第19回朝食会「これからの外科医、これからの日本の医療」
日付:2008年11月13日
日本医療政策機構は、 2008年11月13日、第19回定例朝食会を開催致しました。今回は東京慈恵会医科大学外科教授・統括責任者、米アルバートアインシュタイン医大血管外科教授の大木隆生先生に「これからの外科医、これからの日本の医療」と題してご講演を頂きました。早朝から多数の皆様にご参加頂きました。誠にありがとうございました。
<大木先生講演要旨>
私は今、アメリカと日本の両国で外科教授を務めています。2006年までの12年間は、アメリカに在住し、アメリカのみで働いていました。そして、現在の軸足は日本にあります。日米両国で教授職を経験したのは、黒川先生をはじめ、限られたごく少数の者でしょう。そんな経験から見えてきたものがいくつかありますので、本日はそれらを軸にお話しします。
収入と幸福度は正比例しない
医師は有り余るほどの給与をもらう必要はないと、私は考えています。医師を志したのは中学生の時ですが、その頃から直感的にそう思い、そして20数年医師として働いてみて改めて確信も得ました。
人は水なしでは生きられませんが、そうですね1日の所要量である2リットルもあれば十分に暮らせるでしょう。2リットルあるか0.5リットルしかないかは、かなり深刻な問題になりますし、まったくなしでは命にかかわる。ですが、1日に200リットルあるのも、2リットルあるのも、幸福度としては違わないでしょう。そういう意味でお金は水に似ています。
アメリカでの私の年収は、最終的には1億円ほどでした。現在、慈恵医大での給与は、その10分の1 にも届きません(笑)。医師になりたての頃と、渡米して最初の2年間は無給医でした。そんな給与の乱高下の経験を通して実感したのは、生活に困らない収入、すなわち「衣食足りれば」それ以上の収入は人の幸福度と相関しないという事です。「衣食足りる」程度の収入がある場合、幸福度や充実感を決定するのは後述する「人に喜ばれる事」や「社会貢献」などを通じて得られる「トキメキ」や、家族以外に喜びや悲しみを分ち合える仲間の存在の有無だと確信しています。個人的には、東京で家族4人で暮らすなら年収1000万円もあれば十分だと感じます。
実は、こうした価値観が、今後の日本医療のありようにおいて大きなカギになるだろうと確信しています。この点をまず、頭の隅に置いてお話を聞いていただければと思います。
表面だけ見てアメリカ医療を褒める愚
現在、日本の医療に関して思っているのは、「欧米の医療の良いところ取りはだめ」だということ。最近の、日本の一部の患者の行動、並びにメディアの報道姿勢は、例えていえば、エコノミークラスの料金しか払っていない乗客が、ビジネスクラスの待遇を要求しているかのようなものです。日本の医療が先進諸国にくらべて劣っていると思い込み、もっといい医療をしてほしいと感じている。日本国民にぜひ知ってほしいのは、アメリカ人は日本人と比べて、年間約3倍の医療費を負担しているという事実。日本人の負担額は年間で平均23万円ほど、対してアメリカ人は約70万円です。まさに、東京‐NY間のエコノミーとビジネスクラスの料金の違いほどの開きがあるのです。
アメリカの医療は、ビジネスクラスの値段ですから丁寧なサービスも可能でしょう。しかし、日本ではエコノミークラスの料金でビジネスクラスのサービスの提供を強いられている状況にあります。実際に、本邦の病院のベッド当たりの医師・看護師の数は米国の 1/5です。日本ではただでさえ手薄なスタッフが、近年は1人の医師が30人、40人という患者を、1人の看護師が5人、10人と患者を抱えています。
医療訴訟に関しても同様のことが言えます。日本では近年アメリカに倣っているのか、患者が医師や病院を相手に訴える風潮が強まっています。しかし、3倍ものお金を出している人たちが受けている医療と、そこで起こっている訴訟をモデルに、「何かあれば訴えるべき」とやられたのでは、たまりません。特にメディアが「アメリカに行って取材してきました。アメリカではこんな丁寧な医療サービスを提供していました。一方、日本では3時間待ちの3分診療です」と煽るのには辟易します。
アメリカでは医療=ビジネスでしかない
本邦にも症例数などを指標に、医療に経済的インセンティブを持ち込もうとの意見があるようですが、大いに疑問を持っています。これもまた、アメリカ医療の一側面だけを見た考え方だからです。アメリカでは、医療の評価をお金でします。医療はまさにビジネス、市場原理で動く。メーカーや病院や医師も、保険会社もです。
アメリカにはメディケア、メディケイドと呼ばれる公的保険・公的扶助の制度がありますが、加入者は全人口の2割程度。貧困層、障害者、あるいは65歳以上の高齢者のみが対象の公的保障だからです。それ以外の人はすべて、自動車保険、あるいは生命保険を買うのと同様に民間保険会社から健康保険を購入しています。
保険会社の最大の責務は、株主への配当還元。株式会社ですから当然でしょう。きれいごとを並べても、基本的に会社は株主のために存在する。したがって医療費をいかに削減し、利益を出すかといった目標を持ってビジネスを展開します。
アメリカでは医師が、診察した患者について「これは癌かもしれない」、「これは動脈瘤かもしれない」と見立てても、「ではCTを撮りましょう」などと簡単には言えません。CTひとつ撮るにも、まず保険会社に文書で「貴社の会員の○○さんのCTを撮りたいが、よろしいですか」とおうかがいを立てねばなりません。大手保険会社には数百人の医師が在籍しており、彼らはその申し出を断るために働いています。学んだ医学知識を駆使し、医学的に不必要との結論を導き出そうと躍起です。なぜなら、申し出を拒否できる理由を見つければ見つけるほど、給料が上がるシステムになっているからです。そのような制度と対峙しながら、なんとかしてCTを撮り、なんとかして手術をし、より多くの手術をすれば、それだけ外科医の収入は上がります。――でも結果が、患者は何か問題が起これば訴訟。医師が本来の志しを失わずに使命感を原動力として活動し続けるには、きわめて厳しいのがアメリカの実際の医療環境です。
飽くなき利益を追求する病院、儲け最優先の保険会社とメーカー、インセンティブにどっぷり漬かった医師――それがアメリカの医療。もちろん、中には聖人君子と呼べる医師もいますが、総じてビジネスとして医療とかかわっています。
制度だけを真似しても失敗するだけ
そんな状況ですから、当然、患者は医療者や医療機関に対して不信感を抱く。患者は、「この医師はもしかしたら、もっと儲けようとして手術を勧めているのかもしれない」、「信頼できないから、やはりセカンドオピニオンを求めよう」と疑心暗鬼になる。まさに、医療不信が蔓延している。ただ、アメリカ人は、医療もビジネスなのだと理解し、その状況を当たり前のこととして受け入れています。
アメリカの、そんな感覚を、そんな制度を、無批判に日本に持ち込んでいいのでしょうか。インセンティブの導入とは、言ってみれば「ぶんどり合戦」。アメリカで、そんな制度のもとでも犯罪が多発しないのは、医師が「金を儲けてやろう」、「不要でも手術をしてやろう」と思っても、セカンドオピニオンを容易に求められる、簡単に医療訴訟を起こせる、保険会社が医師を雇って医学的にその医療行為が必要かを判断させる、病院には医師の資格や技量などのチェック機構があるからです。
まともなチェック機構がない日本で、症例数を競わせたり、インセンティブを与える制度などを展開すれば、「必要ないけど、やっちゃえ」が、まかりとおるのは目に見えています。結局のところ、最後に割を食うのは患者ということになります。
私はあえて、「日本は日本なりの中庸さが良いのだ」と言いたい。良さそうなところだけをつまみ食いするようにアメリカの制度を日本へ導入しようとしても、日米には大きな制度の違い、国民性の違いがある。うまくいく道理がありません。
アメリカ医療を反面教師にすべき
さらに言えば、アメリカ医療の実情などは、反面教師にすべきでしょう。飽くなき利益の追求を第一義にした資本主義が、結局のところ多くの無駄を生んでいる点などがそうです。
現在、アメリカの医療費の30%は間接経費、つまり事務経費等に消えています。日本の医療費の総額が33兆円で使いすぎだと大騒ぎになっていますが、その額を軽々と超える金額が事務経費に消えている。恐るべき事実です。ぶんどり合戦の果てに、申請やチェックの「いたちごっこ」が展開された結果、こうした事態になっているのです。
アメリカ医療に対する誤解には、技術料に関する点でも挙げられます。日本では、名のある外科医が盲腸の手術をしても研修医がしても技術料に差がない、対してアメリカでは違うとの指摘がありますが、間違いです。アメリカでも、盲腸の技術料に医師個人の技量によるクラス分けなどありません。誰がやっても料金は同じ。ただ、「アメリカの専門医が高給を取る」は事実で、それは専門医の数が限られていることに起因しています。
アメリカには専門医の数に上限を設ける制度があり、新しく専門医となれるのは、心臓外科医ならおよそ年間130人、血管外科医は110人、脳外科医だったら60人と決まっています。これは、全米での定員です。脳外科医の定員枠に入ろうと競争を勝ち抜いた60人は、専門医としての競争相手が少ないので多数の手術を手がけられ、高収入が得られるのです。一方、日本にはこの様な上限設定がありません。ちなみに日本には、米国の2倍以上の脳外専門医がいます。
医師の使命感と志しをマスコミがずたずたにした
さて、日本の医療が崩壊しつつあると言われていますが、日本の医療崩壊は勤務医、急性期医療に関してであって、開業医の数は減っていません。勤務医が開業へ逃げているから、病院から産科医や外科医、小児科医がいなくなっているだけのことです。勤務医はがんばっていますが、がんばりが限界にきて、開業という道に逃げ込むために病院で医療崩壊が始まってしまった。
なぜ、勤務医が開業医になってしまうかと言えば、医師の使命感、志しといったものを日本国民とマスコミがズタズタにしたからに違いないでしょう。そして「お前の診断を聞いたけど、ちょっと隣の病院へも行ってみるよ。気が向いたらまた戻って来るかも」――といった態度の患者や、何かあるとすぐに「医療ミス」ではないかと疑う患者が激増し、勤務医は「この薄給で懸命にやっているのに、こんな扱いを受けるなんて、ばかばかしくてやっていられない」となりました。最終的には「もう辛い勤務医は辞め、比較的収入の良い開業医になろう」という流れができたわけですね。でも、最近は開業医も医療費抑制政策と過当競争の為に大変苦労しているようです。
日本の急性期病院を再生するには、厚生労働省が言っているような医師の定員増だけでは全く意味がない。例えるなら「穴の開いたバケツ」。いくら医師を注ぎ込んでも開業医へ逃げる穴が開いているのですから、産科医も小児科医、外科医も病院には留まりません。
では、どうすれば良いのでしょうか。やはり、やり甲斐、使命感を復活させるしか方法はない。「ありがとうございました。先生のおかげで命を長らえました」――その感謝の一言が医療の現場に戻ってくるだけで、医師は頑張っていけるのです。
医療再生に必要なのはトキメキの伝授
私は、外科医局員205名を預かる者として、いかに外科を再生するかを日々考えています。
考える中で、いくつかの具体的な方策が浮かびました。そのひとつが、医局における村社会の形成です。アメリカ社会のような利害や共通目的を中心に結びついた「ゲゼルシャフト」ではなく、いわゆる友愛をベースとした「ゲマインシャフト」の医局を創る。学生時代の運動部の夏合宿、あの雰囲気の漂う医局ですね。お互いをおもんばかり、喜びも悲しみも分かち合う。今、言われているような「外科医の技術料を」や、「インセンティブを」などとは、真っ向から対立する方策(笑)。時間が証明するでしょうが、恐らくこれが外科医療再生の要になるはずです。
私が慈恵医大に戻って2年少々たち、以前まで1年に4~5人だった外科への入局者が、来年は24人にまで増えました。ビタ一文も給料を上げてはいません。労働条件を良くしたわけでもありません。ただ単に学生や研修医に、外科医がいかにトキメキを得られる職業なのか、患者に感謝されるのか、それを訴えた結果です。
本日は、皆さんにお見せしようと、私が受け取った患者からの手紙の束を持参しています。今年上半期だけで、これだけの手紙を受け取りました。すべてが感謝の手紙です。「先生の手術を受けられてこんなに嬉しいことはない、涙が止まらない」――こういう手紙をいただくと、1週間ぐらいは元気に走れる(笑)。これが外科医であり、医師なのです。
外科医が得られるトキメキを若者に身を持って示し、また医局に村社会のような安らぎと明るさを取り戻せば、給料を上げなくても、労働条件を良くしなくても、若い人は外科医療を通じて得られるトキメキを求めて集まってきます。慈恵医大外科学講座の目指すものは「トキメキと安らぎのある村社会」です。
帰国して収入は減ったが充実度は上昇
私の給与の推移を表したグラフを見てください。青い線で示したように、研修医のゼロから始まって、ちょっと上がったり下がったり。アメリカに行って無給医となり、教授になる過程で一気に上がり、慈恵に戻ると10分の1ぐらいに下がりました。
対して赤い線が充実度を示します。研修医時代、充実度は上がったり下がったり。少しして落ち込んだのは、自分が医師に向いているか否か悩んだ時期です。その後、いろいろな手術を覚えるとともに充実度はアップ。アメリカに渡った直後は、留学ブルーになって落ち込みますが、後に、給料や地位、自分への認知度が上がるにしたがって再び上がっていきました。
しかし、そこからは傾向が逆転します。給料や地位が上がるに比して、充実感は下がっていった。自分の本拠地である日本の患者を治療したいとの気持ちが芽生えたからです。なぜ、私はニューヨークでアメリカ人の命を救っているのか。なぜ、アメリカ人の教育をしているのか。疑問に思う気持ちが膨らんでいきました。ですから、日本に帰ってきて給与が下がっても、むしろ充実度は増していきます。日本の患者にわずかに残っている医師に対する感謝、手術に対する感謝が、私をやる気にさせてくれたからです。後進の育成にしても、外国人の教育ではなくて日本人の、母校の後輩の教育にたずさわれる喜びが、私の充実度をアップさせました。
医療を崩壊から救う唯一の方法
平成16年と平成20年の、慈恵医大における診療科別の診療報酬を比較したグラフを用意しました。足かけ2年で、血管外科を30数科ある診療科でいちばんの業績をあげる科にしました。これで私の給料がいくら上がったかと言ったらゼロ。一方、私の生活はアメリカ時代とは激変し、ボロボロ(笑)。夜帰るのは朝の3時か4時で、出勤は7時前ですので、子どもたちが寝ている時間にしか家にいない。週末も働いており、子どもの顔を見られるのは月に2~3回くらいです。
これほど忙しくなって診療実績が出ても給料はビタ一文変わらない、しかも家族を犠牲にしているのに幸福を感じるなんて馬鹿だ――これがアメリカ人の価値観でしょう。しかし、アメリカ人には理解し難いところに喜びを感じる点にこそ、日本の医療、外科医療の再生のポイントがあるのです。
お金のためではなく、人のために尽くしたい、人に喜ばれたい、そういう気持ちを医師からうまく引き出しながら、現在の医療の問題点を反省しつつ過重労働や多すぎる雑用などの問題を改善していく。昔の日本の医療にあった医師の使命感と志しを、今こそ再興すべきです。それと「村社会」的な安らぎのある職場環境の創出です。私は、それらこそが病院医療を崩壊から救う唯一の方法ではないかと思っています。
質疑応答
Q:今の若い人に、村社会、医師の美徳と言って果たして通じるのでしょうか。
A:通じます。我々がそうだったように、今の若者も変わらず、やり甲斐を求めています。人に喜ばれたい、社会貢献したいと思う人間の本能は今も昔も変わりません。先ほどお話ししたように、慈恵医大では労働条件は一つも良くしていないのに外科入局者が激増しているのが、その証左でしょう。
Q:日本の医療政策には根幹となるものがないと感じています。たとえば、医療の基本理念などを定める「医療基本法」をつくろうとする動きもあるのですが、先生はそのあたりを、どうお考えでしょうか。
A:確かに日本の医療には、グランドデザインがありませんね。一般的に、日本の官僚のやることには、多にしてビジョンがない。医療だけでなく、外交や教育に関しても同様。官僚すべてが悪いとは言いませんが、日本の行政には、国家百年の計を考えての国づくり、医療のかたちを考える視点を持った志ある人が、勝ち上がれないシステムができあがってしまっているのでしょう。
すべてを僕に任せていただければ、今より良い医療環境をつくれる自信はあります(笑)。
<当機構代表理事/黒川清よりご挨拶>
日本人は、アメリカ礼賛がすぎる
大木先生のお話には、共感する点が多くありました。日本人は、アメリカ礼賛がすぎると思います。こと医療制度の問題に限らず、聞きかじった「アメリカのすぐれたところ」を訳知り顔に賞賛する有識者があまりにも多い。彼らのほとんどは、実際にはアメリカでの生活経験などない。滞在経験があっても、ごく僅かでしょう。アメリカ社会の実像も知らず、なぜそんな仕組みになっているかの因果関係も知らず、「アメリカでは……」とのたまう人たちの罪は、あまりに重いと感じています。
そのような意味でも、大木先生は非常に貴重な存在でしょう。アメリカ社会で過酷な生存競争を勝ち抜き、教授に上りつめただけでなく、社会制度を熟知するほどの濃密な生活を送り、全体を理解したうえでアメリカを評価も批判もしているのですから。
トップにこそ求められる「武士道」
アメリカ帰りの大木先生が、「人の満足は、お金では満たせない」とおっしゃる。比して日本では昨今、インセンティブ大流行で、社会が日増しに下品になりつつあります。
最近、日本人が失ってしまった精神として「武士道」が頻繁に言われます。この言葉は、新渡戸稲造さんが、宗教を持たない日本人の倫理観を分析した著述に登場するもの。実は、その著述は欧米向けに英語で書かれ、日本語訳されたのは戦後でした。つまり、ほとんどの日本人は、戦後に英語の訳を通じて武士道の存在を認識したのです。
それまで多くの日本人が武士道を知らなかったのは、江戸時代末期ごろ武士道に則って生活していたのが、国民全体の約6%程度にすぎなかったから。一握りの武士以外は、たいていは農民や商人で、武士道とは無縁の生活でした。
今、「武士道」を声高に口にする人々には、「言葉の背景を知り、本当の意味を理解しているのか」と私は問いたい。武士道とは、つまり、少数のエリート層に必要な精神なのです。そこで、あらためて私は、「武士道が大切なのだ」と申し上げたい。その対象は、日本社会を動かす人々、役人や政治家、大企業トップなどの方々です。
日本社会に少なからず影響を及ぼす人々に、「何かあったら腹を切る」覚悟がないのが、今の日本におけるいちばんの問題。上に立つ者として、若者のロールモデルになるべき人々が、武士道に則った振る舞いをしないのが、日本の元気のなさの原因になっていると確信します。
医師をめざす人には必ずパッションがある
白州次郎さんは、「教育とは先生が教えるものではない。教えるべきことを、先生が普段の行動で体現し、子どもに見せて伝えるものだ」と言っています。それこそが、まさに真の教育ですね。医師の教育も同じです。少なくとも今の医療界は、大木先生のような熱く語り、自ら発した言葉を実践する教育者、すばらしいロールモデルに恵まれたと言えるでしょう。
城繁幸さんの著書『若者はなぜ3年で辞めるのか?』には、今の若者たちに元気がないのは、迷っているからだと書いてある。大企業でサラリーマンになるのが必ずしも正解ではないとわかっていても、では、どうしたらいいかの答えが出せない。そんな時代にこそ、学校には熱血漢先生が必要です。教師、指導者にとってのインセンティブとは、決してお金ではなく、「あの人はすばらしい先生だ」との敬意が、子どもたちや学生たちの間で広がり、最後にはコミュニティにまで広がり定着することでしょう。
職業として医師を選択したような人には、心の中に必ずパッションがある。パッションがあって、まわりから認められたいプライドがあって、患者やその家族からの感謝を待っている。3つ目の感謝は、社会からのプレステージ(威信・声望)につながります。社会がパッション、プライド、プレステージを生み出していく国にしなければならない。大木先生のお話をお聞きして、そう強く感じました。
■略歴
大木 隆生
東京慈恵会医科大学外科教授、統括責任者
米アルバートアインシュタイン医大血管外科教授
1987年、東京慈恵会医科大学卒。1993年、東京慈恵会医科大学大学院修了。米国アルバートアインシュタイン医科大学血管外科研究員、同大学病院血管内治療科部長、同大学血管外科部長を経て、2005年、同大学外科学教授、2006年、東京慈恵医科大学血管外科学教授、2007年東京慈恵会医科大学外科学講座統括責任者。
■コメント(日本医療政策機構 小野崎耕平)
日米両国で臨床と教育に携わる稀有な人材である大木氏。その熱い語り口は会場を大いに沸かせた。一方、参加者からは「医師だけが価値ある仕事であるかのような言いぶりはいかがか」「経済や金融の国家における重要性がわかっていないのでは」などのコメントも寄せられた。それでも、持ち前のキャラクターで圧倒的に聴衆を惹きつける姿は、新たなリーダー像を見せつけてくれた。慈恵医大外科を見事に再生した同氏の今後に大いに期待したい。
<大木先生講演要旨>
私は今、アメリカと日本の両国で外科教授を務めています。2006年までの12年間は、アメリカに在住し、アメリカのみで働いていました。そして、現在の軸足は日本にあります。日米両国で教授職を経験したのは、黒川先生をはじめ、限られたごく少数の者でしょう。そんな経験から見えてきたものがいくつかありますので、本日はそれらを軸にお話しします。
収入と幸福度は正比例しない
医師は有り余るほどの給与をもらう必要はないと、私は考えています。医師を志したのは中学生の時ですが、その頃から直感的にそう思い、そして20数年医師として働いてみて改めて確信も得ました。
人は水なしでは生きられませんが、そうですね1日の所要量である2リットルもあれば十分に暮らせるでしょう。2リットルあるか0.5リットルしかないかは、かなり深刻な問題になりますし、まったくなしでは命にかかわる。ですが、1日に200リットルあるのも、2リットルあるのも、幸福度としては違わないでしょう。そういう意味でお金は水に似ています。
アメリカでの私の年収は、最終的には1億円ほどでした。現在、慈恵医大での給与は、その10分の1 にも届きません(笑)。医師になりたての頃と、渡米して最初の2年間は無給医でした。そんな給与の乱高下の経験を通して実感したのは、生活に困らない収入、すなわち「衣食足りれば」それ以上の収入は人の幸福度と相関しないという事です。「衣食足りる」程度の収入がある場合、幸福度や充実感を決定するのは後述する「人に喜ばれる事」や「社会貢献」などを通じて得られる「トキメキ」や、家族以外に喜びや悲しみを分ち合える仲間の存在の有無だと確信しています。個人的には、東京で家族4人で暮らすなら年収1000万円もあれば十分だと感じます。
実は、こうした価値観が、今後の日本医療のありようにおいて大きなカギになるだろうと確信しています。この点をまず、頭の隅に置いてお話を聞いていただければと思います。
表面だけ見てアメリカ医療を褒める愚
現在、日本の医療に関して思っているのは、「欧米の医療の良いところ取りはだめ」だということ。最近の、日本の一部の患者の行動、並びにメディアの報道姿勢は、例えていえば、エコノミークラスの料金しか払っていない乗客が、ビジネスクラスの待遇を要求しているかのようなものです。日本の医療が先進諸国にくらべて劣っていると思い込み、もっといい医療をしてほしいと感じている。日本国民にぜひ知ってほしいのは、アメリカ人は日本人と比べて、年間約3倍の医療費を負担しているという事実。日本人の負担額は年間で平均23万円ほど、対してアメリカ人は約70万円です。まさに、東京‐NY間のエコノミーとビジネスクラスの料金の違いほどの開きがあるのです。
アメリカの医療は、ビジネスクラスの値段ですから丁寧なサービスも可能でしょう。しかし、日本ではエコノミークラスの料金でビジネスクラスのサービスの提供を強いられている状況にあります。実際に、本邦の病院のベッド当たりの医師・看護師の数は米国の 1/5です。日本ではただでさえ手薄なスタッフが、近年は1人の医師が30人、40人という患者を、1人の看護師が5人、10人と患者を抱えています。
医療訴訟に関しても同様のことが言えます。日本では近年アメリカに倣っているのか、患者が医師や病院を相手に訴える風潮が強まっています。しかし、3倍ものお金を出している人たちが受けている医療と、そこで起こっている訴訟をモデルに、「何かあれば訴えるべき」とやられたのでは、たまりません。特にメディアが「アメリカに行って取材してきました。アメリカではこんな丁寧な医療サービスを提供していました。一方、日本では3時間待ちの3分診療です」と煽るのには辟易します。
アメリカでは医療=ビジネスでしかない
本邦にも症例数などを指標に、医療に経済的インセンティブを持ち込もうとの意見があるようですが、大いに疑問を持っています。これもまた、アメリカ医療の一側面だけを見た考え方だからです。アメリカでは、医療の評価をお金でします。医療はまさにビジネス、市場原理で動く。メーカーや病院や医師も、保険会社もです。
アメリカにはメディケア、メディケイドと呼ばれる公的保険・公的扶助の制度がありますが、加入者は全人口の2割程度。貧困層、障害者、あるいは65歳以上の高齢者のみが対象の公的保障だからです。それ以外の人はすべて、自動車保険、あるいは生命保険を買うのと同様に民間保険会社から健康保険を購入しています。
保険会社の最大の責務は、株主への配当還元。株式会社ですから当然でしょう。きれいごとを並べても、基本的に会社は株主のために存在する。したがって医療費をいかに削減し、利益を出すかといった目標を持ってビジネスを展開します。
アメリカでは医師が、診察した患者について「これは癌かもしれない」、「これは動脈瘤かもしれない」と見立てても、「ではCTを撮りましょう」などと簡単には言えません。CTひとつ撮るにも、まず保険会社に文書で「貴社の会員の○○さんのCTを撮りたいが、よろしいですか」とおうかがいを立てねばなりません。大手保険会社には数百人の医師が在籍しており、彼らはその申し出を断るために働いています。学んだ医学知識を駆使し、医学的に不必要との結論を導き出そうと躍起です。なぜなら、申し出を拒否できる理由を見つければ見つけるほど、給料が上がるシステムになっているからです。そのような制度と対峙しながら、なんとかしてCTを撮り、なんとかして手術をし、より多くの手術をすれば、それだけ外科医の収入は上がります。――でも結果が、患者は何か問題が起これば訴訟。医師が本来の志しを失わずに使命感を原動力として活動し続けるには、きわめて厳しいのがアメリカの実際の医療環境です。
飽くなき利益を追求する病院、儲け最優先の保険会社とメーカー、インセンティブにどっぷり漬かった医師――それがアメリカの医療。もちろん、中には聖人君子と呼べる医師もいますが、総じてビジネスとして医療とかかわっています。
制度だけを真似しても失敗するだけ
そんな状況ですから、当然、患者は医療者や医療機関に対して不信感を抱く。患者は、「この医師はもしかしたら、もっと儲けようとして手術を勧めているのかもしれない」、「信頼できないから、やはりセカンドオピニオンを求めよう」と疑心暗鬼になる。まさに、医療不信が蔓延している。ただ、アメリカ人は、医療もビジネスなのだと理解し、その状況を当たり前のこととして受け入れています。
アメリカの、そんな感覚を、そんな制度を、無批判に日本に持ち込んでいいのでしょうか。インセンティブの導入とは、言ってみれば「ぶんどり合戦」。アメリカで、そんな制度のもとでも犯罪が多発しないのは、医師が「金を儲けてやろう」、「不要でも手術をしてやろう」と思っても、セカンドオピニオンを容易に求められる、簡単に医療訴訟を起こせる、保険会社が医師を雇って医学的にその医療行為が必要かを判断させる、病院には医師の資格や技量などのチェック機構があるからです。
まともなチェック機構がない日本で、症例数を競わせたり、インセンティブを与える制度などを展開すれば、「必要ないけど、やっちゃえ」が、まかりとおるのは目に見えています。結局のところ、最後に割を食うのは患者ということになります。
私はあえて、「日本は日本なりの中庸さが良いのだ」と言いたい。良さそうなところだけをつまみ食いするようにアメリカの制度を日本へ導入しようとしても、日米には大きな制度の違い、国民性の違いがある。うまくいく道理がありません。
アメリカ医療を反面教師にすべき
さらに言えば、アメリカ医療の実情などは、反面教師にすべきでしょう。飽くなき利益の追求を第一義にした資本主義が、結局のところ多くの無駄を生んでいる点などがそうです。
現在、アメリカの医療費の30%は間接経費、つまり事務経費等に消えています。日本の医療費の総額が33兆円で使いすぎだと大騒ぎになっていますが、その額を軽々と超える金額が事務経費に消えている。恐るべき事実です。ぶんどり合戦の果てに、申請やチェックの「いたちごっこ」が展開された結果、こうした事態になっているのです。
アメリカ医療に対する誤解には、技術料に関する点でも挙げられます。日本では、名のある外科医が盲腸の手術をしても研修医がしても技術料に差がない、対してアメリカでは違うとの指摘がありますが、間違いです。アメリカでも、盲腸の技術料に医師個人の技量によるクラス分けなどありません。誰がやっても料金は同じ。ただ、「アメリカの専門医が高給を取る」は事実で、それは専門医の数が限られていることに起因しています。
アメリカには専門医の数に上限を設ける制度があり、新しく専門医となれるのは、心臓外科医ならおよそ年間130人、血管外科医は110人、脳外科医だったら60人と決まっています。これは、全米での定員です。脳外科医の定員枠に入ろうと競争を勝ち抜いた60人は、専門医としての競争相手が少ないので多数の手術を手がけられ、高収入が得られるのです。一方、日本にはこの様な上限設定がありません。ちなみに日本には、米国の2倍以上の脳外専門医がいます。
医師の使命感と志しをマスコミがずたずたにした
さて、日本の医療が崩壊しつつあると言われていますが、日本の医療崩壊は勤務医、急性期医療に関してであって、開業医の数は減っていません。勤務医が開業へ逃げているから、病院から産科医や外科医、小児科医がいなくなっているだけのことです。勤務医はがんばっていますが、がんばりが限界にきて、開業という道に逃げ込むために病院で医療崩壊が始まってしまった。
なぜ、勤務医が開業医になってしまうかと言えば、医師の使命感、志しといったものを日本国民とマスコミがズタズタにしたからに違いないでしょう。そして「お前の診断を聞いたけど、ちょっと隣の病院へも行ってみるよ。気が向いたらまた戻って来るかも」――といった態度の患者や、何かあるとすぐに「医療ミス」ではないかと疑う患者が激増し、勤務医は「この薄給で懸命にやっているのに、こんな扱いを受けるなんて、ばかばかしくてやっていられない」となりました。最終的には「もう辛い勤務医は辞め、比較的収入の良い開業医になろう」という流れができたわけですね。でも、最近は開業医も医療費抑制政策と過当競争の為に大変苦労しているようです。
日本の急性期病院を再生するには、厚生労働省が言っているような医師の定員増だけでは全く意味がない。例えるなら「穴の開いたバケツ」。いくら医師を注ぎ込んでも開業医へ逃げる穴が開いているのですから、産科医も小児科医、外科医も病院には留まりません。
では、どうすれば良いのでしょうか。やはり、やり甲斐、使命感を復活させるしか方法はない。「ありがとうございました。先生のおかげで命を長らえました」――その感謝の一言が医療の現場に戻ってくるだけで、医師は頑張っていけるのです。
医療再生に必要なのはトキメキの伝授
私は、外科医局員205名を預かる者として、いかに外科を再生するかを日々考えています。
考える中で、いくつかの具体的な方策が浮かびました。そのひとつが、医局における村社会の形成です。アメリカ社会のような利害や共通目的を中心に結びついた「ゲゼルシャフト」ではなく、いわゆる友愛をベースとした「ゲマインシャフト」の医局を創る。学生時代の運動部の夏合宿、あの雰囲気の漂う医局ですね。お互いをおもんばかり、喜びも悲しみも分かち合う。今、言われているような「外科医の技術料を」や、「インセンティブを」などとは、真っ向から対立する方策(笑)。時間が証明するでしょうが、恐らくこれが外科医療再生の要になるはずです。
私が慈恵医大に戻って2年少々たち、以前まで1年に4~5人だった外科への入局者が、来年は24人にまで増えました。ビタ一文も給料を上げてはいません。労働条件を良くしたわけでもありません。ただ単に学生や研修医に、外科医がいかにトキメキを得られる職業なのか、患者に感謝されるのか、それを訴えた結果です。
本日は、皆さんにお見せしようと、私が受け取った患者からの手紙の束を持参しています。今年上半期だけで、これだけの手紙を受け取りました。すべてが感謝の手紙です。「先生の手術を受けられてこんなに嬉しいことはない、涙が止まらない」――こういう手紙をいただくと、1週間ぐらいは元気に走れる(笑)。これが外科医であり、医師なのです。
外科医が得られるトキメキを若者に身を持って示し、また医局に村社会のような安らぎと明るさを取り戻せば、給料を上げなくても、労働条件を良くしなくても、若い人は外科医療を通じて得られるトキメキを求めて集まってきます。慈恵医大外科学講座の目指すものは「トキメキと安らぎのある村社会」です。
帰国して収入は減ったが充実度は上昇
私の給与の推移を表したグラフを見てください。青い線で示したように、研修医のゼロから始まって、ちょっと上がったり下がったり。アメリカに行って無給医となり、教授になる過程で一気に上がり、慈恵に戻ると10分の1ぐらいに下がりました。
対して赤い線が充実度を示します。研修医時代、充実度は上がったり下がったり。少しして落ち込んだのは、自分が医師に向いているか否か悩んだ時期です。その後、いろいろな手術を覚えるとともに充実度はアップ。アメリカに渡った直後は、留学ブルーになって落ち込みますが、後に、給料や地位、自分への認知度が上がるにしたがって再び上がっていきました。
しかし、そこからは傾向が逆転します。給料や地位が上がるに比して、充実感は下がっていった。自分の本拠地である日本の患者を治療したいとの気持ちが芽生えたからです。なぜ、私はニューヨークでアメリカ人の命を救っているのか。なぜ、アメリカ人の教育をしているのか。疑問に思う気持ちが膨らんでいきました。ですから、日本に帰ってきて給与が下がっても、むしろ充実度は増していきます。日本の患者にわずかに残っている医師に対する感謝、手術に対する感謝が、私をやる気にさせてくれたからです。後進の育成にしても、外国人の教育ではなくて日本人の、母校の後輩の教育にたずさわれる喜びが、私の充実度をアップさせました。
医療を崩壊から救う唯一の方法
平成16年と平成20年の、慈恵医大における診療科別の診療報酬を比較したグラフを用意しました。足かけ2年で、血管外科を30数科ある診療科でいちばんの業績をあげる科にしました。これで私の給料がいくら上がったかと言ったらゼロ。一方、私の生活はアメリカ時代とは激変し、ボロボロ(笑)。夜帰るのは朝の3時か4時で、出勤は7時前ですので、子どもたちが寝ている時間にしか家にいない。週末も働いており、子どもの顔を見られるのは月に2~3回くらいです。
これほど忙しくなって診療実績が出ても給料はビタ一文変わらない、しかも家族を犠牲にしているのに幸福を感じるなんて馬鹿だ――これがアメリカ人の価値観でしょう。しかし、アメリカ人には理解し難いところに喜びを感じる点にこそ、日本の医療、外科医療の再生のポイントがあるのです。
お金のためではなく、人のために尽くしたい、人に喜ばれたい、そういう気持ちを医師からうまく引き出しながら、現在の医療の問題点を反省しつつ過重労働や多すぎる雑用などの問題を改善していく。昔の日本の医療にあった医師の使命感と志しを、今こそ再興すべきです。それと「村社会」的な安らぎのある職場環境の創出です。私は、それらこそが病院医療を崩壊から救う唯一の方法ではないかと思っています。
質疑応答
Q:今の若い人に、村社会、医師の美徳と言って果たして通じるのでしょうか。
A:通じます。我々がそうだったように、今の若者も変わらず、やり甲斐を求めています。人に喜ばれたい、社会貢献したいと思う人間の本能は今も昔も変わりません。先ほどお話ししたように、慈恵医大では労働条件は一つも良くしていないのに外科入局者が激増しているのが、その証左でしょう。
Q:日本の医療政策には根幹となるものがないと感じています。たとえば、医療の基本理念などを定める「医療基本法」をつくろうとする動きもあるのですが、先生はそのあたりを、どうお考えでしょうか。
A:確かに日本の医療には、グランドデザインがありませんね。一般的に、日本の官僚のやることには、多にしてビジョンがない。医療だけでなく、外交や教育に関しても同様。官僚すべてが悪いとは言いませんが、日本の行政には、国家百年の計を考えての国づくり、医療のかたちを考える視点を持った志ある人が、勝ち上がれないシステムができあがってしまっているのでしょう。
すべてを僕に任せていただければ、今より良い医療環境をつくれる自信はあります(笑)。
<当機構代表理事/黒川清よりご挨拶>
日本人は、アメリカ礼賛がすぎる
大木先生のお話には、共感する点が多くありました。日本人は、アメリカ礼賛がすぎると思います。こと医療制度の問題に限らず、聞きかじった「アメリカのすぐれたところ」を訳知り顔に賞賛する有識者があまりにも多い。彼らのほとんどは、実際にはアメリカでの生活経験などない。滞在経験があっても、ごく僅かでしょう。アメリカ社会の実像も知らず、なぜそんな仕組みになっているかの因果関係も知らず、「アメリカでは……」とのたまう人たちの罪は、あまりに重いと感じています。
そのような意味でも、大木先生は非常に貴重な存在でしょう。アメリカ社会で過酷な生存競争を勝ち抜き、教授に上りつめただけでなく、社会制度を熟知するほどの濃密な生活を送り、全体を理解したうえでアメリカを評価も批判もしているのですから。
トップにこそ求められる「武士道」
アメリカ帰りの大木先生が、「人の満足は、お金では満たせない」とおっしゃる。比して日本では昨今、インセンティブ大流行で、社会が日増しに下品になりつつあります。
最近、日本人が失ってしまった精神として「武士道」が頻繁に言われます。この言葉は、新渡戸稲造さんが、宗教を持たない日本人の倫理観を分析した著述に登場するもの。実は、その著述は欧米向けに英語で書かれ、日本語訳されたのは戦後でした。つまり、ほとんどの日本人は、戦後に英語の訳を通じて武士道の存在を認識したのです。
それまで多くの日本人が武士道を知らなかったのは、江戸時代末期ごろ武士道に則って生活していたのが、国民全体の約6%程度にすぎなかったから。一握りの武士以外は、たいていは農民や商人で、武士道とは無縁の生活でした。
今、「武士道」を声高に口にする人々には、「言葉の背景を知り、本当の意味を理解しているのか」と私は問いたい。武士道とは、つまり、少数のエリート層に必要な精神なのです。そこで、あらためて私は、「武士道が大切なのだ」と申し上げたい。その対象は、日本社会を動かす人々、役人や政治家、大企業トップなどの方々です。
日本社会に少なからず影響を及ぼす人々に、「何かあったら腹を切る」覚悟がないのが、今の日本におけるいちばんの問題。上に立つ者として、若者のロールモデルになるべき人々が、武士道に則った振る舞いをしないのが、日本の元気のなさの原因になっていると確信します。
医師をめざす人には必ずパッションがある
白州次郎さんは、「教育とは先生が教えるものではない。教えるべきことを、先生が普段の行動で体現し、子どもに見せて伝えるものだ」と言っています。それこそが、まさに真の教育ですね。医師の教育も同じです。少なくとも今の医療界は、大木先生のような熱く語り、自ら発した言葉を実践する教育者、すばらしいロールモデルに恵まれたと言えるでしょう。
城繁幸さんの著書『若者はなぜ3年で辞めるのか?』には、今の若者たちに元気がないのは、迷っているからだと書いてある。大企業でサラリーマンになるのが必ずしも正解ではないとわかっていても、では、どうしたらいいかの答えが出せない。そんな時代にこそ、学校には熱血漢先生が必要です。教師、指導者にとってのインセンティブとは、決してお金ではなく、「あの人はすばらしい先生だ」との敬意が、子どもたちや学生たちの間で広がり、最後にはコミュニティにまで広がり定着することでしょう。
職業として医師を選択したような人には、心の中に必ずパッションがある。パッションがあって、まわりから認められたいプライドがあって、患者やその家族からの感謝を待っている。3つ目の感謝は、社会からのプレステージ(威信・声望)につながります。社会がパッション、プライド、プレステージを生み出していく国にしなければならない。大木先生のお話をお聞きして、そう強く感じました。
■略歴
大木 隆生
東京慈恵会医科大学外科教授、統括責任者
米アルバートアインシュタイン医大血管外科教授
1987年、東京慈恵会医科大学卒。1993年、東京慈恵会医科大学大学院修了。米国アルバートアインシュタイン医科大学血管外科研究員、同大学病院血管内治療科部長、同大学血管外科部長を経て、2005年、同大学外科学教授、2006年、東京慈恵医科大学血管外科学教授、2007年東京慈恵会医科大学外科学講座統括責任者。
■コメント(日本医療政策機構 小野崎耕平)
日米両国で臨床と教育に携わる稀有な人材である大木氏。その熱い語り口は会場を大いに沸かせた。一方、参加者からは「医師だけが価値ある仕事であるかのような言いぶりはいかがか」「経済や金融の国家における重要性がわかっていないのでは」などのコメントも寄せられた。それでも、持ち前のキャラクターで圧倒的に聴衆を惹きつける姿は、新たなリーダー像を見せつけてくれた。慈恵医大外科を見事に再生した同氏の今後に大いに期待したい。
申込締切日:2008-11-12
開催日:2008-11-13
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