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オピニオンリーダー医師対談:第一回 問われる医師のプロフェッショナリズム

オピニオンリーダー医師対談:第一回 問われる医師のプロフェッショナリズム

日野原 重明 氏(聖路加国際病院理事長)


持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」である。

黒川:日本医療政策機構では、「医療政策討論」と題しまして、医療界のオピニオンリーダーの方々と「日本の医療を良くするために、今医師は何をするべきか」をテーマに意見を述べ合う対談を企画いたしました。その第1回のゲストとして、本日は日野原重明先生をお迎えしています。
さっそくですが、現代社会では情報化が進み一般国民にも世界中のさまざまな情報が行きわたるようになりました。結果、医師をはじめとする権威を持った人々に対する不満や疑問が出てきています。そんな中、私の知っている英米では医師が自ら「医師のプロフェッショナリズムとは何か」を強く語り、実践してきている。医師のプロフェッショナリズムについての先生のお考えをお聞かせください。

日野原:「Profession」という言葉には、神に告白(Profess)する、約束する、契約するという意味があります。神学と法学と医学のプロフェッションには、明らかにその精神が垣間見える。底通するのは、学問を修めるにとどまらず、持っている能力を社会の繁栄と人々の幸福のために活かすと神に誓うから「プロ」であるという精神。欧米で、神職者、法律家、医師が、専門職能集団の中でもトップのプロフェッショナルな集団とされてきた理由はそこにあります。そして、使命感を持った人が公言し、神と約束しているわけですから、第三者が彼らの仕事の内容を批評するのも当然のこと。
医師のプロフェッショナリズムの本質を知るには、そこまで理解する必要があります。
また、スペインの教育者であるオルテガの言葉を借りれば―─大学で最高の教育を受けプロフェッションの道に進むとは、生涯を通して学びつづける道を選ぶこと――です。プロフェッショナルは自分を磨きつづけて当然だし、文化に貢献し、文化を次世代に伝えるミッションを持っている点も自覚してほしい。

黒川:先生のおっしゃるとおりです。牧師も弁護士も医師も、まず使命感があるから目指す職業のはずですね。洋の東西を問わない本質だと思います。

日野原:ところが、今、日本の医師にはミッションの有無は問われず、偏差値の高い人がなっている。

黒川:戦後の日本では、進学率の向上にしたがって、医学部が「偏差値の高い人の選ぶ道」になってしまった。

日野原:しかも、その高い偏差値は「高校卒業時点の」です。なんの社会経験もない若者が、数学や物理の点数が高いからといった理由だけで、医学部に進学する。適性ではなく偏差値で選ぶから、日本の医学部では適性も使命感もない、つまりは「向かない人」が大勢学んでいるわけです。

黒川:そのとおりですね。

日野原:だから、今の医学部では、教える人も教えられる人も辛いのです。適性のある人を入学させれば、あとは「勉強しろ」なんて言わなくても勉強するものなのですが。
入試のありようは考え直されるべきでしょう。5分や10分の面接では、適性がわかるはずはない。その点、たとえば米国では、面接試験に何時間もかけるようになっている。試験時間は年々長くなり、試験日という概念そのものがなくなっています。

黒川:先生もよくご存知と思いますが、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの国々では各大学が入学試験を同時に行うなんて、ありえない。この奇妙な制度に知的レベルの高いはずの大学の教育人たちが、なぜ異を唱えないのか不思議です。私は、大学のコースを入学時に理系と文系に分けることも一斉に入試をすることも、もうやめるべきだと言っています。大学人は、もっと自立的になり社会に対して自分たちの考えを訴えていかないと。
日野原:大学教育の場で出席をとっている実態などは、世界的には物笑いの種です。

黒川:それだけ、面白くない教育をしているのでしょうね。

日野原:米国のメディカルスクールでは、講義に遅刻する学生などいません。

黒川:みんな自分のための勉強だとの自覚があるから。

日野原:そうした真剣さの背景のひとつとして、メディカルスクールが多くの社会人経験者を受け入れていることが挙げられるでしょう。彼らの多くは学費を自分でローンを組んで捻出している。ほとんどが親の出した学費で学んでいる日本の医学部の学生と、米国のメディカルスクールの学生との真剣さに違いが出るのは当然です。
学ぶ姿勢の違いは、医学生に限りません。医師免許を取得して現場に出て以降も、欧米の医師と日本の医師の姿勢の違いは歴然。日本の医師は、よく誇らしげに「学会に行って~を聴いてきた」と言いますね。でも、学会に出て、どれくらい内容を理解しているのか――。実際に学会に行くと、大部分の人が後ろの席に座って、講演の最中に居眠りです。


重要なのは、医師同士の相互チェックであり、医療界での内部的な統一評価。

黒川:医療訴訟が増加傾向にありますが、それは現実の医師と社会が求める医師のギャップに国民が気づいたのが、ひとつの要因のように思います。

日野原:日本の医療界は戦前のドイツ医学を範とし、専門性に傾倒しすぎて、結果、臨床のありように歪みが生じた。
アメリカ、カナダ、その他の国では、医師はみんな眼底や鼓膜を見るなどプライマリ・ケアの基本を勉強するのに、日本の医師のほとんどはそれをせずに、専門科へ進んでいきました。
そして、大学医学部のヒエラルキーから「押し出された人」が、プライマリ・ケアの十分な訓練も受けないまま臨床の現場に出る、ある意味、無秩序な状況を招いてしまったのです。

黒川:しかも、患者さんには情報がないので、大学の偉い先生が良い臨床医だとの錯覚が生じた。実際には、そんなことは、まったくないのですが(笑)。
しかし、ようやく今、情報の広がりから間違った認識に皆が気づき始めたわけですね。卒後臨床研修必修化なども、そのような社会の気づきに応えるかたちで導入されました。

日野原:安田講堂事件をきっかけにインターン制度がなくなり、審議会は希望者だけに臨床研修をすると決めた。当時、私も審議会のメンバーで、臨床経験のない医師をそのまま現場に出すようでは野蛮国と言われるから、有給で2
年間研修できるシステムをつくり、できるだけ早く義務化するべきと訴えましたが、意見は通りませんでした。結局、実現するのに35年かかりましたね(笑)。

黒川:35年前、インターン制度が廃止される折に、ただひとり卒後研修を制度化すべきと主張されたのが日野原先生であるのは誰もが知っています。新医師臨床研修制度に対しては、賛否両論が聞こえますが、総じて若い医師には高く評価する声が多いように感じます。先生の目には、新制度の現状はどう映っていますか。

日野原:新制度導入後、良い研修をする市中病院に多くの人材が流れ、大学の附属病院、特に地方の大学附属病院が困っているようです。ただ、それは一時的な現象でしょう。各大学が臨床研修の内容を充実させ、いい研修が受けられると実感できるようなプログラムを実施すれば、研修医は大学にも集まるようになるはずです。

黒川:制度が大きく変わろうとする過渡期に、ある程度の痛みが、特に既得権の多い側に生まれるのは仕方ありません。中長期的に見れば、一定のレベル以上の医師を育てる制度ができあがったと思います。
日野原:制度が変わるなら、医師の意識も変わらなければなりませんね。私が今、日本の臨床医にもっとも欠けていると感じるのは、他施設または他病院の専門医との共同作業です。自分の臨床能力ではここまではできるが、これ以降はできないと判断し、他の専門家なり、同僚なり、他の病院なりへ引き継ごうとする発想がなく、他者と上手に関連を持つ方法を知らない。
医師同士の連携が十分でないので、患者さんが勝手にあちこちの医療機関を「ハシゴ」することになり、それが無駄な医療費を発生させています。

黒川:院外の連携もそうですが、日本では院内の連携、つまりチーム医療の点でも遅れています。以前からチーム医療の必要性を言う人がいますが、実際に病院などで実践して見せないと。ほとんどが評論家のように口で言っているだけです。

日野原:近ごろ、日本では小児科医や麻酔医が足りないとの声を聞きますが、チーム医療が進めば解決できる。たとえば米国では、麻酔の8割は、麻酔学の知的並びに臨床能力の訓練を受けた看護師による処置でまかなっています。
日本では、麻酔医が足りないと騒いでいる一方で、学会が「麻酔のできるのは医師だけ」という壁をかたくなに守っている。麻酔の大部分は、看護師でもできるものなのにです。

黒川:米国との違いと言えば、ホームドクターが全然いない状況も、日本の患者さんは、本当にかわいそうだと思います。

日野原:かかりつけ医、ホームドクターの重要性が語られていますが、それを実現するには、患者さんの紹介レポートを医師がしっかり書けなければなりません。米国では、誰かほかの先生に自分の患者さんを渡すときのレポートがきちんとしているでしょう。

黒川:紹介状ですね。

日野原:日本の医師のように「ご高診お願いいたします」などと書く代わりに、自らの所見をはっきり書く。

黒川:私も米国にいるときに紹介するほう、されたほうとして何回も書きましたが、自分のぶつけた意見に、向こうが返事をしてくる――。医師同士が、お互いのプロフェッショナルとしての評価をする作業になっていて、非常に緊張感がありました。

日野原:日本人は、個人にしても病院にしても外部からの評価、公の資格を尊びますが、いちばん重要なのは、医師同士の相互チェックであり、医療界での内部的な統一評価なのです。

黒川:そうですね。標榜科の数や出し方について議論するより、医師同士の評価が公になる仕組みを考えるほうが意義がありますね。


「理解されない」と文句ばかりを言わず、医療政策に対して責任ある発言、建設的発言を。

黒川:ところで、先の医療制度改革で都道府県が地域の実情に即した医療計画を立案することになりました。実を言うと、これはたいへんな進歩です。都道府県によって抱える過疎地域の広さも違いますし、高齢者の数も違う。さらに、患者を受け入れられるキャパシティーも違うのに、今まで同様の医療政策がなされていたのが、おかしい。日本全国どこでも、同じように医療機関にアクセスできるなんて、土台無理のある話でしょう。しかし、その考え方自体が社会全体になかなか普及しないのです。

日野原:米国がNational Health Serviceでプライマリ・ケアを始めた際、10万人の人口にはこれだけのジェネラリスト、スペシャリストが必要だとの試算を行い、1次、2次、3次と医療圏をはっきり分けました。まったく無駄がない。

黒川:まさにそれを実現しようとしているのですが、医師の間でさえその理解が進んでいません。
本来、医師は実際の医療現場にいるのですから、病院の持つ課題、医師会や診療されている人、あるいは専門医の数や質の問題を、よく知っていなくてはいけないわけです。そして、それらに対して文句ばかりを言うのではなく、どうすれば政策に反映させられるのかなど、医師の立場から医療政策に対して責任ある発言、建設的発言をすべきなのに、それができていない。
もちろん、国民のサポートなしには、何を発言してもどうしようもありませんが。

日野原:そういう意味でHealth Educationは非常に大切ですね。
私は、これだけパソコンが普及し、ほとんどの人が自分に関することをメモとして、データとして保存し、管理できるようになっている点に注目しています。自分のHealth Recordをつくり、自分で認識しているProblem Listと医師から診断を受けたときの所見をまとめておけば、別の医師を訪れた初診の際にそれを渡すだけで病歴を理解してもらえます。
とはいえ、今、診察室で起っている実態は、「心臓が痛い?じゃあ、心電図だ」です。心臓で言えば、10分かけてじっくりと病歴を聞き出せば、そこで7割の診断がついて必要な検査だってピックアップできるのですが、実際には不要な検査も全部やって、そこからザーッと落ちてくる検査結果から診断する。患者さんとのコミュニケーションがおろそかにされています。

黒川:そうですね。

日野原:歯の磨き方を教えるのもいいですが、それ以外に自分の訴えをメモにして医師に届けるといった教育を小学校からするべきでしょう。

黒川:「私の健康手帳」みたいなものですね。医師への手紙とも言える。自分の健康について考え、メモする習慣があれば、子どものころから、医師の診断を受けて「お医者さんに行ったら、こう言われたよ」と、しっかりした認識のもとに言えるようになる。

日野原:自分の観察ができるようになるHealth Educationは、やり方次第によっては、日本ではかなり効果が見込めると思います。自分で測れる血圧計の普及率などは、きわめて高いのですから。
そういう意味では、健康教育学会のありようなどには、疑問を感じざるをえません。健康教育学会の会長を有名な医師が務めている国など、日本だけですよ。米国ではHealth Educatorは医師のする仕事ではありません。医療に関すること、健康に関することは医師がトップになってやらなくてはならないという盲信は、そろそろ捨てなければ。

黒川:必要なのは、健康の分野への市民参加ですね。社会自体がもっと市民参加型になる必要がある。市民参加については、先生が理事長を務める聖路加国際病院は先駆者です。昔からボランティアの方々が大勢いらっしゃる。

日野原:ボランティアには、手術室にも入ってもらっています。ボランティアが、AED(自動体外式除細動器)の扱い方を一般の人に教えてもいます。

黒川:AEDが、たくさんの場所に置かれるようになりましたが、いざというときに何人の人が使いこなせるのが疑問です。医師でさえ、心肺蘇生を行えるのでしょうか。私がいたカリフォルニア州では、医師には毎年、半日間の心臓蘇生の実習が義務づけられていましたが。

日野原:日ごろやっていないと無理でしょうね。今の医師は、挿管だってできない。救命救急士のほうが上手です。聖路加では毎年4月に、医師、看護師はもちろん、事務、技術者も含めた新人のオリエンテーションは、まず心肺蘇生の実習から始まります。事務の仕事などは、時間がたてばできるようになる。それより、「聖路加病院の職員であれば、街で倒れている人と出会ったら蘇生術ぐらいできなくてはならない」という意識を持ってもらいたい。

黒川:医師にしろ、看護師にしろ、医療人は、患者さんや社会から認めてもらえない、と文句ばかり言わずに、普段の行動から広く理解してもらえる努力をしないと。

日野原:とにかく、実際のニーズに合ったactionや仕組みづくりが、日本人は下手ですね。

黒川:日本人は何かするには、必ず役所にお願いに行かなければと思っている。なんでもお役所頼み、他人任せにしてきたせいでしょう。


人間の歴史とともにある医療。医師はもっと社会とコミュニケーションすべき。

黒川:医師の仕事は人間の歴史とともにあり、将来もずっと必要とされるのだと思います。先生とお話しさせていただいて、あらためて思うのは、医師はもっと社会とコミュニケーションすべきだということですね。患者さんが「行きたいときに、行きたいだけ、行きたい病院に行く」ある意味甘えた行動も、医療者たちがちゃんと情報開示し、社会とコミュニケーションすれば変えていけるはずです。

日野原:Healthについては国民個々が責任を持つべきですし、医師がそう導いていくべきです。遊んだりメールを打ったりに一生懸命になる情熱を、自分の健康への関心に向けるのはそう難しくはない。大切なのは、患者さんが主体的に努力した点について、医療人が「なんだ、素人のくせに」といった態度をしないこと。「よくできたね。でも、この場合は、ここをこうしたほうがもっといいよ」と褒めながらアドバイスを贈れるようになればと思います。

黒川:個人が自分の健康に責任を持つ社会をつくっていくのも医療人の役割でしょう。いきなり国民全員を変えるのは無理でしょうから、まずひとりからでも始め、徐々にその数を増やしていくしかありません。
医療と社会がコミュニケーションするという意味でも、ボランティアの存在意義は大きいですね。

日野原:聖路加では約350人のボランティアがいて、先ほども触れましたが、かなり高度な仕事もしてもらっています。

黒川:教育で言えば、例の杉並区立和田中学校の藤原先生などが、やはり近所のボランティアの方をたくさん交えて学校の運営をしている。
教育や医療の現場に普段かかわらないので、国民は医療や教育に対して不安になったり文句を言ったりする。だから医師側は、みんなで一緒にいい医療をつくっていきましょうと呼びかけ、言うだけでなく、実際にともに医療にたずさわる機会をつくっていかないといけないですよね。

日野原:米国では、掌に乗るような未熟児もボランティアが抱いています。日本では、どうしても「この素人が」となりがちですが、本当に経験があるボランティアは、へたな医師よりよっぽどできる。

黒川:今後の医療政策のあり方は、国民の支持を得ながら組み立てるべきなのは明らかです。卒後研修の整備、メディカルスクール構想の実現など、国民の意見を入れつつ、できるところから改革が進められればと思います。

日野原:厚生労働省でも10万人とか3万人の都市をモデルに新しい医療計画を10年間くらい導入するような試みをすれば、評価できるアウトカムが得られるでしょう。そんな実験もしていかないと。

黒川:そうですね。私どもの医療政策機構では、患者さんや、政治家、行政、役所の人たちを集めてワークショップを開催したり、中立の立場で皆さんと議論させていただいて政策提言のかたちに整理し提出するなど、さまざまな活動をしています。
東大の先端研には、私もかかわっているのですが、医療政策を担う人材の養成を目的に、新聞記者や医師、患者など、いろいろなステークホルダーが混ざって研究をする講座があります。
やろうと思えばできることは、いくらでもあるけれど、どうすればいいのか、やり方を知らない人が多すぎる。そんな中では、まだまだ先生にはがんばってくださいと言わざるをえません。ちょっと情けないですが――。本当なら、若い人たちがもっと世界に目を向けて、自分たちでやれることを考えるべき。医療界もいつまでも日野原先生にすがっているようでは、困ったものです(笑)。
今日は対談企画の第1回ということで、日野原重明先生にお話をうかがいました。最後に、日野原先生から現場の医師たちへメッセージをお願いします。

日野原:60歳のときに初めて読んで、感銘を受けたのがマルティン・ブーバーの哲学書でした。自己と他者の関係には2つある――ひとつは「私とit“それ”」、もうひとつは「私とyou“あなた”」。これまで医師は、患者を“それ”として扱ってきました。そうすることが科学の正しい姿勢と信じられてきた。しかし、それではヒューマンな医療はできません。これからの医師は科学的な姿勢を持ちながらも、「あなたを診ているんだ」といった人間性と愛情を持って患者さんに接すべきです。愛情の有無で、患者さんへのタッチの仕方も、ものの言い方も違ってくる。ただ、そうした患者へのマナーとも言える部分は、診断学では教えられません。
現在は、机を隔てて話すより、隣に座り、手を握って脈をとりながら「どこが痛いのですか」と語りかけることのできる、そんな心の通った診察のできる臨床医が求められています。機器を使った検査ばかりで患者が理解できるわけはない。もっと患者に触れて、患者の中から疾患を推測できるのが、すぐれた臨床医です。知識だけではなく、患者さんへのアプローチの方法を学んでください。
ロールモデルになるような先輩医師がいて、それを見て若い人が育ち、その若い人が次にモデルになる人材になっていく――そんな連鎖が生まれてほしいですね。

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プロフィール
日野原 重明聖路加国際病院理事長
現在、聖路加国際病院理事長、聖路加看護学園理事長、聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長。文部省、厚生省の医学・看護学の大学視学委員や諸委員会の委員を努め、日本の医学教育、看護教育の刷新に貢献。1993年には、日本初の独立型ホスピス「ピースハウス」を創設(財ライフプランニングセンター)。2005年文化勲章受章。人間ドックの草分けであり、「自分の健康を自分で守る」ためのわかりやすい一般向けの講演や著作が数多くある。
近著「生き方上手」(ユーリーグ)はベストセラーとなった。


ホスト:黒川 清 日本医療政策機構 代表理事


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