【開催報告】第133回HGPIセミナー フェローによる政策提言プラットフォームプロジェクト「日本における『医薬品の費用対効果評価』のより良い活用に向けて」(2025年5月20日)
日付:2025年7月22日
日本医療政策機構(HGPI: Health and Global Policy Institute)では、2022年度より当機構に所属するフェローをはじめとした関係者が、個別に政策提言を発表し推進できるフェローによる政策提言プラットフォームプロジェクトに取り組んでおります。フェローらが喫緊の課題とする政策提言の内容を、当機構内でも精査し承認し、当機構が発行する政策提言の一環とすることで、政策に関心を持つ市民に選択肢を提示し、創造性に富み実現可能な解決策を示しています。
今回は「日本における『医薬品の費用対効果評価』のより良い活用に向けて」をテーマとし、当機構フェローである五十嵐中氏が2025年5月7日に公表した政策提言について解説しました。本セミナーでは、現在の日本の保健医療システムの理念に立ち返り、費用対効果評価に関して、日本で今後求められる議論や、多様な視点から「効果」や「価値」の基準を考える重要性をお話しいただきました。
<POINTS>
- コロナ禍を機に「医療とお金」の考え方は変化し、医療への公費投入と自己負担の線引きや、メリハリのある医療の必要性が増している
- 限られた財源のなかで、医療にメリハリをつけるための基準として費用対効果が改めて注目されている
- 一方で、医療の「効果」や「価値」基準は一律に測れるものではなく、多様な立場や価値観を反映した評価指標や制度設計等について、関連するステークホルダーや市民が継続的に議論する必要がある
■医薬品の費用対効果導入の背景
医療用医薬品の費用対効果評価は、厚生労働省によって2019年4月に導入された制度である。本制度に従い、一部の医療用医薬品の薬価は、一度価格が決定された後でも費用対効果評価の結果に応じて価格が調整されることになった。日本の費用対効果評価では、新しい医薬品と既存の医薬品の効果と費用を比較し、一般的に質調整生存年(QALY: Quality-adjusted life year)という指標を使用してその効果や価値を評価する。QALYに関する議論も分かれるところだが、今回は費用対効果評価を考える上で必要な視点や、現行制度を活用する際の注意点などを中心に概説したい。
■コロナ禍で変化した「医療とお金」の考え方
日本の医療は国民皆保険制度*のもと、「全ての国民が安価でほぼすべての医療を受けられる」ことを基本的な理念として制度が設計されている。そのため、これまでは医療は最優先すべき社会的な価値とされ、財源が不足すれば他分野を抑えてでも医療費を確保するという対応がなされてきた。しかし、コロナ禍を契機に、医療と生活のバランスに対する社会の意識が大きく変化した。感染症対策やワクチン政策などに多額の予算が投じられる一方で、国民生活や医療以外の産業への影響も顕在化し、「医療にどこまで公費を投入すべきか」「限られた財源をどう配分するか」という課題意識が社会で共有されるようになってきた。
これにより、従来はある種のタブーとされてきた「医療とお金」の問題が積極的に社会全体で議論されるようになっている。なかでも、医療の公費負担と自己負担の線引き、いわゆる「メリハリのある医療」の必要性が強く認識されつつある。実際、ある世論調査では軽度な医療については保険適用外とすべきという意見もあり、医療の価値を個々人が見直す動きが見られる。
このような状況下で、医療にメリハリをつけるための基準として費用対効果が改めて注目されている。
*本来「皆保険」とは「全ての国民が安価で必要な医療を受けられる」ことを指す
■費用対効果評価における「コスト」と「パフォーマンス」
日本の費用対効果は、既存の医薬品と比べた時の新薬の有効性や安全性を評価するものとなっており、費用対効果を算出する式は、(新薬のコストー既存薬のコスト)÷(新薬の効き目―既存薬の効き目)が基本となる。
コストと効き目(パフォーマンス)だけで医薬品を評価できれば費用対効果は一目瞭然である。しかし、実際にはこの式の背後だけでも多数の検討事項がある。例えば、何の医薬品を「既存薬」に定めるのか。いつ誰に対してどのような時に収集したデータを使用して「効き目」を判定するのか。「コスト」、「既存薬」、「効き目」の定義や捉え方によって費用対効果評価の結果は大きく異なる。
費用対効果評価を導入する際は、まずは「コストパフォーマンス」を広範な視点から考慮しても良い医薬品とそうではない医薬品を切り分けることが理想的である。しかし、現実には、費用対効果の運用は、運用そのものや薬価に対して多くの人を納得させるための「エビデンス」創出に偏りがちであり、「コスト」も「パフォーマンス」も限局された範囲の中での議論に終始している。臨床試験の不確実性を考慮すると、臨床試験に基づいた結果を根拠に導き出している費用対効果評価も同様に極めて不確実性の高いものであることを忘れてはならない。
■新たな評価指標の必要性-医療の多面的価値と経済毒性
費用対効果評価の在り方を検討する上で、多様な評価指標を参考にすることが重要である。多様な評価指標を示す図式の1つに12の評価指標をまとめたValue flowerがある。本来、このようなの多面的な視点を意識しながら医薬品の評価が決定されるべきである。なかでも経済面や費用面に関わる評価は、国民生活に大きな影響を与える。例えば、医療(医薬品)が高価になることで適切な医療が受けられず、個人の健康が損なわれることも起こりうる。また、医療を受ける出費を優先しその負担によって日常生活が苦しくなることもある。これらを「経済毒性」といい、日本における卵巣がん患者領域の調査では、約8割の人が経済毒性をもっていた。
一方で、医療の価値には経済面だけでなく、生活の質(QOL: Quality of Life)や家族への影響といった側面も重要だ。学生を対象に行った希少疾患の治療に関する調査では、QOLの向上や家族の負担の軽減を「医療の価値」として重視する意見が多く挙げられ、医療が本来持っている多面的な価値と共に、市民の多様な価値観が垣間見えた。
日本では、世界に誇る国民皆保険制度のもと、平等に医療を受けられるとされてきた。しかし、現実には医療が本当に必要な人全てに届いているとは言いがたい。また、医療の価値は、個々人の生活背景や社会的状況によって異なる。今後は、市民の多様な価値観を考慮に入れた医療制度・評価システムの改善が求められているのではないだろうか。
【開催概要】
- 登壇者:
五十嵐 中氏(東京大学大学院 薬学系研究科 医療政策・公衆衛生学 特任准教授/横浜市⽴⼤学医学群データサイエンス研究科 客員准教授) - 日時:2025年5月20日(火)18:00-19:30
- 形式:オンライン(Zoomウェビナー)
- 言語:日本語
- 参加費:無料
- 定員:500名
■登壇者プロフィール
五十嵐 中(東京大学大学院 薬学系研究科 医療政策・公衆衛生学 特任准教授/横浜市⽴⼤学医学群データサイエンス研究科 客員准教授)
2002年東京⼤学薬学部薬学科卒業、2008年東京⼤学⼤学院薬学系研究科博⼠後期課程修了、2008年から東京⼤学⼤学院薬学系研究科特任助教、特任准教授、2019年より横浜市⽴⼤学医学群健康社会医学ユニット准教授を経て、2024年より現職。
専⾨は薬剤経済学。 医療経済ガイドラインの作成・個別の医療技術の費⽤対効果評価・QOL 評価指標の構築など、多⽅⾯から意思決定の助けとなるデータの構築を続けてきた。著書に、「医療統計わかりません (東京図書, 2010)」「わかってきたかも医療統計 (東京図書, 2012)」「薬剤経済わかりません (東京図書, 2014)」などがある。
調査・提言ランキング
- 【調査報告】日本の保健医療分野の団体における気候変動と健康に関する認識・知識・行動・見解:横断調査(2025年11月13日)
- 【政策提言】「脳の健康」を取り巻く政策への戦略的投資が拓く「日本再起」への提言-新政権への期待-(2025年12月1日)
- 【調査報告】「2025年 日本の医療に関する世論調査」(2025年3月17日)
- 【論点整理】社会課題としての肥満症対策~肥満症理解の推進と産官学民連携を通じた解決に向けて~(2025年8月21日)
- 【政策提言】腎疾患対策推進プロジェクト「慢性腎臓病(CKD)対策の強化に向けて~CKDにおける患者・当事者視点の健診から受療に関する課題と対策~」(2025年7月9日)
- 【調査報告】「働く女性の健康増進に関する調査2018(最終報告)」
- 【調査報告】メンタルヘルスに関する世論調査(2022年8月12日)
- 【政策提言】保健医療分野における気候変動国家戦略(2024年6月26日)
- 【調査報告】「2023年 日本の医療の満足度、および生成AIの医療応用に関する世論調査」(2024年1月11日)
- 【政策提言】メンタルヘルスプロジェクト「メンタルヘルス領域における3つの論点に対する提言」(2025年7月4日)





