「ブレア改革とその後-英国の医療制度改革と日本への示唆」勉強会
日付:2008年8月20日
2008年8月20日、都市センターホテルにて「ブレア改革とその後」と題した勉強会を開催しました。サッチャー政権で拡大した医療に対する国民の不満を解消するべく始まったブレア政権下での医療改革。我が国でも医療政策に対する関心が高まるなか、約200人の方々にご参加いただきました。
■イントロダクション
「主要先進国の医療制度」
小野崎 耕平
日本医療政策機構・ハーバード大学アジアセンター
医療制度の国際比較の類型
各国の医療制度を比較検討するには、総医療費などに着目したマクロ比較や、医療提供体制や診療報酬制度の違いといったミクロ的な比較検討など、さまざまなアプローチが採られています。また「日米比較」のような2国間あるいは、OECD加盟国による多国間での比較検討なども典型的な例です。本日は、英国の医療制度というひとつの事例を検討する前に、これまで行われてきた主要先進国の医療制度の比較研究についていくつかご紹介します。 最初に見ていただくのは、ハーバード大学の医療経済学者ウィリアム・シャオが示した枠組みです。このチャートはシャオが示した軸に私どもが手を加えたもので、主に医療財源と国の価値観をあわせた視点からの各国の比較分析です。
左端に「政府中心/平等重視」、右端に「市場中心/階層的」と置いた座標軸に各国をマッピングしたものです。左端には、政府の強いコントロールのもと、おもな財源を税金によってまかなう「政府中心/平等重視」の代表国としてイギリスが置かれています。そして、対局の国は右端に位置するアメリカ。一部に公的保険はあるものの基本的に民間保険中心で、市場原理と個人の選択を重視した国です。アメリカの左隣には、国民も国も「健康は自己責任」いう強い価値観をもつシン ガポール。医療貯蓄口座(MSA)などはその価値観が具現化したものでしょう。その左側には、社会保険によって財源を確保し、財源はパブリックで、病院等の医療提供はプライベートというミックスタイプのドイツ、日本、東ヨーロッパ諸国、中央ヨーロッパ諸国、ラテンアメリカ諸国が位置します。そして、税のイギリスと社会保険の諸国の間に位置するのがカナダ。この大きな座標軸と各国のポジショニングを頭に入れておくと、本日のブレア改革の話がより理解しやすくなると思います。
医療制度は国民の理念や価値観で決まる
国によって、誰が主体になって医療を提供すべきかという意見も大きく異なっています。2000年に行われた世論調査の結果を引用した資料を用意しました。「医療は政府が責任を提供すべきか」と質問すると、イギリス人は82%が「Yes」で、アメリカ人は33%しか「Yes」と答えない。アメリカは政府不信がきわめて大きな国ですから、国民は国になど任せておけないと思うのでしょう。カナダ人やドイツ人はほぼ意見が半分に別れ、見事に前出の各国のマッピングと一致します。つまり、国の医療制度の国際比較をする時に考えるべき最重要ポイントとは、「国民がどういう医療制度を求めているのか」ということ医療制度は国民の理念 や価値観によって決まる、またそれを抜きにしては語ることができないと言えるでしょう。 医療などの社会保障の政策選択は、「国民がどう生きてどう死ぬかという生き方の選択である」と思います。たとえば日本では、「公平・平等」をベースにあまねく広く医療提供をするという基本コンセプトをもとに制度設計されています。米国は経済力によって受けられる医療に差があるものの、そのかわり先端医療や医療技術には徹底的に投資をしている。医療制度の国際比較するときに「日本は優れているが、アメリカは良くない」などと優劣を論じる傾向がありますが、「好き嫌い」という個人の好みは言えても、「優劣」を断じることはできないはずです。それは、その国の国民の価値判断だからです。
なぜ、いま「ブレア改革」を学ぶのか
医療制度というと、診療報酬だ、家庭医制度だ、臨床研修制度だ・・・と、とかく制度論に議論の焦点が振れがちです。一方で、医療制度は目的のための手段に過ぎません。そして今、日本国に求められているのは、どのような医療制度を選択するかといった骨太の議論であり、わたくしたち国民がいかに政策決定や政治過程に積極的に参画するかということだと思います。政権選択選挙となる次期総選挙を前に、我々がこの勉強会を企画した理由もそこにあります。いま日本では、医師を増やそう、医療費を増やそうと「医療資源の投入増」に大きく舵を切ろうとしています。まさに大きな転換期ですが、その先行事例がブレア改革であります。イギリスの政治が、政府が、そして国民がどういう選択をして、それがどんな結果をうみだしたのか、ここに集まるあらゆるステークホルダーの皆さんでともに学んで議論したいと思います。
■主講演
「英国医療制度改革と日本への示唆」
富塚 太郎氏
ロンドン大学衛生熱帯医学大学医院・経済政治学大学院
市場原理を導入した結果、医療が荒廃
本日は、1997年にトニー・ブレアが政権をとって後に手がけた医療制度改革についてお話しします。ブレアは、政権奪取後に医療改革に力を入れると宣言し、「Rebuilding the NHS」(意訳すると「NHSをぶっこわす」)のフレーズを繰り返し使いました。イギリスの医療は、ほぼ一般財源の税金で賄われており、その国営の医療サービスはNHS (National Health Service)と呼ばれています。 まず、ブレアが政権をとり医療改革をするにいたる前の医療史に触れます。NHSは1948年に設置されたのですが、それ以前、イギリスで医療保険制度はなかったと言っていい状況でした。保険はあるものの対象者は勤労者のみで、子ども、女性、高齢者は対象外、かなり悲惨な保険制度だったのです。そこで、第二次世界大戦の勝利で得た資金を大量に注ぎ込み、NHSがつくられました。NHSの特徴は、3つ。ひとつは全国民が対象である点。そして、ほとんどの医療がNHSでカバーされている点。3つめは、処方箋料など一部有料のもの以外、原則的に受診料が無料の点です。 1979年に保守党が政権をとり、マーガレット・サッチャーが首相となりました。サッチャー政権とそれにつづくメージャー政権は、「英国病」と国際的に揶揄された状況――不景気で失業率が高く、各種国民の負担も高い経済の停滞状況――を打開する施策の一環として、1980年代後半から医療制度の規制緩和を進め、公的負担を低減し、民間活力を導入する政策をとりました。財政難から英国版「医療費亡国論」が語られるような状況を背景にした改革でしたが、結論としてはうまくいきませんでした。むしろ医療事故の報告が増加し、国民の政府への不信感は募っていきます。
保守党による医療制度改革はいわば市場化の試みだったわけですが、市場化では、医療機関や医療者が利益追求に奔走するという競争原理の悪い側面ばかりが前面に表れ、NHSに込められていたはずの大きな政策目標「健康に関する格差をなくす」は二の次になってしまいました。 競争により生じた医療の質の格差は、貧富の差において顕著でした。65歳未満の冠動脈疾患による死亡率でマンチェスターは西サリーの3倍の数字を記録し、子宮頸がんスクリーニング受診率に は地域によって67%から93%までの開きが生まれました。居住地域や貧富の差によって受けられる医療が違う状況となったのです。
大胆な医療への公的支出増加策
1997年、ブレアが政権を奪取しました。ブレアは、医療制度改革のために2つの白書を発表。まず、1997年に「The new NHS」を、その白書にもとづいた3年間の活動をもとに2000年には「The NHS plan」を発表しました。彼の改革で注目されるのは、「The NHS plan」で示された改革の2本の柱、「医療への公的支出増加」と「医療従事者の増員対策」です。 イギリスの医療改革においては医療費の増加策を前面に打ち出したことが、きわめて革命的と評価されています。では、医療費をどれくらい増やしたのか。「The NHS plan」が出された2000年には対GDPで7%以下だったのが、2005年には8.3%に達し、2008年には9.2%となる予想。実額では、1997年の456億ポンド/約9.1兆円から年7%の成長をつづけ、現在は20.8兆円と2倍以上になっています。 さて、以降はブレアの医療制度改革を、「ターゲット政策」、「規制政策」、「患者中心政策」の3つに分けて、もう少し詳しく説明しましょう。
最初にターゲット政策からです。数値目標を設定し、その達成をめざしてなされる政策をターゲット政策と呼びます。ブレア改革においてターゲット政策の優先分野となったのは、「健康の状態」と「医療機関へのアクセス」でした。 この政策分野の設定方法が実に注目に値します。保健省主導ながら患者も含めた関係者の合意を得るとともに、財務省の合意も得て経済的な裏づけを確保したうえで取り組む分野を設定しているのです。 「健康の状態」では、がん患者の生存率や心疾患の死亡率の改善が試みられていますが、まだ成果と呼べるようなデータは報告されておらず、今後が期待されます。 「医療機関へのアクセス」では、救急外来での待ち時間4時間以内、家庭医受診48時間以内などの目標が設定されました(資料20P)。それまでは――有名な話ですが――、かかりつけ医としての家庭医にかかろうとしても、1週間後でなければ受診できない状況で、大問題となっていました。さらに、かかりつけ医からの紹介で病院を受診できるまでを13週間以内、入院までを26週間以内などといった目標も掲げられました。これらの目標設定によって、1997年に120万人だった待機患者が2007年には80万人にまで減少。特に6ヵ月以上の入院待ち患者は、2004年末時点で6万6000人だったのが、2005年末には48人と劇的に減りました。
しかしながら、ターゲット政策には弊害もありました。たとえば「ゲーミング」と呼ばれる“インチキ”があちこちで行われました。例としては、救急コールから8分で救急車が対応すべきと設定すると、もっと早く対応できるケースでも8分かかる現象が起きた。また、救急外来の患者は4時間以内に診療との目標を達成するために、時間内に診られない患者に「救急外来に入らず、外で待っていてください」と言うようになった。さらには、救急車を病院の外に並べて、診療待ち時間のカウントが始まらないようにする現象などがあちこちで起こりました。
公的監査機関を設け医療の質を国が管理
次に規制政策について説明をしましょう。1996~1997年にブリストルの小児病院で心臓外科手術のきわめて高い死亡率が問題になり、15例についてショッキングな原因が内部告発されました。加えて、医師のハロルド・シップマンが殺人を犯し、被害者が200人以上に及ぶ事件も起きました。それらの問題に対してブレア政権は、医療職に質のコントロールが任されていた「医療職“内”での規制」から「医療職“外”からの規制」へと転換を図ります。つまり、国が医療の質に責任を持つことにしたのです。そして、Healthcare Commission(保健医療委員会)とNational Institute for Clinical Excellence(国立最適医療研究所)など、多くの医療の質に関する独立した公的機関が設置されました。 Healthcare Commissionは、病院の目標達成評価をする機関。年に1回、病院の目標達成度評価と患者満足度評価を実施し、目標達成できなかった病院への指導も行います。調査にかかわるスタッフは1600人おり、2004年の設立当初では年間約7870万ポンドの予算がつけられています。 National Institute for Clinical Excellenceは略称であるNICEと呼ばれ、治療や医療機器の評価と推薦、コスト効率分析、エビデンスに基づいた医療情報の提供やガイドライン作成などを行います。2003年の設立当初のスタッフは81人で、年間予算は約1760万ポンドです。
医療機関を選択できる情報源を整備
3つめは、患者中心政策。与えられる医療から、参加する医療に転換し、患者中心の政策を実現しようとしました。具体策のポイントは、(1)患者が十分な情報を持って紹介先医療機関を選択する、(2)患者の医療経験を調査・公表するという2つの点です。 日本はフリーアクセスで、患者が自由に医療機関を選べますが、イギリスでははじめに家庭医/GP(General Practitioner)を受診し、問題があれば病院を紹介してもらうシステム。新しい政策では、その紹介される先の医療機関を患者が複数から選択できることをめざし、選択のために必要な情報が提供される仕組みを整備しました。患者の主な情報入手源は、ウェブサイト「NHS choice」で、医療機関の院内感染率や手術の成績や医療機関評価のレーティングなどが簡単に閲覧可能です。コンピュータを使わない人のためには、情報が掲載された本が図書館にあり、いつでも閲覧できるようになっています。
改革後の患者の意識にまだ変化は見られない
改革の効果を、患者の医療経験調査から考察してみます。この調査は、いわゆる患者満足度調査とは異なり、患者が受診中に経験した具体的な事象や体験の有無を尋ね、集計結果を医療機関に客観的データとしてフィードバックし、改善すべき具体的課題の発見につなげようとするもので、年1回行われます。 実際の調査結果を2つ紹介しましょう。ひとつ目は、「必要なときに、すぐに病院に入院できたか?」(下左図)の問いに対する結果。「できた」とする回答は2002年68%が、2006年には74%になっていました。この結果をもってして医療が改善されたと判断できるかは微妙ですが、少なくとも右肩上がりであるのは間違いありません。 もうひとつは、「治療方針の決定に参加できなかったか?」。ネガティブな設問で、もちろん答えが「はい」の場合、問題であるとなります。プライマリ・ケア医の受診では結果は横ばい、病院においては「はい」が増加しています。
これらの結果からは、さまざまな新しい政策を導入したが、残念ながら患者さんの経験にはあまり変化がなかった様子がうかがわれます。 また、新しい政策によって医療が変わったか否かを患者の主観として調査する取り組みも行われたのでご紹介しましょう。こちらでも残念ながら、患者さんの主観的な満足度はほぼ変わっていないとの結果。やはり、制度改革の結果が目に見えてくるには、相当の時間がかかるのでしょう。
■コメント
武内和久氏/厚生労働省大臣官房国際課
実にうまい「飴と鞭」の使い方
3年間にわたって、私が実際にイギリスでブレア改革見て感じたことを3つのキーワードでお話しします。まず、「戦略と決断」。ブレアが、「NHSプラン」を策定し、10年という時間をかけて改革を進めたこと、そして政治的決断によって年間7%以上の医療費増を決めたことはインパクトがありました。その際、当時のイギリスは、経済が堅調で財政状況がとても良かった点も背景として見逃せません。このように、「求心力」のある改革、「腰を据えた」改革である点は印象深い点です。また、改革構想を描いて行く中では、既存の政治勢力や役所の関与も制限して、ゼロベースで医療政策の問題点を洗いざらい取り出し議論して改革を進めたのも特徴的です。また、10年スパンでの改革について、「インフラ」(量)を整備し、組織を改編し、NHSの文化を変え、それらを通じて「質」の向上を図るという流れが構想された点でも戦略的でした。 2つめのキーワードは、「投資と統制」です。これは、「飴と鞭」と言い換えてもいいもので(笑)、ただ医療費を増やすだけでなく、代わりに医療現場と医療従事者にも求めるべきことをしっかり求めた。そのやり方が、実にうまかったと思います。目標を設定し、達成できなければ――たとえば、救急患者を4時間以内に診られなければ――、医療機関の人事権をちらつかせて間接的なプレッシャーを与えた。その際、地域の医療資源を管理するプライマリケア・トラストの権限を強化し、医療機関へのガバナンスを強化しました。 3つめのキーワードは、「可視化」。ターゲットを設定し、目標が達成できているか否かを定量的に測れるようにしました。Healthcare Commission(保健医療委員会)で医療機関が達成すべき医療の水準、質をしっかり定義づけしたうえで、それらの目標達成度を評価する方式を採り入れたのかその好例です。すべての医療機関の評価が厳密にくだされ、その評価がすべてWebサイト上に公開され、国民が自由に医療機関の特徴と評価を閲覧できる点は驚くべき点です。これも医療者にはかなり大きなプレッシャーとなり、医療機関の人たちのマインドを変えるのに役立ったと思われます。
採点は、構想90点、計画70点、実行50点
政策当局者の視点で見て、感心する点がいくつもあります。たとえば、制度のあちこちに「遊び」の余地を入れている点。ガイドラインをつくると、日本ではガイドラインの9割、10割の遵守率が求められますが、イギリスでは7~8割の遵守率があれば良しとされ、残り3割ほどは現場の判断に任されます。このように現場の裁量の余地を残す点は重要です。 「Try & Error」も頻繁です。イギリスの医療改革では、とにかく次から次にアイデアが出てきて、次から次にアイデアを実行します。パイロット的に一部地域で試してみてうまくいけば全国展開し、全国的にやってみてうまくいかなければ、割に簡単に軌道修正します。とてもフレキシブルな医療政策の進め方は、我々にとってきわめて示唆深いものです。 また、国民の感情に訴えることに非常に意を払っています。ここも本当にうまいなと感じます。たとえば、「患者が医療機関を選択できるようになります」、「患者の意見を反映させます」といった強いメッセージを発信して改革への指示を高めようとの工夫には、まことに感心しました。 NHS改革は成功したのかと問われれば、私の採点では構想90点、計画70点、実行50点。青写真にはすばらしい内容がたくさん盛り込まれていましたが、具体化する段階で削られ、残った施策も、うまくいっているものばかりではありません。 しかし、ブレア政権での医療改革にも「光」と「影」があります。待機時間短縮などで一定の効果を挙げた一方、あまりにドラスティックすぎたようで、医療の現状が改革のスピードについていけない点に深刻な問題があり、イギリスの医療関係者の間では、「改革疲れ」とも言える状況も見られます。今後、ブラウン政権で、現役医師でありながら保健省の政務官に任命されたダルジ氏の手腕が注目されます。
【日本への示唆】
政治決断で大きな改革の突破口は開けること、そして国民に対するメッセージの出し方など政策実行フェーズでのディテイル(細部)へのこだわりが鍵を握ること、どれも日本にとって大いに参考になるだろう。また、政策過程への市民・患者参画が、実は行政・市民の双方にとってプラスであることも分かる。このような「患者中心政策」(患者中心「医療」と異なることに注意)は、日本の喫緊の課題のひとつであろう。
一方で英国の事例は、単に医療費や医師数などの医療資源の投入量を増やすことだけで解決できるほど「医療再建」の道のりが単純ではないことを改めて考えさせてくれる。医療費増加、医師増を求める声が日増しに大きくなる日本の医療界。しかし、これらの施策はあくまでも目的のためのひとつの手段に過ぎず、決して「バラ色の万能薬」ではないことを再度確認する必要があるだろう。 あらゆるステークホルダーが参画するオープンで健全な議論(Healthy Debate)を重ね、骨太な政策議論とともに小さな改革を根気良く積み上げていく努力が、いま私たち国民に求められている。(小野崎)
■講師プロフィール■
富塚太郎氏 1999年京府医大卒業。北海道家庭医療学センターにて家庭医として地域医療・教育の実践を経て、上医治國を志向し、医療制度・ヘルスポリシーを学ぶために渡英。2008年ロンドン大学衛生熱帯医学大学院・経済政治学大学院医療政策・計画・財政学修士課程修了予定。英国在住。
■イントロダクション
「主要先進国の医療制度」
小野崎 耕平
日本医療政策機構・ハーバード大学アジアセンター
医療制度の国際比較の類型
各国の医療制度を比較検討するには、総医療費などに着目したマクロ比較や、医療提供体制や診療報酬制度の違いといったミクロ的な比較検討など、さまざまなアプローチが採られています。また「日米比較」のような2国間あるいは、OECD加盟国による多国間での比較検討なども典型的な例です。本日は、英国の医療制度というひとつの事例を検討する前に、これまで行われてきた主要先進国の医療制度の比較研究についていくつかご紹介します。 最初に見ていただくのは、ハーバード大学の医療経済学者ウィリアム・シャオが示した枠組みです。このチャートはシャオが示した軸に私どもが手を加えたもので、主に医療財源と国の価値観をあわせた視点からの各国の比較分析です。
左端に「政府中心/平等重視」、右端に「市場中心/階層的」と置いた座標軸に各国をマッピングしたものです。左端には、政府の強いコントロールのもと、おもな財源を税金によってまかなう「政府中心/平等重視」の代表国としてイギリスが置かれています。そして、対局の国は右端に位置するアメリカ。一部に公的保険はあるものの基本的に民間保険中心で、市場原理と個人の選択を重視した国です。アメリカの左隣には、国民も国も「健康は自己責任」いう強い価値観をもつシン ガポール。医療貯蓄口座(MSA)などはその価値観が具現化したものでしょう。その左側には、社会保険によって財源を確保し、財源はパブリックで、病院等の医療提供はプライベートというミックスタイプのドイツ、日本、東ヨーロッパ諸国、中央ヨーロッパ諸国、ラテンアメリカ諸国が位置します。そして、税のイギリスと社会保険の諸国の間に位置するのがカナダ。この大きな座標軸と各国のポジショニングを頭に入れておくと、本日のブレア改革の話がより理解しやすくなると思います。
医療制度は国民の理念や価値観で決まる
国によって、誰が主体になって医療を提供すべきかという意見も大きく異なっています。2000年に行われた世論調査の結果を引用した資料を用意しました。「医療は政府が責任を提供すべきか」と質問すると、イギリス人は82%が「Yes」で、アメリカ人は33%しか「Yes」と答えない。アメリカは政府不信がきわめて大きな国ですから、国民は国になど任せておけないと思うのでしょう。カナダ人やドイツ人はほぼ意見が半分に別れ、見事に前出の各国のマッピングと一致します。つまり、国の医療制度の国際比較をする時に考えるべき最重要ポイントとは、「国民がどういう医療制度を求めているのか」ということ医療制度は国民の理念 や価値観によって決まる、またそれを抜きにしては語ることができないと言えるでしょう。 医療などの社会保障の政策選択は、「国民がどう生きてどう死ぬかという生き方の選択である」と思います。たとえば日本では、「公平・平等」をベースにあまねく広く医療提供をするという基本コンセプトをもとに制度設計されています。米国は経済力によって受けられる医療に差があるものの、そのかわり先端医療や医療技術には徹底的に投資をしている。医療制度の国際比較するときに「日本は優れているが、アメリカは良くない」などと優劣を論じる傾向がありますが、「好き嫌い」という個人の好みは言えても、「優劣」を断じることはできないはずです。それは、その国の国民の価値判断だからです。
なぜ、いま「ブレア改革」を学ぶのか
医療制度というと、診療報酬だ、家庭医制度だ、臨床研修制度だ・・・と、とかく制度論に議論の焦点が振れがちです。一方で、医療制度は目的のための手段に過ぎません。そして今、日本国に求められているのは、どのような医療制度を選択するかといった骨太の議論であり、わたくしたち国民がいかに政策決定や政治過程に積極的に参画するかということだと思います。政権選択選挙となる次期総選挙を前に、我々がこの勉強会を企画した理由もそこにあります。いま日本では、医師を増やそう、医療費を増やそうと「医療資源の投入増」に大きく舵を切ろうとしています。まさに大きな転換期ですが、その先行事例がブレア改革であります。イギリスの政治が、政府が、そして国民がどういう選択をして、それがどんな結果をうみだしたのか、ここに集まるあらゆるステークホルダーの皆さんでともに学んで議論したいと思います。
■主講演
「英国医療制度改革と日本への示唆」
富塚 太郎氏
ロンドン大学衛生熱帯医学大学医院・経済政治学大学院
市場原理を導入した結果、医療が荒廃
本日は、1997年にトニー・ブレアが政権をとって後に手がけた医療制度改革についてお話しします。ブレアは、政権奪取後に医療改革に力を入れると宣言し、「Rebuilding the NHS」(意訳すると「NHSをぶっこわす」)のフレーズを繰り返し使いました。イギリスの医療は、ほぼ一般財源の税金で賄われており、その国営の医療サービスはNHS (National Health Service)と呼ばれています。 まず、ブレアが政権をとり医療改革をするにいたる前の医療史に触れます。NHSは1948年に設置されたのですが、それ以前、イギリスで医療保険制度はなかったと言っていい状況でした。保険はあるものの対象者は勤労者のみで、子ども、女性、高齢者は対象外、かなり悲惨な保険制度だったのです。そこで、第二次世界大戦の勝利で得た資金を大量に注ぎ込み、NHSがつくられました。NHSの特徴は、3つ。ひとつは全国民が対象である点。そして、ほとんどの医療がNHSでカバーされている点。3つめは、処方箋料など一部有料のもの以外、原則的に受診料が無料の点です。 1979年に保守党が政権をとり、マーガレット・サッチャーが首相となりました。サッチャー政権とそれにつづくメージャー政権は、「英国病」と国際的に揶揄された状況――不景気で失業率が高く、各種国民の負担も高い経済の停滞状況――を打開する施策の一環として、1980年代後半から医療制度の規制緩和を進め、公的負担を低減し、民間活力を導入する政策をとりました。財政難から英国版「医療費亡国論」が語られるような状況を背景にした改革でしたが、結論としてはうまくいきませんでした。むしろ医療事故の報告が増加し、国民の政府への不信感は募っていきます。
保守党による医療制度改革はいわば市場化の試みだったわけですが、市場化では、医療機関や医療者が利益追求に奔走するという競争原理の悪い側面ばかりが前面に表れ、NHSに込められていたはずの大きな政策目標「健康に関する格差をなくす」は二の次になってしまいました。 競争により生じた医療の質の格差は、貧富の差において顕著でした。65歳未満の冠動脈疾患による死亡率でマンチェスターは西サリーの3倍の数字を記録し、子宮頸がんスクリーニング受診率に は地域によって67%から93%までの開きが生まれました。居住地域や貧富の差によって受けられる医療が違う状況となったのです。
大胆な医療への公的支出増加策
1997年、ブレアが政権を奪取しました。ブレアは、医療制度改革のために2つの白書を発表。まず、1997年に「The new NHS」を、その白書にもとづいた3年間の活動をもとに2000年には「The NHS plan」を発表しました。彼の改革で注目されるのは、「The NHS plan」で示された改革の2本の柱、「医療への公的支出増加」と「医療従事者の増員対策」です。 イギリスの医療改革においては医療費の増加策を前面に打ち出したことが、きわめて革命的と評価されています。では、医療費をどれくらい増やしたのか。「The NHS plan」が出された2000年には対GDPで7%以下だったのが、2005年には8.3%に達し、2008年には9.2%となる予想。実額では、1997年の456億ポンド/約9.1兆円から年7%の成長をつづけ、現在は20.8兆円と2倍以上になっています。 さて、以降はブレアの医療制度改革を、「ターゲット政策」、「規制政策」、「患者中心政策」の3つに分けて、もう少し詳しく説明しましょう。
最初にターゲット政策からです。数値目標を設定し、その達成をめざしてなされる政策をターゲット政策と呼びます。ブレア改革においてターゲット政策の優先分野となったのは、「健康の状態」と「医療機関へのアクセス」でした。 この政策分野の設定方法が実に注目に値します。保健省主導ながら患者も含めた関係者の合意を得るとともに、財務省の合意も得て経済的な裏づけを確保したうえで取り組む分野を設定しているのです。 「健康の状態」では、がん患者の生存率や心疾患の死亡率の改善が試みられていますが、まだ成果と呼べるようなデータは報告されておらず、今後が期待されます。 「医療機関へのアクセス」では、救急外来での待ち時間4時間以内、家庭医受診48時間以内などの目標が設定されました(資料20P)。それまでは――有名な話ですが――、かかりつけ医としての家庭医にかかろうとしても、1週間後でなければ受診できない状況で、大問題となっていました。さらに、かかりつけ医からの紹介で病院を受診できるまでを13週間以内、入院までを26週間以内などといった目標も掲げられました。これらの目標設定によって、1997年に120万人だった待機患者が2007年には80万人にまで減少。特に6ヵ月以上の入院待ち患者は、2004年末時点で6万6000人だったのが、2005年末には48人と劇的に減りました。
しかしながら、ターゲット政策には弊害もありました。たとえば「ゲーミング」と呼ばれる“インチキ”があちこちで行われました。例としては、救急コールから8分で救急車が対応すべきと設定すると、もっと早く対応できるケースでも8分かかる現象が起きた。また、救急外来の患者は4時間以内に診療との目標を達成するために、時間内に診られない患者に「救急外来に入らず、外で待っていてください」と言うようになった。さらには、救急車を病院の外に並べて、診療待ち時間のカウントが始まらないようにする現象などがあちこちで起こりました。
公的監査機関を設け医療の質を国が管理
次に規制政策について説明をしましょう。1996~1997年にブリストルの小児病院で心臓外科手術のきわめて高い死亡率が問題になり、15例についてショッキングな原因が内部告発されました。加えて、医師のハロルド・シップマンが殺人を犯し、被害者が200人以上に及ぶ事件も起きました。それらの問題に対してブレア政権は、医療職に質のコントロールが任されていた「医療職“内”での規制」から「医療職“外”からの規制」へと転換を図ります。つまり、国が医療の質に責任を持つことにしたのです。そして、Healthcare Commission(保健医療委員会)とNational Institute for Clinical Excellence(国立最適医療研究所)など、多くの医療の質に関する独立した公的機関が設置されました。 Healthcare Commissionは、病院の目標達成評価をする機関。年に1回、病院の目標達成度評価と患者満足度評価を実施し、目標達成できなかった病院への指導も行います。調査にかかわるスタッフは1600人おり、2004年の設立当初では年間約7870万ポンドの予算がつけられています。 National Institute for Clinical Excellenceは略称であるNICEと呼ばれ、治療や医療機器の評価と推薦、コスト効率分析、エビデンスに基づいた医療情報の提供やガイドライン作成などを行います。2003年の設立当初のスタッフは81人で、年間予算は約1760万ポンドです。
医療機関を選択できる情報源を整備
3つめは、患者中心政策。与えられる医療から、参加する医療に転換し、患者中心の政策を実現しようとしました。具体策のポイントは、(1)患者が十分な情報を持って紹介先医療機関を選択する、(2)患者の医療経験を調査・公表するという2つの点です。 日本はフリーアクセスで、患者が自由に医療機関を選べますが、イギリスでははじめに家庭医/GP(General Practitioner)を受診し、問題があれば病院を紹介してもらうシステム。新しい政策では、その紹介される先の医療機関を患者が複数から選択できることをめざし、選択のために必要な情報が提供される仕組みを整備しました。患者の主な情報入手源は、ウェブサイト「NHS choice」で、医療機関の院内感染率や手術の成績や医療機関評価のレーティングなどが簡単に閲覧可能です。コンピュータを使わない人のためには、情報が掲載された本が図書館にあり、いつでも閲覧できるようになっています。
改革後の患者の意識にまだ変化は見られない
改革の効果を、患者の医療経験調査から考察してみます。この調査は、いわゆる患者満足度調査とは異なり、患者が受診中に経験した具体的な事象や体験の有無を尋ね、集計結果を医療機関に客観的データとしてフィードバックし、改善すべき具体的課題の発見につなげようとするもので、年1回行われます。 実際の調査結果を2つ紹介しましょう。ひとつ目は、「必要なときに、すぐに病院に入院できたか?」(下左図)の問いに対する結果。「できた」とする回答は2002年68%が、2006年には74%になっていました。この結果をもってして医療が改善されたと判断できるかは微妙ですが、少なくとも右肩上がりであるのは間違いありません。 もうひとつは、「治療方針の決定に参加できなかったか?」。ネガティブな設問で、もちろん答えが「はい」の場合、問題であるとなります。プライマリ・ケア医の受診では結果は横ばい、病院においては「はい」が増加しています。
これらの結果からは、さまざまな新しい政策を導入したが、残念ながら患者さんの経験にはあまり変化がなかった様子がうかがわれます。 また、新しい政策によって医療が変わったか否かを患者の主観として調査する取り組みも行われたのでご紹介しましょう。こちらでも残念ながら、患者さんの主観的な満足度はほぼ変わっていないとの結果。やはり、制度改革の結果が目に見えてくるには、相当の時間がかかるのでしょう。
■コメント
武内和久氏/厚生労働省大臣官房国際課
実にうまい「飴と鞭」の使い方
3年間にわたって、私が実際にイギリスでブレア改革見て感じたことを3つのキーワードでお話しします。まず、「戦略と決断」。ブレアが、「NHSプラン」を策定し、10年という時間をかけて改革を進めたこと、そして政治的決断によって年間7%以上の医療費増を決めたことはインパクトがありました。その際、当時のイギリスは、経済が堅調で財政状況がとても良かった点も背景として見逃せません。このように、「求心力」のある改革、「腰を据えた」改革である点は印象深い点です。また、改革構想を描いて行く中では、既存の政治勢力や役所の関与も制限して、ゼロベースで医療政策の問題点を洗いざらい取り出し議論して改革を進めたのも特徴的です。また、10年スパンでの改革について、「インフラ」(量)を整備し、組織を改編し、NHSの文化を変え、それらを通じて「質」の向上を図るという流れが構想された点でも戦略的でした。 2つめのキーワードは、「投資と統制」です。これは、「飴と鞭」と言い換えてもいいもので(笑)、ただ医療費を増やすだけでなく、代わりに医療現場と医療従事者にも求めるべきことをしっかり求めた。そのやり方が、実にうまかったと思います。目標を設定し、達成できなければ――たとえば、救急患者を4時間以内に診られなければ――、医療機関の人事権をちらつかせて間接的なプレッシャーを与えた。その際、地域の医療資源を管理するプライマリケア・トラストの権限を強化し、医療機関へのガバナンスを強化しました。 3つめのキーワードは、「可視化」。ターゲットを設定し、目標が達成できているか否かを定量的に測れるようにしました。Healthcare Commission(保健医療委員会)で医療機関が達成すべき医療の水準、質をしっかり定義づけしたうえで、それらの目標達成度を評価する方式を採り入れたのかその好例です。すべての医療機関の評価が厳密にくだされ、その評価がすべてWebサイト上に公開され、国民が自由に医療機関の特徴と評価を閲覧できる点は驚くべき点です。これも医療者にはかなり大きなプレッシャーとなり、医療機関の人たちのマインドを変えるのに役立ったと思われます。
採点は、構想90点、計画70点、実行50点
政策当局者の視点で見て、感心する点がいくつもあります。たとえば、制度のあちこちに「遊び」の余地を入れている点。ガイドラインをつくると、日本ではガイドラインの9割、10割の遵守率が求められますが、イギリスでは7~8割の遵守率があれば良しとされ、残り3割ほどは現場の判断に任されます。このように現場の裁量の余地を残す点は重要です。 「Try & Error」も頻繁です。イギリスの医療改革では、とにかく次から次にアイデアが出てきて、次から次にアイデアを実行します。パイロット的に一部地域で試してみてうまくいけば全国展開し、全国的にやってみてうまくいかなければ、割に簡単に軌道修正します。とてもフレキシブルな医療政策の進め方は、我々にとってきわめて示唆深いものです。 また、国民の感情に訴えることに非常に意を払っています。ここも本当にうまいなと感じます。たとえば、「患者が医療機関を選択できるようになります」、「患者の意見を反映させます」といった強いメッセージを発信して改革への指示を高めようとの工夫には、まことに感心しました。 NHS改革は成功したのかと問われれば、私の採点では構想90点、計画70点、実行50点。青写真にはすばらしい内容がたくさん盛り込まれていましたが、具体化する段階で削られ、残った施策も、うまくいっているものばかりではありません。 しかし、ブレア政権での医療改革にも「光」と「影」があります。待機時間短縮などで一定の効果を挙げた一方、あまりにドラスティックすぎたようで、医療の現状が改革のスピードについていけない点に深刻な問題があり、イギリスの医療関係者の間では、「改革疲れ」とも言える状況も見られます。今後、ブラウン政権で、現役医師でありながら保健省の政務官に任命されたダルジ氏の手腕が注目されます。
【日本への示唆】
政治決断で大きな改革の突破口は開けること、そして国民に対するメッセージの出し方など政策実行フェーズでのディテイル(細部)へのこだわりが鍵を握ること、どれも日本にとって大いに参考になるだろう。また、政策過程への市民・患者参画が、実は行政・市民の双方にとってプラスであることも分かる。このような「患者中心政策」(患者中心「医療」と異なることに注意)は、日本の喫緊の課題のひとつであろう。
一方で英国の事例は、単に医療費や医師数などの医療資源の投入量を増やすことだけで解決できるほど「医療再建」の道のりが単純ではないことを改めて考えさせてくれる。医療費増加、医師増を求める声が日増しに大きくなる日本の医療界。しかし、これらの施策はあくまでも目的のためのひとつの手段に過ぎず、決して「バラ色の万能薬」ではないことを再度確認する必要があるだろう。 あらゆるステークホルダーが参画するオープンで健全な議論(Healthy Debate)を重ね、骨太な政策議論とともに小さな改革を根気良く積み上げていく努力が、いま私たち国民に求められている。(小野崎)
■講師プロフィール■
富塚太郎氏 1999年京府医大卒業。北海道家庭医療学センターにて家庭医として地域医療・教育の実践を経て、上医治國を志向し、医療制度・ヘルスポリシーを学ぶために渡英。2008年ロンドン大学衛生熱帯医学大学院・経済政治学大学院医療政策・計画・財政学修士課程修了予定。英国在住。
申込締切日:2008-08-19
開催日:2008-08-20
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