日本医療政策機構(HGPI: Health and Global Policy Institute)が2004年の設立以来、創立20周年を迎えます。
私がHGPIに関わり始めたのは、2005年後半でした。当時は、慶応義塾大学の学生で、たまたま知り合いからお声がけをいただき、学生アルバイトとして関与したのがはじまりでした。法人の登記自体は2004年でしたが、2005年当時、永田町にあったオフィスは、オフィスと呼べるような状態ではなく、雑然と物が置かれ、今で言うスタートアップという雰囲気に満ち溢れた場所でした。
オフィスは雑然としていましたが、そこで交わされていた議論は、洗練されていて、理知的であり、学びの多いものでした。その後、卒業とともに2007年に新卒として就職することとなりました。大企業などの候補もありましたが、代表理事の黒川清氏、当時の初代事務局長であった近藤ジェームス正晃氏はじめ、知的かつ躍動感あるメンバーと少数精鋭で働けることの喜びを選びました。同じく新卒で就職した数名も、今では各領域のリーダーとして活躍しています。当時、黒川氏が「君たち新卒で、この小さなNPOに来たの?変わっているね!」と、そのような「変わり者」たちの応援者として、そして、少しは本気で心配されて、お話されていたことが印象に残っています。
その後、2012年から2015年にかけて、大学院留学や米国の財団で勤務するなど、一時HGPIを離れましたが、帰国後、2016年から事務局長を務めさせて頂いております。これまでの先人たちのレガシーのおかげもあり、無事に組織は拡大し、政策提言の質も、社会へのインパクトも順調に伸びているものと自負しております。
私が特に重要視しているのは、フラットに産官学民が立場を超えて議論を重ね、社会の集合知を紡ぎ出していくことです。公共的でありながらも個人や家族の課題にもなる、健康・医療政策の分野では、このようなフラットな議論の場が、特に大事だと考えています。そして、そのような集合知を作り出す場は、まだ我が国では少ないのではないか、とも感じています。
また、特定の業界の声や、一部の意見ではなく、マルチステークホルダーが中立的に議論をする場から出た政策提言であるからこそ、政策立案関係者へのインパクトが担保され、これまでも政策変革に成果を出せてきていると考えます。
このような背景や意味合いのもと、以下のような事務局方針で、近年の活動を実施しています―――「エビデンスに基づく市民主体の医療政策を実現すべく、中立的なシンクタンクとして、市民や当事者を含む幅広い国内外のマルチステークホルダーによる議論を喚起し、提言や発信をグローバルに進めていく」。
では、集合知を作っていくうえでの、あるべき意見集約プロセスはなにか。エビデンスに基づく政策立案という際の、特に、ひとの生き方や幸せ、生老病死に深くかかわる健康・医療政策において、エビデンスはそもそもどう定義されるべきなのか。政策立案プロセスや、政策の検証のあり方も含めて、既存の価値や方法論を注意深く再定義していく―――そのような真摯な姿勢を常に持ち、活動をしていきたいと思います。それがあってこそ、多様なアジェンダで、マルチステークホルダーの皆さんに気持ちよく参集いただけるものと思います。
引き続き、事務局メンバーは、熟慮を重ねながらも、社会に必要な政策の選択肢を提示すべく、よりよい人類社会のために活動してまいりたいと思います。20年目を迎えたHGPI、どうぞ引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
代表理事・事務局長 乗竹 亮治
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