【HGPI政策コラム】(No.75)世界保健機関(WHO)市民社会委員会(CSC)とは何か―WHOにおける市民社会参加の制度化と日本の関与―
日付:2026年7月29日
タグ: HGPI政策コラム, グローバルヘルス, グローバルヘルス戦略
<POINTS>
- 世界保健機関(WHO)市民社会委員会(CSC)は、WHOと市民社会の対話や協働をより体系的に進めるために設置された「WHOの枠組みの下で運営される市民社会のネットワーク」である。
- CSCは、2020〜2021年の「社会参加と説明責任」に関する対話を経て構想され、2023年に組織規定(ToR)が確定、同年8月に正式に立ち上げられた。
- CSCの役割は、WHOのグローバル・地域・国レベルでの市民社会エンゲージメントについて提言を行い、WHOの一般業務計画(GPW)や持続可能な開発目標(SDGs)達成を後押しすることにある。
- 一方で、CSCは独立した市民社会連合ではなくWHOの規則の下で運営されており、外部発信や出版、資金面には一定の制約がある。
- 日本からの参加は、日本医療政策機構に限られており、日本拠点の市民社会もCSCの枠組みに積極的に参画することが期待される。
はじめに
近年、グローバルヘルスの議論では、政策形成の場における市民社会の関与をいかに強化するかが重要な論点となっています。ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC: Universal Health Coverage)や健康危機対応、気候変動と健康といった複雑な課題は制度を設計する側と当事者との間に大きな距離が生じやすく、その距離を埋め、政策を現実に根ざしたものにするために、政府間の議論だけでなく、市民社会の知見をどう取り込むかが問われているのです。
こうした流れの中で世界保健機関(WHO: World Health Organization)が設置したのが、市民社会委員会(CSC: Civil Society Commission)です。CSCは、WHOと市民社会の間の対話を単発の意見交換にとどめず、より継続的かつ制度的な仕組みにしていくための新たな試みとして位置づけられています。日本からは当機構がこの取り組みに参画しています。
本コラムでは、WHO CSCの設立経緯、目的、ガバナンス、これまでの取り組み、今後の課題、そして日本との関係について整理し、その意義を考察します。
CSC設立の背景と経緯
CSCは2020〜2021年に行われたWHO事務局長と市民社会との「社会参加と説明責任」に関する対話を受けて構想されました。その後、2023年1月に組織規定(ToR: Terms of Reference)が確定し、同年2月から参加申請の受付が始まりました。さらに2023年7月には運営委員会のメンバーが公表され、2023年8月24日に初会合が開かれたことで、CSCは正式に立ち上がりました。
WHOはCSCを、市民社会からWHOへの助言や提言を、より構造的かつ体系的に届けるための仕組みと位置づけています。従来もWHOと非国家主体の関与は、非国家主体との関与の枠組み(FENSA: Framework of Engagement with Non-State Actors)などを通じて制度化されてきましたが、CSCはその流れをさらに進め、市民社会との継続的な関係構築を明示的に強化しようとする試みと見ることができます。
また、2024年に開かれたWHOの最高議決機関である世界保健総会(WHA: World Health Assembly)では「社会参加」に関する決議が採択されました。さらに、WHO全体の事業計画の柱となる「第14次総合事業計画(GPW14: General Programme of Work、2025から2028年を対象とするWHOの組織全体の戦略計画)」の中でも、市民社会との対話(エンゲージメント)の強化が掲げられており、その実行を担う組織としてCSCが位置づけられています。これは、CSCが単発の委員会ではなく、WHOの中長期的な運営戦略に深く組み込まれた制度であることを示しています。
CSCの目的と役割
CSCの公式なミッションは、WHOと市民社会の対話・協働を強化し、グローバル、地域、国レベルにおけるWHOの市民社会エンゲージメントについて提言を行うことです。その先には、WHO総合事業計画(GPW)や持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)の達成を加速させる狙いがあります。
重要なのは、CSCが単に「市民社会の声を聞く場」ではなく、WHOの政策形成や制度運営の中で、市民社会参加のあり方そのものを改善する枠組みとして期待されている点です。つまり、WHOがどのような協議を行うべきか、どのようにより多様な市民社会の参加を促すべきか、参加の質や透明性をどう高めるかといった、参加の仕組みそのものについて検討し提言をする役割を担っています。その意味でCSCは、WHOにおける市民社会参加のルールや慣行を形づくる制度的基盤であると言えます。
CSCのガバナンスと制度設計
CSCは独立した法人や外部団体ではなく、WHOの規則の下で運営される「WHOホストのネットワーク」です。この点は、CSCの特徴を理解するうえで非常に重要です。
構造としては、最大25組織で構成される運営委員会(Steering Committee)、年1回開催される年次総会(General Meeting)、特定テーマごとに設置される作業部会(Working Groups)、そしてWHO内に置かれる事務局(Secretariat)から成ります。運営委員会は戦略的な方向性の調整や作業部会の監督を担い、年次総会では年次報告や作業計画のレビューが行われます。
これまでの取り組み
CSCは2023年の立ち上げ以降、年次総会の開催に加え、作業部会を通じて具体的な作業を進めてきました。公式資料からは、少なくとも2024〜2025年にかけて、次の3つの方向性が重視されていることが分かります。
一つ目は、WHOの市民社会協議プロセスの改善です。作業部会では、WHA決議の策定、WHO規範文書の作成、政府間交渉などを含む各種協議プロセスを分析し、より良い協議の標準手順や実務的な提案をまとめることが想定されています。
二つ目は、WHO内部に存在する市民社会参加メカニズムの棚卸しです。WHOの各部局にどのような参加の場があるのかを整理し、既存メカニズムの改善や、新たな対話のあり方に関する提案を行うことが目指されています。
三つ目は、WHO市民社会エンゲージメント戦略(2025–2028)への提言です。CSCは、市民社会側からの意見や経験を取りまとめ、WHOの中期的な市民社会戦略に反映させる役割も担っています。
また、2025年には、WHA決議策定過程への市民社会関与に関するCSC初の研究成果がWHOの出版物として公表されており、CSCが単なる会議体にとどまらず、知見の整理や制度提案を行う場としても機能し始めていることがうかがえます。
CSCの意義と見えてきた課題
CSCの意義は、WHOにおける市民社会参加を、アドホックなものから制度的なものへと移行させようとしている点にあります。政策文書の策定や意思決定のプロセスに対し、市民社会がより早い段階から、より整理された形で関与できるようになれば、参加の質も説明責任も向上する可能性があります。
特に、WHA決議やWHO戦略文書の形成過程において、協議の手順が可視化され、参加のルールが標準化されれば、「形式的に意見を聞くだけ」の参加を避け、実質的な政策対話へと近づける余地があります。
ただし、課題も明確です。最も大きいのは、制度設計そのものが代表性に影響を与えうることです。自己負担が原則である以上、参加しやすいのは資金力や人的余裕のある非営利組織(NGO: Non-Governmental Organization)に偏りやすく、草の根団体や資源制約の大きい組織の継続参加は難しくなります。これは市民社会参加の包摂性に直結する論点です。
また、対外発信や成果物作成にWHOの承認が必要な仕組みは、WHOとの信頼関係や整合性を保つ一方で、市民社会の自律性や迅速な共同提言を弱める可能性があります。CSCが「WHOの内部ガバナンスの一部」として機能するのか、それとも「独立した市民社会の声をつなぐ場」として意味を持ち続けられるのかは、今後の運用に大きく左右されるでしょう。
さらに、2年後の外部評価はCSCの正当性を左右する重要な節目です。評価の方法、結果の公開範囲、その後の改善へのつなぎ方が不透明であれば、制度への信頼は損なわれかねません。逆に、この評価が透明かつ実効的に行われれば、CSCはより成熟した仕組みへと発展する可能性があります。
おわりに
WHO市民社会委員会(CSC)は、WHOと市民社会の関係をより制度的、継続的、戦略的なものへと変えていこうとする試みです。設立からまだ日が浅いものの、すでに作業部会を通じた提言作成や、WHAやWHO戦略文書への入力といった具体的な役割を担い始めています。
その一方で、CSCはWHOの規則の下で運営される仕組みであり、資金、発信、自律性、代表性などの面で制度的な制約も抱えています。今後、この枠組みが実効性ある参加の場として機能するのか、それとも形式化した制度にとどまるのかは、外部評価のあり方や、実際の運用の積み重ねにかかっています。
日本にとってCSCは、単にWHOの新しい会議体というだけではありません。市民社会の知見をグローバルヘルス政策に接続し、国際的なルール形成に関与していくための一つの重要な入り口です。しかし、現在日本からの参加はHGPIのみにとどまっており、国際的なルール形成の場で日本の市民社会の声が届きにくい状況があります。WHOにおける社会参加の制度化がどのように進展するのか、公式な場を通じて日本の市民社会がどのような役割を果たすことができるのか、注視しながら具体的な一手を考えていく必要があります。
【参考文献】
- World Health Organization. WHO Civil Society Commission.
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https://apps.who.int/gb/ebwha/pdf_files/WHA69/A69_R10-en.pdf - World Health Organization. Working Groups, WHO Civil Society Commission.
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https://www.who.int/publications/i/item/9789240103788
【執筆者のご紹介】
平家 穂乃佳(日本医療政策機構 シニアアソシエイト)
佐藤 ひかる(日本医療政策機構 アソシエイト)
岩倉 日南子(日本医療政策機構 プログラムスペシャリスト)
菅原 丈二(日本医療政策機構 副事務局長)
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