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世界を薬剤耐性菌感染から救うための貢献を果たす

公開日:2022年10月10日

世界を薬剤耐性菌感染から救うための貢献を果たす

マット マカナニ Matt MacEnany
日本医療政策機構 シニアマネージャー

大学卒業後にチャレンジ精神だけで日本に渡る

母国が米国の私と日本をつなぐきっかけは、高校時代にさかのぼります。高校時代に外国語を学ぶ授業で、スペイン語か日本語かのいずれかを選択することになり、深い考えもなく日本語を選びました。最初は、日本や日本語に特に興味を持っていたわけではありません。
それが変わったのは、大学で日本の古典文学を学び始めてからです。『徒然草』や『方丈記』などを読み、「あらゆるものは絶えず変化しており、もとにとどまることはない」といった日本の無常観の思想に触れて感銘し、日本に惹かれるようになっていきました。
そして、大学卒業時、文系の学問を勉強してきた私は、理系の人々にくらべて自分は特別な仕事のスキルを持っていないと思い込んでしまっていました。さらに、ここも私らしい発想なのですが、働けるスキルを身につけるために「今、想像できる、いちばん難しいことにチャレンジしよう」と考えたのです。それが、日本での就職でした。
2008年、約20万円の貯金だけを手に無謀にも渡日した私が、日本での就職という念願を果たせたのは、偶然の賜物としか言いようがありません。たまたま国際的なビジネスのサポートを行っている企業の社長に出会い、このチャンスを逃すべきではないとその社長に猛アタックをして翻訳の仕事を獲得できたのです。ちょうど貯金が尽きたところでもあり、本当に運が良かったと思います。

医療疫学を学ぶために米国へ戻りコロンビア大学に進学

日本での最初の2年間は、日本政府の入札案件の仕事が多く、外務省や防衛省などの中央省庁のプレスリリースの翻訳をする日々でした。実は、子どものころから公務員もしくは小説家になりたいとの夢を持っていたので、仕事はとても楽しくやり甲斐もありました。
その後、私が医療系の分野に傾倒するようになったのは、公衆衛生にまつわる仕事が増えてきたためです。世界保健機関(WHO)の「国際疾病分類第11回改定版(ICD-11)」の分類と検証の業務や、日本学術振興会の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」に関する仕事などに強くインスパイアされ、もっと医療にかかわる学術的な仕事を手がけたいと望むようになりました。
中でも公衆衛生分野の人々がエビデンスを用いて施策変更のための議論を構築している様子にはいつも感服し、自分がそうした仕事をするには、数字を操る能力を習得する必要があると思いいたります。
必要となる能力獲得のために、私は米国に戻って医療疫学を学ぶことを決意。2013年、コロンビア大学の公衆衛生学修士課程(MPH: Master of Public Health)に進学しました。

医療政策の立案にかかわるべく再び渡日しHGPIに就職

2年後の2015年、修士課程を修了した後は、米国ニュージャージー州にあるGenesis Research LLCの上級疫学研究員として、メンタルヘルスや中国における薬物乱用に関する研究などに従事しました。しかし、仕事が充実していたにもかかわらず、2018年に再び渡日し、HGPIで働き始めます。
決心した理由は主に2つ。ひとつは、日本の医療システムを学びたかったからです。米国の医療システムは崩壊していると言ってよい状態であるのに、どうして日本ではしっかりした医療のインフラが構築されているのか不思議でなりませんでした。
もうひとつの理由は、疫学の研究成果を政策に反映させたいとの強い願望を持ったことです。いくら疫学分析をして論文を書いても、実際の政策に生かされない状況がもどかしく、「ならば、自分が」と、研究データをもとにした医療政策づくりにかかわろうと考えました。
そこで、日本での医療政策関連の仕事を探していたところ、コロンビア大学の同級生からHGPIを紹介され、「ここだ!」とひらめめき、すぐに就職を決めました。

世界を薬剤耐性菌感染から救うための貢献を果たす

HGPIでのこれまでの仕事に思いをはせたとき、もっとも記憶に残っているのは、「AMRアライアンス・ジャパン」の設立と、HGPIに置かれた事務局の運営です。
細菌(病原体)が、抗菌薬の使用にともなって変化し、抗菌薬の効果が小さくなることを薬剤耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)と呼びます。薬剤耐性を有した薬剤耐性菌による感染症が起きると、抗菌薬による治療効果が十分に得られず、最悪の場合には死にいたります。薬剤耐性菌は国内外で増加の一途をたどり、薬剤耐性菌感染症による2050年の全世界の年間死亡者数は約1,000万人まで上昇するとの予測もあります。このような背景から、2015年のWHOの総会で「薬剤耐性(AMR)に関するグローバル・アクション・プラン」が採択され、日本でも2016年から「薬剤耐性(AMR)アクションプラン」にもとづくAMR対策が進んでいます。その動きを支援し、さらに強力な対策について議論を深めるために2018年11月、感染症関連学会、製薬企業、医療機器メーカー、市民団体などの団体で構成されるAMRアライアンス・ジャパンが設立されました。
異なる立場の団体をまとめて組織化する仕事や、AMRの問題についてアライアンスから政府に対し解決策を求めることは、たいへんエキサイティングでした。小さい案件ではありますが、政府への交渉が実って施策立案につながったケースもあり、世界を薬剤耐性菌から救うための貢献が少しはできた気がしています。

「稀な」失敗の中に「稀な」成長ができるチャンスがある

HGPIで働いていて、米国国籍である点をハードルに感じた経験は一度もありません。もちろん、外国人への偏見もなく、働きやすい環境です。
ただ、日本語を長期間にわたって勉強してきましたが、やはり日本語のレトリックやコミュニケーションのスタイルは海外とは異なっており、HGPIではさまざまな失敗をしました。国会議員など社会のトップクラスの方などを前に、失言をしてしまったり、自分の考えをうまく説明できなかったりしたときには、ずいぶん落ち込みもしたものです。
けれども、失敗は成長の一歩。「稀な」失敗をする経験の中に「稀な」成長ができるチャンスがあります。私は、失敗を受け止めてくれる同僚にサポートしてもらいながら、失敗を重ねつつも成長できました。失敗する機会を得て成長できる職場。HGPIは、まさにそういうところです。
HGPIは、国籍を問わず、医療政策をテーマにチャレンジしたい人に開かれています。ぜひ、いろいろなバックグラウンドを持った方に、ともに働く仲間になっていただきたいと思います。

将来は疫学と政策をつなぐ仕事をしてみたい

実は、この記事を皆さんがご覧になっているころ、私はHGPIにはいません。コロンビア大学で知り合った妻の疫学分野で博士号を取りたいという夢を実現するために、米国に帰国しているからです。
妻と私は、別々の夢を持っていて、交互に夢を実現し合おうと話をしています。4年前、日本で医療政策関係の仕事をしたいとの私の夢のために妻はともに渡日してくれました。今度は、妻が夢をかなえる番です。
私は米国に戻ったら、今まで「疫学」⇒「政策」と仕事に取り組んできたので、米国ではもう一度、「疫学」の仕事に就きキャリアを積んでいくつもりです。そして、いつかは、たとえば世界銀行や経済協力開発機構(OECD)などで疫学と政策をつなぐ仕事をしたいと望んでいます。
とはいえ、この夢にたどり着くまでには、まだ、疫学と政策との間で仕事をする必要がありそうです。妻が夢をかなえたら、次は私の番。そのとき、再び来日してHGPIに復職することもあるかもしれません。

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