第8回朝食会「『改革』のための医療経済学」
日付:2007年1月11日

去る1 月11 日、第8 回朝食会を開催いたしました。
ニューヨーク州ロチェスター大学医学部地域・予防医学科助教授として、医療経済学を研究していらっしゃる、兪 炳匡先生にご講演戴きました。先日、ご出版された著書「『改革』のための医療経済学」のご紹介を中心としたご講演に、会場から質問やコメント等が次々と寄せられ、議論が大いに盛り上がりました。ご参加の皆様には、寒い中朝早くからお越しいただき、誠にありがとうございました。
(要約)
政策の選択は究極的には理念の選択である以上、正解のない「理念」をまず決める必要がある。経済学が客観的な指標を提供できる範囲は限られており、数多くある効率の指標のどれを選択するかも、理念抜きには不可能である。また、客観的な経済学(実証経済学)と主観的な経済学(規範的経済学)を意図的に混同しているように思えるエコノミストが多いが、混同すべきではない。一例に、医療費を対GDP 比で何%にすべきとの議論ある。
この種の問いに対し、経済学の最新知見を用い統計モデルを基に算出したとしても、厳密かつ客観的な正解は導くことはできない。具体的には、分析モデル次第で対GDP比8%以下にでも15%以上にでも結果が大きく変動する、このようなマクロの問題に対しては、最終的には主観すなわち理念でしか決められない。日本では一般に政策評価研究が遅れているが、医療政策の経済学的研究は特に遅れている。関心のある研究者が少ない訳ではなく、政策を立案・評価する際に必要となるデータへのアクセスが困難であることが一因である。更には、必要なデータ収集すら行われていないことも原因である。このような政策関連データの収集・公開は、かつては、韓国・台湾なども遅れていたが、近年、日本は追い抜かれてしまった。この日本の状況は既に諸外国の研究者にも広く知られており、データを提供できない日本を国際比較研究に入れるメリットがないと思われていることは恥ずべきことだ。次に、特定の評価指標がつまみ喰いされる危険性について述べる。
例として、一つの研究が医療の質の指標として調査比較した、医療制度に対する満足度と、実際に受けている医療行為に対する満足度の2つを挙げる。米国では医療へのアクセスが悪いために制度に対する不満は高いが、一方で、実際に受けている医療行為に対する満足は高い。発症した「1週間」後に予約をとって行けば15~20 分もかけてじっくり話を聞いてもらえるからだ。日本では正反対の調査結果になる。米国の医療制度を一方的に賞賛する論者の中には、意図的と思われるが、この一つの研究に含まれる2 つの指標のうち(日本より相対的に)米国の満足度が高い1 つの指標だけを取り上げ、他方の指標を無視することがある。このような、特定の立場・組織の利益にとって都合のよい指標のみを「つまみ喰い」するようなやり方は、包括的な評価方法を用いることにより、ある程度まで避けることができる。
次に医療費高騰の犯人探しについて、今まで言われてきた5 つの要因(人口の高齢化、医療保険制度の普及、国民所得の上昇、医師供給数増加、医療分野と他産業分野の生産性上昇格差)は、あまり寄与していないことは欧米の実証研究が示唆している。これらの要因の寄与率を全て足し合わせても米国の総医療費上昇率の25~50%しか説明できない。残りの説明できない75~50%はを占める、医療費高騰の黒幕ないし真犯人は、医療経済研究者の間では「医療技術の進歩」と予想されている。他の要因とは異なり、一つの指標で医療技術(治療効率)の進歩を経時的に測るのは困難であり、過去の実証分析も極めて限られているため、真犯人は確定できていない。
一般的に、最新の医療技術の導入によって健康指標が改善すると考えられているが、投資したお金に見合うだけ健康指標が向上しているかを検証する必要かある。一方で、既存の医療技術を標準化された治療指針に沿って正しく使われていないことも深刻な問題である。治療の内容・質のバラツキが日本では大きく、米国は標準化が進んでいると言われているが、昨年NEJM に掲載された論文によると、米国ですら主要な疾患について治療指針の遵守率は約55%だった。日本においても同様な研究を行い、既存技術の正しい利用を促進できれば、新規の技術導入に膨大な投資をしなくとも、健康指標がなり上昇することが期待できる。
既存の医療技術を適切なタイミングで提供するだけで、劇的に健康指標が改善した例を挙げる。米国兵士が戦場で死亡する確率は、約200 年前の独立戦争から1990 年湾岸戦争まで意外なことに殆ど同じであった。当然、過去200 年間で医療技術は進歩しているし、米軍も十分な資金を投入して医療体制を整えているにも関わらずである。ところが、2001年以降のアフガニスタンとイラクでの戦争ではこの死亡率が激減した。その理由は1990 年代に医療技術が格段に進歩したからではなく、湾岸戦争以前は、戦場の負傷者をヘリコプターなどで緊急手術が可能な後方の病院まで運ぶ間に治療のタイミングが遅れがちだったが、アフガニスタンでの戦争以降は、戦場の前線に規模は小さくても手術室を作った為である。この例は、既存の医療技術を必要な時間・場所に効率良く提供するだけで健康指標を劇的に改善できる可能性を示している。不確実性の高い、将来の医療技術の進歩を期待する以前に、今すぐできることは多い。
ニューヨーク州ロチェスター大学医学部地域・予防医学科助教授として、医療経済学を研究していらっしゃる、兪 炳匡先生にご講演戴きました。先日、ご出版された著書「『改革』のための医療経済学」のご紹介を中心としたご講演に、会場から質問やコメント等が次々と寄せられ、議論が大いに盛り上がりました。ご参加の皆様には、寒い中朝早くからお越しいただき、誠にありがとうございました。
(要約)
政策の選択は究極的には理念の選択である以上、正解のない「理念」をまず決める必要がある。経済学が客観的な指標を提供できる範囲は限られており、数多くある効率の指標のどれを選択するかも、理念抜きには不可能である。また、客観的な経済学(実証経済学)と主観的な経済学(規範的経済学)を意図的に混同しているように思えるエコノミストが多いが、混同すべきではない。一例に、医療費を対GDP 比で何%にすべきとの議論ある。
この種の問いに対し、経済学の最新知見を用い統計モデルを基に算出したとしても、厳密かつ客観的な正解は導くことはできない。具体的には、分析モデル次第で対GDP比8%以下にでも15%以上にでも結果が大きく変動する、このようなマクロの問題に対しては、最終的には主観すなわち理念でしか決められない。日本では一般に政策評価研究が遅れているが、医療政策の経済学的研究は特に遅れている。関心のある研究者が少ない訳ではなく、政策を立案・評価する際に必要となるデータへのアクセスが困難であることが一因である。更には、必要なデータ収集すら行われていないことも原因である。このような政策関連データの収集・公開は、かつては、韓国・台湾なども遅れていたが、近年、日本は追い抜かれてしまった。この日本の状況は既に諸外国の研究者にも広く知られており、データを提供できない日本を国際比較研究に入れるメリットがないと思われていることは恥ずべきことだ。次に、特定の評価指標がつまみ喰いされる危険性について述べる。
例として、一つの研究が医療の質の指標として調査比較した、医療制度に対する満足度と、実際に受けている医療行為に対する満足度の2つを挙げる。米国では医療へのアクセスが悪いために制度に対する不満は高いが、一方で、実際に受けている医療行為に対する満足は高い。発症した「1週間」後に予約をとって行けば15~20 分もかけてじっくり話を聞いてもらえるからだ。日本では正反対の調査結果になる。米国の医療制度を一方的に賞賛する論者の中には、意図的と思われるが、この一つの研究に含まれる2 つの指標のうち(日本より相対的に)米国の満足度が高い1 つの指標だけを取り上げ、他方の指標を無視することがある。このような、特定の立場・組織の利益にとって都合のよい指標のみを「つまみ喰い」するようなやり方は、包括的な評価方法を用いることにより、ある程度まで避けることができる。
次に医療費高騰の犯人探しについて、今まで言われてきた5 つの要因(人口の高齢化、医療保険制度の普及、国民所得の上昇、医師供給数増加、医療分野と他産業分野の生産性上昇格差)は、あまり寄与していないことは欧米の実証研究が示唆している。これらの要因の寄与率を全て足し合わせても米国の総医療費上昇率の25~50%しか説明できない。残りの説明できない75~50%はを占める、医療費高騰の黒幕ないし真犯人は、医療経済研究者の間では「医療技術の進歩」と予想されている。他の要因とは異なり、一つの指標で医療技術(治療効率)の進歩を経時的に測るのは困難であり、過去の実証分析も極めて限られているため、真犯人は確定できていない。
一般的に、最新の医療技術の導入によって健康指標が改善すると考えられているが、投資したお金に見合うだけ健康指標が向上しているかを検証する必要かある。一方で、既存の医療技術を標準化された治療指針に沿って正しく使われていないことも深刻な問題である。治療の内容・質のバラツキが日本では大きく、米国は標準化が進んでいると言われているが、昨年NEJM に掲載された論文によると、米国ですら主要な疾患について治療指針の遵守率は約55%だった。日本においても同様な研究を行い、既存技術の正しい利用を促進できれば、新規の技術導入に膨大な投資をしなくとも、健康指標がなり上昇することが期待できる。
既存の医療技術を適切なタイミングで提供するだけで、劇的に健康指標が改善した例を挙げる。米国兵士が戦場で死亡する確率は、約200 年前の独立戦争から1990 年湾岸戦争まで意外なことに殆ど同じであった。当然、過去200 年間で医療技術は進歩しているし、米軍も十分な資金を投入して医療体制を整えているにも関わらずである。ところが、2001年以降のアフガニスタンとイラクでの戦争ではこの死亡率が激減した。その理由は1990 年代に医療技術が格段に進歩したからではなく、湾岸戦争以前は、戦場の負傷者をヘリコプターなどで緊急手術が可能な後方の病院まで運ぶ間に治療のタイミングが遅れがちだったが、アフガニスタンでの戦争以降は、戦場の前線に規模は小さくても手術室を作った為である。この例は、既存の医療技術を必要な時間・場所に効率良く提供するだけで健康指標を劇的に改善できる可能性を示している。不確実性の高い、将来の医療技術の進歩を期待する以前に、今すぐできることは多い。
申込締切日:2007-01-10
開催日:2007-01-11
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