞きすると充実したサービスを展開する国から精神科医の全くいない国までと様々であった。このため、「既存のサービスの改善」、「何もないところからどのようにサービスを作っていくのか」という2つの視点に関心を持ち、臨床に加え保健制度や公衆衛生を選びたいとイギリスのロンドン大学へ進学した。
■メンタルヘルスは、優先順位が低いのか?
特にグローバルな問題になると「メンタルヘルスは本当に重要なのか」、「周産期医療を含む母子保健や感染症コントロールに比べ優先順位が低い」と言われることがある。しかし、例えば世界では年間約80万人が自殺により死亡し、日本では、2012年以降の年間自殺者数が3万人を下回り減少傾向にあるものの、今もなお年間2万人以上が自殺により死亡している。自殺が与える社会への影響は非常に大きい。また、日本の年齢別死因順位では15〜39歳までの死因第一位が自殺*1 であり、このような傾向は日本のみならず世界でも同様である。さらに、自殺と判定ができなかったものは自殺者数に含まれていないことから、実際の自殺者数は報告されている人数よりも多いと考えられている。また、自殺による死亡でなくとも、一般的に精神疾患を持つ人の平均余命は精神疾患でない人に比べて20年以上短い*2 ことがわかっている。
病的状態、障害、早死により失われた年数を意味した疾病負荷を総合的に示す障害調整生命年(DALY: Disability Adjusted Life Year )によると、10〜20代の若い世代に負担がかかっていることがわかる。学業を修め、就職を考えるような時期から精神疾患とともに生きることはその後の人生に大きな負担であり、より踏み込んだ対策が必要だと言える。
*1 平成29年(2017)人口動態統計月報年計(概算)の概
*2 Kondo, Shinsuke et al. Premature deaths among individuals with severe mental illness after discharge from long-term hospitalization in Japan: a naturalistic observation during a 24-year period. British Journal of Psychiatry Open, 3(4),193-195, 2017
■国際保健における精神保健の位置付け
グローバルヘルスの文脈においては、2007年にLancetがメンタルヘルスに関する特集(Global Mental Health: The Lancet )を組んだことで国際精神保険が注目されるきっかけとなった。また、精神科診断・治療プロセスをガイドライン化したWHO Mental Health Gap Action Programme (mhGAP)、精神保健サービスを提供する施設の評価、評価後の具体的な対応方法について明記したWHO Quality Rightsの作成、およびSDGs (Goal 3.4)に明記されるなど、2007年を契機に世界におけるメンタルヘルスを取り巻く流れが変化しつつある。
■日本における精神疾患患者を取り巻く環境
1958年、医療法上の特例(精神科特例)が定められ、精神科入院患者に対し、医師数は一般病床の3分の1、看護師・准看護師は3分の2と規定された。精神疾患を抱えた人への差別的な施策と考えられる。これ以降、精神科では、人員不足による医療の質の低下、効率的に安全を確保するという名目の下隔離・拘束などが日常的に行われるようになったと指摘されている。過去には、全世界の精神科病床のうち約2割が日本にあるという報告(OECD 2007)もされ、精神科病床を減少させる方向にある世界動向と比較し、増加傾向にある日本の動向は対照的である。さらに日本では、精神科病床の9割以上を民間病院が占めており、収益を優先にした経営判断による長期入院、および空床対策として認知症の人を積極的に入院させるなど、患者本位の医療提供からは遠い状態にある。
2006年に国連総会で障害者権利条約(CRPD: Convention on the Rights of Persons with Disabilities)が採択され、2007年に日本も署名した。同条約では本人の意思とは関係なく入院させられてしまう非自発的入院は人権侵害と禁止し、任意入院を推奨している。しかし、現在日本の精神科入院患者の約半分が強制(非自発的)入院(措置入院および医療保護入院)である。特に漠然とした保護を目的として保護者の同意で成立する「医療保護入院」は日本に特徴的な入院制度である。
2016年の病院報告によると、精神科病床の平均在院日数は269.9日にのぼり、一般病床の16.2日と比較すると圧倒的に長い。また、50年以上にわたり精神科病棟に入院している人は1773人に上るとも言われている(2018年8月21日毎日新聞朝刊)。そして2017年の630調査*3 によると、入院環境において、約12,000人(64%が高齢者)が拘束、約13,000人(51%が1年以上入院)が隔離されおり増加傾向であることが分かった。同調査については、日本精神科病院協会が調査実施や発表に難色を示していることから、私たちは事実を知ることさえもできなくなる危険性がある。日本の精神保健は危機的状況にあるといえる。
一方、在宅での療養においても精神疾患を持つ患者にとって良好な療養環境を確保することはできていなかった。日本には「座敷牢」という言葉があるが、かつてに座敷牢を合法化した精神病者監護法(1900年)により、家族が精神疾患の患者を私宅で監置することが認められていた。その後、1950年の精神衛生法の成立にともない、精神病者監護法は廃止となり、私宅監置も違法となった。自宅で拘束・監禁されることも少なくはなかったが、今でも座敷牢の末に亡くなった方の報道 がある。
*3 厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課が毎年6月30日付で都道府県・指定都市に報告を依頼している調査であり、正式名称は「精神保健福祉資料」という
■メンタルヘルスに関する日本社会の変化
2002年に、全国精神障害者家族連合会からの要望により日本精神神経学会は「精神分裂病」から「統合失調症」へと呼称変更を行った。これは世界でも珍しい事例である。呼称変更の背景には、「疾患概念の変化」「医療モデルから社会モデルへの変化」といった側面があったとされる。呼称変更から2年後には、統合失調症の告知率は20%から69.7%へ上昇している。さらには、学校教育などの医療以外の場面でも啓発が行われるようになり、「原因不明の不治の病」から「脳神経伝達系や遺伝子の不調で、薬物や心理療法を活用し付き合っていく病」であると社会における認識も変化していった。
2007年には自殺対策基本法に基づき「自殺総合対策大綱」が策定された。2012年、2017年と二度にわたる見直しを経て、現在は地域における実践的な自殺対策の推進や若者への自殺対策などが重点施策として盛り込まれている。この点においては、当時自殺対策に保健を超えて分野横断的に取り組む国は少なく、他国と比較しても先進的であったと言える。また、その後も継続できていることで、自殺対策への意識は向上している。また、自殺者数も現象傾向にある。
そして2013年からスタートした第6次医療計画では、計画の対象として「4疾病5事業ごとの医療体制」に精神疾患および在宅医療が加わり「5疾病5事業および在宅医療の医療連携体制」*4となり、精神疾患を抱えた人が可能な限り自宅など地域で暮らすための環境整備も進んでいる。
*4 5疾病:がん、脳卒中、心筋梗塞等の心血管疾患、糖尿病、精神疾患(統合失調症、うつ病・躁うつ病、認知症、児童・思春期精神疾患、依存症など)、5事業:救急、災害時、へき地、周産期、小児
■精神疾患を抱えた人の自己決定・自己選択・自分らしさのために
現在私は、研究デザイン、研究実施、結果の解釈・利用の全てを当事者(強制入院経験者)と協働(co-production)で行い、現在強制入院中の患者、その家族、医師にインタビューし、入院意思決定の過程や感想の把握と本人が意思決定するのに必要な要素の提案を進めている。
現在の日本においては、精神疾患を抱えたことで、普段の私たちの生活からは考えられない、長期入院、拘束・監禁などを受ける恐れがある。障害福祉計画、第7次医療計画やCRPDの提起にもあるように、今後は、当事者の声が起点となり、政策立案や施策の推進が行われる必要がある。リサーチの分野において、が、医師が共同で行うことを目標にしたい。
写真:高橋 清
■プロフィール
杉浦寛奈氏(精神科医)
女子医大卒業後、女子医大病院で初期研修を修了し、横浜市大病院で後期研修(精神科)を修了。精神科長期入院や行動制限から医療制度に関心を持ち、ロンドン大学公衆衛生修士号を取得。フィジー大学医学部招聘教員、WHOインターン・専門官(JPO)・コンサルタント、赤道ギニア国立病院コンサルタントとして国際精神保健の勤務をした。帰国後、外務省国際保健政策室事務官として、平和と健康のための基本方針の策定などに携わった。現在は、東京大学大学院博士課程で精神科強制入院と意思決定支援(インド・日本)に取り組み、精神科外来診療にも従事。
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